警察による大犯罪を見て見ぬふりの最高裁
「世田谷通信」でもお伝えしたけど、高知の白バイ事故の片岡晴彦さんの上告が、最高裁に棄却され、片岡さんの刑が確定してしまった。だから、片岡さんは、数日中に、無実の罪で刑務所へ収監される。「禁固1年4月」の実刑だ。完全なる冤罪、それも、捜査ミスによる冤罪ではなく、県警が身内の白バイ隊員の罪をもみ消すために、証拠を捏造し、仲間の白バイ隊員に法廷で偽証させ、警察と検察と裁判官がグルになって、無実の民間人に濡れ衣を着せるという、前代未聞の大犯罪だ。
まずは、22日に、片岡さんの上告が棄却されたと連絡をくださった支援者のひとりからのメールを紹介する。
きっこさん、おひさしぶりです。
高知のスクールバス事故の片岡の支援者の●●です。
今日、8月22日、最高裁より片岡に判決文が届きました。「上告棄却」でした。結局、願った差し戻しとはなりませんでした。数日の準備期間の後、片岡は刑務所に収監されます。とても信じられません。完全に停まっていたバスに白バイが高速で衝突してきたのを乗車していた生徒や多数の目撃者がいるにもかかわらず、捏造されたスリップ痕と仲間の一隊員の証言だけで「バスは走っていた」とされたのですから。先ほど片岡の家に行ってきましたが、片岡は去年の高裁の時から覚悟はできており「俺より妻が心配。時々見に来てくれ」と頼まれました。奥さんは力なく落ち込んでいました。片岡家だけでなく、生徒たちも大きなショックを受けています。バスに乗っていた生徒たちは、完全にバスが停まっていたと訴え続けてきたのに、市民を守るべき立場の警察に事実を歪められたのですから。大勢の人間が傷つきました。でも負けてはいられません。また、できる事をやっていきたいと思っています。きっこさん、勝手なお願いですが、これからもお力添えのほど、よろしくお願い申し上げます。
‥‥そんなワケで、今日は「いかがお過ごしですか?」はナシにして行くけど、続いては、最高裁の上告棄却を受けての、片岡さん本人からのコメントをご紹介する。
「私は、この事故はバスが停車中に発生した事故だと主張してきました。バスは完全に停車していたのですから、ブレーキ痕など付くはずがありません。もしも本当にブレーキ痕があったのなら、そして、バスが動いていたことが原因でこのような重大な事故が起こったのなら、私はこの世にいません。私はそれほど強い男ではありません。事故の形をきちんと審理してくれたのなら、私はいかなる判決でも受け入れられますが、多くの生徒や目撃者たちの証言をすべて無視された形で、一方的に裁判が終わり、刑に服さなくてはならないということは、とうてい納得できるものではありません」
判決に不服があって、最高裁に上告しても、多くの場合は棄却される。詳しい数字までは分からないけど、上告が受け入れられて差し戻しの審理が行われるのは、全体の数パーセントだって言われてる。そして、それは、新たな証拠や証人などが出て来た場合に限られるそうだ。ようするに、ただ単に判決に不服だって言うだけじゃ、最高裁は門前払いするってことだ。
で、今回の片岡さんの場合がどうだったのかって言うと、事故の翌朝に事故現場を見に来た人が、「そんなスリップ痕などどこにもなかった」と、名乗り出てくれたのだ。つまり、新たな証人が現れたのだ。それなのに、最高裁は上告を棄却した。これは、「バスは完全に停車していた」っていう数多くの生徒たちや、バスの後ろにいた乗用車の校長先生たちの証言を闇に葬り去ったのとおんなじに、「この判決を覆すような証拠や証言はいっさい受け付けない」っていう大前提ありきの対応としか思えない。
もともと、完全に停止してる状態からの「ゼロ発進」で、わずか「6.5m」しか進んでいないバスが、そこで急ブレーキをかけたところで、「1m」ものブレーキ痕など付くハズがないってことは、KSB瀬戸内海放送の実車による実験でも証明済みだ。映像を観た人も多いと思うけど、同一の車種のバスに、当時の生徒たちに乗ってもらって、同一の条件下で、停止状態からバスを発進させる。そして、精一杯の加速をして、6.5mの地点で急ブレーキを踏む。すると、バスは、わずか10キロもスピードは出ていないために、ブレーキ痕などまったく付かずに、その場でピタリと停止した。
逆に、警察が提出した写真の「1mもある真っ黒なブレーキ痕」を付けようと思ったら、最低でも時速30キロ以上は出していないと、物理的に不可能なのだ。完全に停止している状態から、バスの長さほどのわずか6.5mで、時速30キロも出すなんて、フェラーリだってムリな話だ。その上、このブレーキ痕の写真を綿密に調べた交通事故鑑定の第一人者、石川和夫氏は、以下の6点の矛盾点を指摘して、「これは車のブレーキ痕でなく、誰かが路面に描いたものだ」と断定している。
1.車のタイヤのブレーキ痕であれば、路面の凹凸の凸部にだけ付くものだが、このブレーキ痕は路面の凹部にまで付いている。それは、何らかの液体によって描かれたものだからだ。
2.どんなブレーキ痕であれ、必ずタイヤ固有の溝の跡が付くものだが、このブレーキ痕には溝がまったくない。
3.通常のブレーキ痕は、前方より後方が濃くなるものだが、このブレーキ痕は後方から前方に向かって濃くなっている。現実にはありえない。
4.左右のタイヤによるブレーキ痕が同心円を描いていない。これも現実にはありえない。
5.左右のタイヤによるブレーキ痕の先端の色の濃い部分と色の薄い部分とが、ずれ込んでいて、幅も違っている。これは、一度描いたものを後から描き足したということだろう。
6.前輪のブレーキ痕の写真があるのに、後輪のブレーキ痕の写真が1枚もない。通常は、前輪よりも後輪のほうが鮮明なブレーキ痕が残るのだから、バスが走行していたことを証明するのであれば、後輪のブレーキ痕を撮影するのが普通である。130枚もの現場検証の写真を撮影していながら、何故、後輪のブレーキ痕の写真は1枚もないのか。
‥‥そして、誰が聞いても「これはおかしい」と思うハズのこれらの疑問の数々に対して、柴田秀樹裁判長は、こんなにもシラジラしいセリフをノタマッたのだ。
「ブレーキ痕は、一部不合理な点があるものの、それがブレーキ痕自体の存在を否定するものではない」
皆さん、どう思う? これほどの疑問‥‥って言うか、疑惑が山盛りなのに、それを「一部不合理な点があるものの」って抜かした上で、「それがブレーキ痕自体の存在を否定するものではない」って、こんな意味不明な寝言を言うような人間が、よくもまあ裁判長なんてやってられるよね。本来なら、ほんの一部でも不合理な点があったら、イチから調べ直すのが職務のハズなのに、専門家が「これは車のブレーキ痕でなく、誰かが路面に描いたものだ」って断言してて、それを立証するために数々の不合理な点を列挙してるのに、それをこんなヒトコトで片づけるなんて、とても先進国の裁判とは思えない。
その上、この柴田裁判長は、生徒たちや校長先生の証言を「関係者の証言は信用できない」って言って採用しなかった。まあ、ここまでなら、一応はスジが通ってる。だけど、問題なのはこのあとだ。柴田裁判長は、事故直前にたまたま現場を通りかかった、片岡さんとはまったく無関係なドライバーの目撃証言に関しても、「供述者が第三者というだけで、その供述が信用できるわけではない」っていうトンチンカンな理由で、その証言を不採用にしたのだ。
関係者の証言が信用できなくて、その上、たまたま通りかかった無関係な人の証言も信用できないって言うんなら、いったいどんな目撃者の証言なら信用してもらえるんだろう? ようするに、白バイに不利な証言はすべて「信用できない」っていう、シナリオ通りの裁判が行われたってことだ。そして、片岡さんに関してはこれほどまでにメチャクチャなことを言っておきながら、県警側に関しては、事故を起こした白バイ隊員の仲間の証言を採用してるのだ。仲間の隊員なんだから、思いっきり「関係者」なのに、柴田裁判長いわく、「たとえ関係者であっても、警察官の場合は信用できる」と来たもんだ。
ちなみに、この隊員がどんな証言をしたのかって言うと、事故を起こした白バイとは反対車線を走ってて、何百メートルも先から自分のほうに向かって来る白バイを目視してたそうで、「白バイは法定速度を守って走行していた」「バスは動いていた」って偽証してるのだ。自分も白バイを運転してて、何百メートルも先に点のように見える対向車両の速度なんかが分かるだろうか? それ以前に、現場を調べに行った人が、この証言者の白バイの位置から前方を撮影してみたら、道路がゆるやかにカーブしてて、対向車両など見ることができなかったってことまで分かってるのだ。ようするに、身内の不祥事をもみ消すために、上司に命令されて偽証させられたってことだ。
このように、誰が見ても理解できない異常な捜査と裁判によって、無実の市民が刑務所へ収監される。それも、通常の捜査ミスによる冤罪ではなく、県警が身内の不祥事をもみ消すために、証拠を捏造し、現職警察官に法廷で偽証させ、無実の市民に濡れ衣を着せるという、あまりにも酷すぎる大犯罪だ。
今日は、最後に、去年の10月27日の日記、「続・またまた警察のデッチアゲ!」で紹介した、片岡さんからの最初のメールを再掲する。これを読めば、今日まで片岡さんとご家族がどんな思いで生きて来たのか、そして、これからの1年4ヶ月、どんな思いで生きて行かなくてはならないのかが、よく分かると思う。
「きっこの日記」の読者の皆様、はじめまして。
私、片岡晴彦は、この事故を通じて、沢山の方の励ましをいただき、本当にありがたく感じています。
今日は、きっこさんから協力したいとのメールをいただきまして、恐縮しているしだいです。
事故のあらましですが、昨年、2006年3月3日午後2時34分に、春野町の変則3車線の国道上の交差点内で起きた事故です。
私は、中学3年生のお別れ遠足のため、スクールバスを運転し、事故現場の北側にありますレストランで昼食のために、駐車場に待機していました。
そして、2時33分に乗車し、乗員は生徒22名、引率の先生が3名でした。
駐車場から国道上を横切り右折するために、右方を十分に安全を確認してからゆっくりと発進し、中央分離帯付近で一旦停車し、左方を確認中に起きた事故です。
この事故で、白バイ隊員の方は、残念ながら、約1時間後に胸部大動脈破裂で亡くなられました。
私は、隊員の方を、救急隊員と一緒に救急車に乗せ、よろしくお願いしますと見送りました。
そして、実況見分のために現場に待機していました。
管轄署のパトカーがやってきまして、3時04分業務上過失致傷で逮捕します、と言われ、パトカーに乗せられ署に連行されました。
その後、約1時間15分位で現場に連れて行かれましたが、現場は、バスも白バイも撤去されていました。
それから、実地検証のため、覆面パトカーの中から、窓を20センチ位あけられ、指先で停止位置を指示させられました。
私はそのまま逮捕され、十分な実況見分もできないまま、3日間拘留させられました。
翌3月4日の取調べでは、詳しい事故の話はあまりなく、亡くなられた白バイ隊員の家族構成や詳しい経歴などを説明され、私は心情的な面から責めたてられて、本当に追い詰められました。
最後に、遺族に対しての気持ちを一晩考えるようにと言われました。
その内容しだいで、明日釈放してやると言われました。
翌3月5日午前11時頃に、私は釈放されました。
わたしは、どうして釈放したのだろうと思いました。
それから私は、自宅に帰ってからは、亡くなられた隊員の方の冥福をお祈りするため、50日間喪に服しました。
約5ヵ月後に、公安委員会から、行政処分の通知が届きました。
22点で、横断等禁止ということでした。
7月28日に呼び出され、私は義理の兄さんと出かけました。
そして事故の内容を詳しく話しましたが、死亡事故は、すべて取り消しと言われ、何も反論することができませんでした。
タクシーとバスの運転手として一家を支えて来た私にとって、この処分は、手足をもがれたも同然でした。
職を奪われ、何をしようにもする事ができない状態で、助けてくれたのが、妻と3人の子供たちでした。
何とかアルバイトをしながら、周りの方に助けてもらいながら、何とか生活していました。
そして、11月6日に検察庁からの呼び出しがありましたので、ようやく私の話を聞いてくれると喜び勇んで出かけました。
ところが、私の事故とは全く違う事故になっていたのです。
事実とはまったく違う実況見分調書と、ありもしないブレーキ痕の写真を見せられ、このとき初めて、私は、巨大な組織を相手にしているのだという恐ろしさを感じ、頭の中が真っ白になりました。
そして、行政処分のときに相談にのっていただいた弁護士事務所に駆け込み、その場で委任状にサインしてお願いしたしだいなのです。
警察組織にかかれば、一個人では太刀打ちできないことを目の当たりにし、冤罪事件はこのように起きるのだと実感しました。
こんな私どもですが、妻や子供たちのためにも、どうかご支援、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
裁判の流れについては、明日じっくり書きたいと思います。
2007年10月27日
片岡晴彦
「片岡晴彦さんを支援する会」
http://www.geocities.jp/haruhikosien/
「雑草魂」(片岡さんのブログ)
http://blogs.yahoo.co.jp/zassou1954
「KSB 瀬戸内海放送の映像ニュース」
http://www.ksb.co.jp/newsweb/indextable.asp?tid=4&sid=7
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