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再び『産経新聞』を批判する――朝鮮学校と高校「無償化」問題⑤

 『産経』が再び「【主張】高校無償化 朝鮮学校の説明は不十分」で朝鮮学校を排除せよと絶叫している。内容を要約する必要は無いだろう。『産経』の主張の要点は、①政府に朝鮮学校の教育内容精査を要求していること、②その際、教育内容が新教育基本法(「我が国と郷土を愛する」)に合致するかどうかをチェックすることの二つに絞られる。

 ①について、「単なるカリキュラムの調査だけでなく、同胞教育の中身の精査が必要である」と息まいていることからも、他の報道機関とは異なり、教育「課程」と教育「内容」の違いを十分に『産経』がわかった上で、意識的に教育「内容」の調査へと政府を踏み込ませようとしていることがわかる。『朝日』的擁護論(必ずしも『朝日』だけではない)は教育「内容」の変化をもって、朝鮮学校を高校「無償化」から排除するなと言っているわけだから、恐るべきことに現在のマスメディアのレベルでは①についてはほぼ反対意見はない(いわば擁護論者が教育「内容」に「問題」が無いことを勝手に保証しているだけだ)

 ②については、『産経』が新教育基本法を持ち出しているところがミソである。おそらく『産経』は拉致問題そのものにはさして関心がない。いわば教育「内容」への干渉のための口実のようなものだ。本当に注目すべきところは、①で行うことを主張する教育「内容」へのチェック基準に新教育基本法を持ち出していることである。すなわち、朝鮮学校が「我が国と郷土を愛する」教育内容を持つことが確認できなければ、高校無償化にいれることはできない、と言っているのである。もちろん「我が国」とは日本である。新教育基本法に即応した朝鮮学校など、矛盾でしかない。

 『産経』は①と②のチェックをクリアすれば高校「無償化」に包含しても良い、と言っているわけではない。おそらく『産経』が最良のものとして描いているシナリオは次のようなものであろう。政府が朝鮮学校の教育「内容」精査に踏み込み、かつそれを「事業仕分け」的な形で公衆の面前にさらし(ここまでは『朝日』も認めている)、しかもその「内容」が新教育基本法の基準にあてはまるかどうかを延々とストーカー的に追い回した(『産経』だけでなく各紙共やるはずである)上で、結論として高校「無償化」から排除する、というものである。

 このように見ると、実は『産経』にとって非常に重要なのは①の政府による教育「内容」の精査だということがわかる。②の新教育基本法によるチェックという土俵まで引きずりだせば、朝鮮学校は新学期早々、政府や報道機関によってめちゃくちゃにされることは目に見えている。とにかく教育「内容」をチェックせよ、というところまで政府を動かせば極右にとって極めて有利な土俵ができる。

 だからこそ、絶対に政府による教育「内容」精査を認めてはならないのである。もう少し具体的にいえば、拉致問題と人権問題を混同するな、とか、肖像画は他の学校でも飾っているなどといった次元での「反論」は、むしろ教育「内容」精査への動きを加速化させるだけであって、百害あって一利無しだ。再三主張しているが、そもそも高校課程相当の各種学校は高校「無償化」の対象とすると閣議決定したにもかかわらず、「高校課程相当」かどうかの判断を超えて、朝鮮学校のみ教育「内容」の精査をすることは明白な差別であり、教育内容への干渉である。ここが最重要ポイントなのである。

 再度強調するが、①を全く問題にしない『朝日』的擁護論は逆に朝鮮学校を追い詰めることになるだろう。しかも『産経』のみならず、『朝日』的擁護論も暗に政府が「内容」を精査したほうがいいと思っている節がある。『朝日』が無知でセンスが無いから全く使い物にならない論陣を張ったと考えるのは、おそらく実態を反映していない。『朝日』は積極的に、朝鮮学校が日本社会の好ましいように改造されることを望んでいる。こうした意味で『朝日』と『産経』の対立はほとんど無い。また、この点ではすでに新教育基本法を手に入れた『産経』のほうに分があるといえる。露骨な排除論と同時に、猫なで声の擁護論にも注意すべきだろう。
by kscykscy | 2010-03-01 18:57
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