ICHIROYAのブログ

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短編小説7  『水仙は死の香り』

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 ことのはじまりは、「7653」とだけ書いた謎の手紙がミラノに住む私のアパートに届いたことだ。
 封筒に差出人の氏名住所はなく、宛名は手書き。スタンプは薄く、郵便局名は読めないが東京都から出されたものであることだけはわかった。便箋は和紙の縦書きのもので、中央にその罫線を無視して、ボールペンのようなもので横書きアラビア数字で書かれていた。
 まるで推理小説だ。
 もちろん、嫌な気分がした。
 謎は解けず、それは誰かのいたずらで私を喜ばす仕掛けがあるのだと自分に思い込ませようとしたが、背後に不吉なものがあるのではと思えて仕方がない。
 イタリア人の彼、アウジリオは便箋を手にめすがめすして、「この便箋はかすかな薔薇の香りがする」と言う。子供の頃からアレルギー性鼻炎を患ってきた私は、ミラノにきてからも完治せず、嗅覚が人の何倍も弱く、匂いに鈍感だ。香りに敏感な人を羨ましいとは思うけれど、便箋に残るかすかな薔薇の香りを認識できたとして、今の私の疑問は解けない。結局、アウジリオも、「なんだかわからないけど、嫌がらせだとしたら考えるだけ損だから忘れてしまえ」と言って手紙をテーブルの上に投げた。
 「純子」というシンプルな名前を親からもらい、その名前の通り、私は自分の気持ちに純粋であることを信条に生きてきた。さまざまな仕事を経て、四〇歳を超えた今、ミラノで働いている。勤務先は日本の大手宅配会社のミラノ支店で、主に日本人観光客や日本人滞在者の日本向け荷物の引き受け業務を行っている。取引先である旅行会社のアウジリオと一緒に暮らしているが、結婚しているわけではない。
 イタリアっていうのは、すべての人が誇りをもってそれぞれの人生を面白おかしく、楽しく生きているものと思っていた。が、ミラノの生活が三年も過ぎてみると、生きていくための息苦しさはミラノも東京も同じなんだなと痛感する。
 きっと、環境ではなく、私の中に流れる血が、息苦しさを生み出し続けているのだ。
 兄の淳平も組織にはなじまない質で、大学を卒業後、大学生から羨ましがられる著名会社をさっさと辞めてしまい、ふらふらしていたと思ったら、中古車の商売を始めたり、雑貨の輸入問屋を始めたり、ネットでメディアを立ち上げたりした。お金がないと言って、父にお金を無心したり、借金の保証人になってくれと頼みに来たりした。いつかきっと、兄は家族に問題をもたらす、大きな借財を残して消えたりするんじゃないか、そんな心配を母も私も強く持っていたが、今やっているネット関連の会社はうまくいっているらしい。東京で最後に会った時は、ポルシェに乗り、大きな家を都内に新築していた。
 堅実を絵に描いたようなサラリーマンだった父、そんな父に文句を言いながらも添い遂げた母。私の放浪癖も兄の向こう見ずな起業家精神も、父からではなく、母から同じように受け継いだのだと思う。母は頭が良く、正月に家族でオセロをすると、私はもちろん、兄にもぜったいに負けなかった。
 父は数年前に癌で死んだ。
 母が違う連れ合いを選んでいたら、きっと母の人生は大きく異るものになっていただろう。だが、父を失った時、すでに母も七十才を超えていた。何歳になっても新しい人生を生き直すことができるとはいうものの、いかにも遅すぎた。
 それに、新しい道を進むためには、物理的な障害もあった。母は老人性黄斑変性症という目の病気を患った。視野が歪みだしたと思うと視野の中心から黒い闇が徐々に広がったそうで、治療も甲斐もなく、現在ではほぼ全盲に近い状態であるという。
 そんな母を、現在は、兄がその豪邸に引き取って、妻の佳織さんと三人で一緒に暮らしている。兄夫婦に子供はいない。
 足腰も年齢並に弱っているとはいえ、まだ歩くことはできる。だが、全盲であれば、それなりに介護の手が必要だろう。事業で忙しい兄にそれができるはずもなく、兄嫁が見てくれているという話だ。
 だが、私より五才以上若い兄嫁は、自分の好きなこと、着物を着て観劇や寄席にでかけることに忙しいと聞いた。介護のためにヘルパーさんを雇っているというから、実質はヘルパーさんに任せっきりなのだろうと想像している。
 兄の事業がうまく行っているからと言って、着物に散財したり遊び回って、口では私にお世辞や美辞麗句を並べ立てる兄嫁を好きになるのは難しい。
 もし、兄の事業がうまくいっていなければ、佳織さんは兄と結婚などしなかったに違いない。いつもオーバーアクション気味で、愛嬌もあり、整った顔立ちの佳織さんのことを考えると、ついつい、理由もなく腹が立ってくるのだ。
 母の世話を全面的任せておいて、ミラノで相変わらずふらふらしている私に、そんなことを思う資格がないことはわかっているのだが。

「佳織さんが、私のお金を狙っている」
 母がパソコンの向こうで、そう言った。アパートに着いてほっとして、夕飯の準備をしていた頃だ。東京との時差は七時間。昼食後、兄嫁は例によって遊びに出て留守で、母がスカイプで電話をかけるようにヘルパーさんに頼んだのだ。母にとって意味がないので、映像はない。母がヘルパーさんに礼を言って、席を外してくれるように頼んでいるのが聞こえた。
「黙っていたけど、どうやら、淳平の事業がうまくいってないらしいわ。それで、佳織さんもお金に困っているのよ」
「そんな馬鹿な・・・気のせいよ、きっと」
 私はかろうじて言った。
 父は一生会社員だったから、桁外れの大金を残したわけではないが、堅実で保険にも入っていたし、亡くなった時、母の手元に数千万以上のお金が残ったとは聞いていた。
「なんで、そんな風に思うの? なにかあったの?」
「銀行印、取られちゃったの」
 母は銀行印の保管場所に困っていたという。すでに年金以外に収入のない母にとって、銀行にあるお金は命のバックアップのようなものであった。貸金庫に預けても、貸金庫の鍵の保管場所に悩むことになる。そこで、母は一計を案じて、庭に何十も置いてあった薔薇の鉢植えの中に、ケースに入れてビニールで頑丈に巻いた印鑑を埋めた。ある日、兄嫁は、鉢の薔薇を多くを庭の地面に掘った穴に移した。その薔薇は、母のためにと兄嫁が買ってきて、「一緒に」育てていたものであった。庭の地面に移そうかという話を兄嫁から聞いていたので、母はそれまでに印鑑を回収するつもりでいたのだが、兄嫁は母には告げずに急に植え替えをやってしまった。
「鉢に何かなかった?」
 母は慌てて兄嫁に訊ねたが、なにもなかったと兄嫁は答えた。
 目の見えない母は鉢植えの土ごと庭に埋められたとしても、どこにそれがあるのか調べようもない。
 ピンと来た母は、ヘルパーさんにつきそってもらい、当日に印鑑の紛失届けを出しに銀行へ行ったという。
「で、なぜ、お義姉さんが、取ったことになるの?」
「私に言わずに、突然だったのよ。印鑑以外に狙いはあるはずがないわ」
「でも、印鑑が埋めてあるって言ってなかったんでしょう?」
「言うもんかね。でも、きっと、私が埋めているのを見てたのね」
「そんなことあるかしらね・・・」
 信じられなかった。
 母のために薔薇を育てているという話は、直接、兄から聞いたことがあった。目の見えない母のために、薔薇を育てることに、どんな意味があるのだろうと、その時疑問に思ったのは確かだ。どれほど美しく薔薇が花を咲かせたところで、母はそれを見ることができない。触れようとすれば、棘がその手を拒絶するだろう。
「最近、淳平がすごく疲れているように見えるのよ。車も売っちゃったし・・・ほら、不況だ、不況だってニュースでも言ってるでしょ」
「でもねえ・・・」     
 それでも懐疑的な私に、母がこんなことがあったと話した。
 母は高価な着物を持っていた。それは、裕福だった母の両親が嫁入リの時に持たせたもので、龍村平蔵の帯や千總、大彦の訪問着や色留袖などという、それぞれ一着百万円は下るまいという逸品揃いだったそうだ。さすがに母ももうそれを着る機会はあるまいと思い、兄嫁に処分を頼んだ。着物に詳しい兄嫁なら、正当な値段をつけてくれる先をみつけてくれるだろうと思って任せたのである。
 ところが、その逸品揃いの着物が、二束三文にしかならなかった。二束三文と言っても、十万円強とのことだったが、母が考えていた値段からすると、何十分の一であった。
 兄嫁に尋ねると、たしかに有名織元、染元の逸品揃いではあるけれど、丈がなく、長期保存による変色やアクがあって、その程度の値段にしかならなかったのだと言う。
「よく着物のことを知っている佳織さんだもの、着物屋に騙されるはずがないわ。だとしたら、嘘をついてるのは佳織さんしか考えられないわ」
 私は着物のことは全然知らない。こうして今、ミラノで働いてい、着物の着付けのひとつ学んでおいたらよかったと痛感することはあっても、後の祭りである。龍村平蔵とか、千總、大彦などと言われても、評価額についてもまったく想像もできない。
「佳織さん、悪い人じゃないんだと思うんだけど、きっと、淳平も佳織さんも困っているのね」
 すでに私はなんと答えたらよいものか、わからなくなっていた。
 兄は山師みたいなところはあっても、人の良さがあって、そこまで疑う気にはなれない。兄嫁については、どんなことでもありえるような気はするが、ともかく、兄嫁の人間性については表面的なことしか知らないのである。
 自分で事業をしたことがないからわからないが、事業に失敗した時には、すべてを失い、お金どころか、命までも差し出す人もいると言う。
 兄と嫁がそんな立場に追い込まれつつあるのなら・・・考えたくはないが、ありえないとは言えない。
「ねえ、帰ってきて」と母が言った。
 そう言われても、すぐに帰ることはできない。帰ったところで、短期間の滞在で片付く話でもなさそうだ。
「来週の週末に、越前海岸に連れてってくれるっていうのよ。この十二月の寒い時によ。たしかに、どこかに旅行に行きたいって言ってたのは、私なのよ。水仙が満開で綺麗だからって言うんだけど、越前海岸の絶壁を想像したら、怖くなってきて・・・まさか、とは思うけど」
 荒れ狂う十二月の日本海の絶壁。盲目の母の手を引く兄嫁。事業と豊かな生活の存続の剣ヶ峰に立たされた兄・・・
 母の恐怖がリアルに感じられた。
「帰れたら、帰るわ」
 私はそう言ってスカイプを閉じた。
     
「お兄ちゃん、事業はどうなの?」
 事業のことについてあまり直截な質問をしたことはない私が、久しぶりにスカイプで話す兄にそう尋ねた。
 風呂あがりの濡れた髪に寝間着姿の兄の姿が、パソコンに写っている。
「どうって、普通だよ。巡航速度で退屈だから、次のネタを仕込んでるところさ」
「あの、自慢の車、売っちゃったの?」
「ああ」
「次を買う前に?」
「ああ、取引先の一人が欲しいっていうからな。高く売れたよ。次のも注文すませたよ。いま、納品待ちだ」
「そう・・・で、ママは大丈夫なの?」
 兄は缶ビールを一口煽って言った。
「なんか、いろいろ難しくてさ。佳織が、何をした、何をしない、って愚痴を散々聞かされている。ちょっと認知症が出てきてるのかもしれない」
「認知症なの? 病院は?」
「本人はしっかりしているつもりでいるし、とてもじゃないけどそういう病院へ連れていけないよ。まあ、歳をとって頑固になっているだけかもしれないし・・・ただ、なにかあったときに困るし、心配ではあるな。相続税のこととか、生前贈与の話とか、ときどき話してみるんだけど、本人は、目以外は全然元気な気でいるからなあ」
「なにかおかしなところとかあるの?」
「あるよ」
「なに?」
「判子をたくさん作ってる。最近注文したらしく、真新しい印鑑で、それぞれ微妙に違うデザインなんだ。十個以上もある印鑑を、ひとつの袋に入れて、引き出しの中に入れてある」
 印鑑を十個? なぜ、十個もいるのか。たしかに変だ。兄の言うとおり、母は認知症の初期なのかもしれない。
「ねえ、一度、帰ろうかな」
「帰れるのか?」
「仕事休まなきゃなんないけど、一週間ぐらいなら帰れるかな」
「別にこっちは、大丈夫だけどな・・・」

 その通話で、来週末に予定されているという越前海岸への旅行について訊ねた。たしかに、兄夫婦は母を伴っての金沢への旅行を計画していた。それまでに帰れたら合流しても良いかと訊ねたら、それは構わないが宿の手配が間に合うかどうかはわからないと答えた。私はまだ一時帰国の決心がつかなかった。母の勘違いや軽い被害妄想であれば、わざわざ急いで帰国しても、たいしてできることはない。十二月のクリスマス前のその時期に、急遽休みをとって、残るスタッフに過大な負担をかけるのは憚られた。日本の桜を見たことがないアウジリオとは、翌年の四月に一緒に帰国して観光しようと話していたのである。
 母からスカイプで電話をしてもらうように、兄に頼んだ。
 三日後に、ようやく母から呼び出しがあった。自転車で帰宅途中だった私は、クロスバイクを街路の歩道に停めて電話に出た。
「ママ、いま、ひとり?」
「うん、そうよ」
「ちょっと、聞きたいことあるんだけど」
「なに?」
「判子、たくさん、買ったの?」
 スマホの向こうで母が黙った。待ちかねて発した私の言葉に、母の言葉がかぶさった。
「なんで、あんた、それを知ってるの?」
「お兄(にい)から聞いたわ」
「淳平たちは、やっぱり、知ってたのね。わざわざ、袋に入れて、引き出しの中に入れておいたんだけど。調べたんだわ」
「ママのこと、心配してるだけでしょう。それより、なぜ、判子をたくさん買ったの?その理由を教えて」
 スマホから母の溜息が聞こえてきた。そして、母は言った。
「銀行印よ。ほら、鉢植えに入れておいた印鑑がおかしなことになったじゃない。新しい銀行印を注文した時、いっぺんに十種類の印鑑をつくったのよ。もちろん、そのうちの一本を銀行へ持って行って銀行印として登録したんだけどね。十本あるとね、どれが銀行印か、私以外にはわからないでしょ。今じゃ、通帳にも登録した銀行印は押されてないから。そうしておけば、誰かが通帳と判子を持って銀行へ行こうとしても、どれが銀行印かわからないってわけよ」
―――え・・・
 私は絶句した。だが・・・
「悪意のある誰かが、ママの通帳とその十本を銀行へ持って行って、どれが銀行印かわからなくなったと言ったら、銀行がどれが登録印鑑か教えてくれるでしょ」
「いいえ、教えてくれないのよ。私の銀行じゃ。ちゃんと確認したわ。本人確認ができる書類がなければ、どれが銀行印か絶対に教えないそうよ」
 母の相変わらずの明晰さに私は舌を巻いた。
 盲目の母は命綱とも思っている銀行印を隠す場所に苦労した。庭の薔薇の鉢植という最高の場所がだめになったため、考え抜いたのが十本の印鑑の中に隠すという手であった。
 いまや、兄も兄嫁を信用できない母は、なんとしてでも安全な印鑑の保管場所が必要であった。銀行の貸金庫という手もあったのだろうが、その場合はまた、金庫の鍵の置き場所を考える必要がある。十本の印鑑をつくることで、貸金庫と変わらないセキュリティをつくることができるのなら、その方が手軽である。
「冴えてるでしょ、私」
「たしかにね」
「でも、わかったでしょ?」
「なにが?」
「淳平や佳織さんが、私のお金を狙っているっていうことが、本当だってことが。そんな気がないなら、なぜ、淳平は、私の引き出しに袋に入れて置いておいた印鑑を、みつけたのかしら。私の持ち物や、印鑑に興味がなければ、そんなこと、知りもしないはずだわね」
 たしかに、母の言う通りであった。
 ミラノの街角の風景は魅力的であるけれど、東京と本質的に何も変わらない。だが、サイン社会のここミラノでは、印鑑の保管に頭を悩ます必要もなければ、それを身内に悪用されないかと心配する必要もないのである。いまだに印鑑が重要な生きる道具である日本という国が疎ましい。
 やはり帰らなければならない。
 帰って、何が起きているのか、確かめなければならない。
 私は覚悟を決めた。
 
 アリタリア・イタリア航空786便が十一時間五十分のフライトの後、私の疲れ果てた身体を成田空港のターミナルに吐き出したのは、朝の十時十五分であった。新幹線で大阪経由で福井に着いたのが夕方の四時。駅のそばでレンタカーを借りた。
 兄に電話をかけた。
「今どこだい?」
「福井に着いた。レンタカー借りたから、今からそっちへ行くわ」
「僕らももうすぐ、越前岬だ。福井からだと一時間ぐらいかな・・・『越前水仙の里公園』っていうところがあるから、そこで合流しよう」
「わかった」
 兄の声を聞くと安堵する。不吉な予感に駆られて、はるばるミラノから帰ってきたが、兄の声に切迫感はなく、いつもの柔和な喋り口である。
「じゅんちゃん?」
 母の声だ。
「ただいま。帰ってきたわよ」
「良かった・・・早く来てね。外は寒いし、道が濡れてて滑りそうだし、風が強くて、海が荒れている音がするわ」
 母の声には、静かに抑えこんだ恐怖の色がある。
 私は我に帰った。
 と、電話口に兄嫁の声。
「でも、お母さん、ここでも、斜面に水仙がポツポツ咲いているわよ。きっと、棚田に行ったら、満開で凄いですよ。だいたい、越前の水仙を見たいって言ったの、お母さんでしょ・・・ああ、じゅんちゃん? お帰りなさい!」
「ただいま。いつも、頼りっきりでごめんなさい」
「いいのよ、じゃあ、あとで」
 通話は切れた。
 急がなくっちゃ、私はアクセルを踏み込んで日本海へ急いだ。
 目が見えれば足がすくむような越前海岸の絶壁に、ふたりは水仙の花をエサに母を誘導するかもしれない。目の見えない母が足を踏み外し・・・
 不吉な想像がありありと膨らんで、胸の中ではじけた。
 そして、突然、思い浮かんだ。
「7653」とだけ書いた手紙のことだ。
 あの手紙は、母から来たものではないのか。
 きっと母は銀行印だけでなく、キャッシュカードの暗証番号についても、どうやって覚えておくか悩んでいたに違いない。兄夫婦が簡単に想像がつくような暗証番号だったものを、心配になって最近変えたとする。覚えにくい番号にすると推測されにくいが、忘れてしまうかもしれない。いざというときのために、どこかに書いておけばよいが、母は盲目であるし書けば誰かに読まれてしまうかもしれない。
 そこで、私宛に手紙を書き送ったのではないだろうか。
 まるで、私という他人の脳裏に、番号だけを刻みこむために。
 差出人不明のあんな手紙を受け取れば、誰だってその番号を忘れない。将来、母が番号を忘れてしまった時に、電話をかけて種を明かしてその番号を尋ねればことたりる。
 不審な手紙の話を、私が兄や兄嫁に話す危険はあるが、いまのように、まさか突然帰ってきて、兄たちと合流することは、想定外だったのだろう。
 母の頭の良さに今さらながら感心した。同時に、いかに自分の資産を守るかということに、神経質に細心の注意を払っているかということを理解した。
 暗闇に閉ざされた母。兄と兄嫁の家で世話になっていて、外出もままならない。ふたりは自分の資産を狙っているようだ。
 母の置かれた環境を思えば、その一見不思議に思える行動も理屈が通っているのである。いや、むしろ、考えうる最高の方法を選んで実行しているとも思えるのだ。
 県道を三〇分程走って、日本海に出た。
 左は崖に区切られた空、右手には青い日本海が広がっている。どうやら風も止んできたようだ。想像していたような岩を噛む波はなく、穏やかな海面であった。
 
 「越前水仙の里公園」の標識をみつけ、左折する。駐車場に車を入れて、コートをはおりながら、水仙ドームを目指して早足で歩いた。
 ドームの建物の玄関そばで、兄がひとりで立っていた。手には花の咲いた水仙の鉢をビニール袋に入れてぶら下げている。
「やあ、ご苦労さん。ミラノから、一気に来たんだろ? そんなに急いで来なくてもよかったのに」
 高価そうな革のコートを着たちょい悪オヤジという言葉がぴったりくる風貌の兄は、いつもの人懐っこい笑顔であった。
「さすがに、ちょっと、疲れちゃった。で、ママたちは?」
「水仙の段々畑の方へ先に行ったよ」
 兄について行くと、急斜面に段々畑が広がっている場所に出た。そこには、白い水仙の花が無数に咲いていた。
 その景色に驚嘆した私は思わず言った。
「綺麗なものね」
「ああ・・・佳織は来たことがあるらしくてね。いい場所があるからって、先に行ってる。さあ、こっちだ」
 兄の後について、段々畑に踏み込んだ。その道は観光用に整備されているものではなく、雨のなごりでまだ湿っており滑りやすかった。
「足元、気をつけてな」
「綺麗なのはわかるけど、こんな道、ママ大丈夫なのかしら」
「佳織がついてるし、ゆっくり行きゃ大丈夫だろう」
 しかし・・・どんな絶景の場所に連れて行ったところで、母は目が見えないのだ。
 なぜ、兄嫁は母をこんな危険な場所へ連れて行きたいのだろう。
 兄の笑顔に薄れていた疑念が、また私のこころに黒い影となって広がった。

 兄嫁と母は水仙の段々畑の間に、広げたシートの上に肩を寄せて座っていた。
 たしかに、座っていた。
 母は、すくなくとも、まだ、安全であった。
「ママ!」
 母が私の声に気がついて、どこにいるのかという風に左右に首を振った。もう一度、ママと叫ぶと、私の方を向いて笑った。 
 その距離からでも、サングラスをかけていても、母の笑顔がいつもの暖かな笑みであることがわかった。
 間に合った。
 私は足元に注意しながらふたりに近づいた。
 母の隣に腰を降ろし、肩を強く抱いた。
「じゅんちゃん、ほんとうに、帰ってきてくれたのね。ありがとう」
 皺だらけのサングラスをかけた顔を私に向けた母は、毛糸の帽子をかぶり毛布を身体に巻きつけていた。  
「遠かったでしょう」
「どうせ、一回、帰りたかったからいいのよ」
 兄嫁が母の向こうからその美しい顔を見せて言った。
「ご苦労さま。わざわざ、こんなところまで連れだしてごめんね。でも、ここ、素敵でしょう?」
「ええ、たしかに」
 兄は手に下げていた水仙の鉢を兄嫁に渡した。
 兄嫁はありがとうと言って、袋から水仙の鉢を取り出すと、母の膝の上に出した。
「さあ、お母さん、淳平さんが水仙買ってきてくれたわよ。さあ、お花触ってみて」
 母は左手で鉢に手を添え、右の手をそっと前に出して、星のように広がる水仙の白い花びらにそっと触れた。花の形をたしかめるように、六枚の花びらの輪郭を人差し指と中指の先で辿り、中央にある筒状の黄色い花弁に触れた。
 そうだ、母はこうしないと水仙の花を「見る」ことができない。触れなければ「見る」ことはできないが、繊細な花は触れられればその生命を縮めることになるかもしれない。母に存分に水仙の花を「見てもらう」ためには、買い求めた水仙を母に持たせてやるほかないのである。
 私は改めて眼前に広がる光景を見た。
 急斜面に海岸まで続く棚田。緑の階段には水仙がいたるところに白い花を咲かせている。棚田は突然荒い岩肌で途切れ、白い波がその岩を縁取っている。先に広がる海は夕方ですでに青さを失っている。そして、広がる海はかすかに湾曲して空との境界を描いている。幾つかの雲をたなびかせた空は、海まで数センチに迫ったように見える太陽に赤く染まっている。
「じゅんちゃん、ちょっと、目をつむってみて。水仙の花の香りがするわよ。潮の香りも」
 私は言われるままに瞳を閉じた。
 カモメの鳴き声と、波の音がした。
 冷たい潮風が頬を撫でる。
 たしかに、水仙の花と潮の香りがするのだろう。匂いに鈍感な私には、佳織さんや母がいま包まれている、その水仙と潮の香りがどんなものか、はっきりとはわからない。でも、たしかに、かすかに花の甘い匂い、塩っ辛い潮の香りがするような気がする。
「いい香りよ」
 そう言ったのは母であった。
「日本海の夕陽の匂いもする」
 まさか、と私は言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。 
 私にはわからないが、視覚を失ったことで感覚を研ぎすませた母には、夕陽の匂いがするのかもしれない。否定してみたところではじまらない。
 兄嫁の顔を伺うと、兄嫁は幸せで仕方がないというような表情で微笑み、右目でウィンクを送ってきた。
 兄嫁は言った。
「空は夕陽で真っ赤にですよ。夕陽が水平線に届くまで、あと3センチぐらいかな」
「どうりで、匂うはずね」 
 そうして、兄嫁がどんな思いで、母をここへ連れて来たがったのか、私はやっと理解したのだった。
 その美しく少しオーバーアクション気味であるが故に裏があるような兄嫁の表情の裏には、悪意が隠されていたわけではなかったのだ。
 ここは、兄嫁が意図した通り、盲目の母にとっても、水仙や海や夕陽が、はっきりと見える場所なのである。
 母はほんとうに満足気な表情をして、その皺だらけの顔を冷たい潮風に向けていた。

「ねえ、お兄ちゃん、今日は車で来たの?」
 私は背後に立って海を見ていた兄に尋ねた。
「ああ、頼んでたクアトロポルテが来たからな」
「それって、高いの? 何百万もするとか?」
「馬鹿。二千万だよ」
「あいかわらず、稼いでるのね」
「当たり前だ」

 その日、金沢に戻った私たちは、兄の予約した料亭旅館にともに泊まり、美味しい蟹をいただいた。
  兄はたしかに母の資産の管理に懸念をもっていたのだが、印鑑の件も不審に思ったヘルパーさんから聞いただけで、奪おうなどという悪意があったわけではなかった。
 数日、日本にいて、私はクリスマス直前にミラノに帰った。
 帰国中に再会した古い友人の夫が、たまたま着物のビジネスに詳しいというので、着物の買取価格について尋ねてみた。どうやら、母が資産だと思って大事に保管してきた着物たちは、アクが出たり変色していたり、また、小柄な母の体型では、今の人には丈も裄も足りなくて、いくら高級ブランドのものであっても、そういうものは値段がつかないのだと聞いた。母から聞いた値段であっても、なんら不思議ではないとのことであった。
 兄を、そして、特に兄嫁を疑って悪かったなと今では思っている。
 庭の土から、母が隠した印鑑も出てきたそうだ。
 おかげで母の兄嫁に対する疑いは薄れたらしく、その後、母は兄嫁とともに薔薇の栽培に熱心になっているという。薔薇はよく育ち、さまざまな品種の花が咲き誇っているらしい。きっと、庭にはさまざまな薔薇の香りがただよい、あるいは、ミツバチが飛んでくる音がしたりして、暗闇にいる母を楽しませているに違いない。

 ちなみに、私は帰国中に、母をなんとか説き伏せて、病院へ連れて行くことができた。
 たしかに母の脳には萎縮傾向が少し見られるということで、今では兄嫁や兄が通院させているはずである。
 病院へ連れて行った時、病院のそばに母の口座がある銀行の別支店が見えていた。
 待ち時間があった。
 私は自分の推理が正しいか知りたくて仕方がなくなった。
 母のかばんの財布からキャッシュカードを抜いて、母を待合室に待たせたまま、その銀行のキャッシュディスペンサーに走っていった。
「7653」
 正しかった。
 私はキャッシュカードを母の財布に戻したが、その時、試しに下ろした限度額の50万円は、返すのを忘れたままだ。
 いつでも返せるからいいか、そう思いながら、ユーロに両替してしまったことに、すこし罪悪感を感じている。
 

photo by Lee Royal