戦後の民主化の限界
2009年 07月 01日
日本国憲法が新しく制定され、刑事訴訟法が英米法の当事者主義と適正手続原則に沿って全面改正され、刑法も不敬罪やスパイ罪などを廃止するなどの改正があったほか、猛威をふるった治安維持法も特高警察も全面的に廃止されたのです。
それは、国政の「民主化」の最大のチャンスだったのですが、アメリカ占領軍総司令部による上からの改革であったため、戦後の民主化の担い手が育たないまま、わずか3-4年で反動に転ずることになりました。代用監獄での密室取調べの廃止も、死刑の廃止も、陪審制の復活も、そのチャンスを失ってしまい、実際には、戦前の勢力が、政界も官界も、そして司法界も、単に衣替えをしただけで、支配し続けるという状態が維持されたのです。
政界では、東条内閣の閣僚であった岸信介が戦後復活するというのが象徴的ですが、司法界でも、太平洋戦争の開戦時(1942年)の司法実務家に対する「思想実務家会同」の席で、「そもそも大東亜戦争は、究極するところ米英旧秩序の根幹をなす民主主義、個人主義・・・を覆滅し、皇国の道義を世界に宣布せんとする一大思想戦に外ならぬ」という「指示」を行っていた当時の池田克刑事局長が、戦後(1954年)最高裁判所の裁判官に任命されているという現実があります。
今回の「裁判員法」が、本当に戦前以来の官僚司法の民主化につながるのかという観点からの歴史的な分析が欠けているように思われてなりません。