« プロフェッショナル 仕事の流儀 南場智子 | トップページ | 子どもであることの価値 »

2007/03/09

気合い

 何だか一種不思議な感慨の中にいる。

 先日朝日カルチャーセンターで
竹内薫と話した時、
 竹内が、「学生の時、茂木がしきりに
ニーチェとかワーグナーとか言っていたけれども、
それから丸くなって、社会と適合して、
でもまた今日ニーチェとかワーグナーとか
言うようになって、何だか昔に戻った
みたいで安心したよ」
などと竹内に言われたが、
 確かに、自分でも精神年齢、
というか参照する心の時季がどんどん前に
さかのぼっているような気がする。

 手元は朝起きてから夜眠るまで一部の
隙もないほど仕事で埋まっているが、シャワーを
浴びたり、歩いたり、ふと空を見上げたり
する時に自分の中からわき上がってくる
思念が、ここのところ
思春期からずっと考えてきたことに
連なっている。
 
 それとともに、現代社会で起こっている
様々なことが、まるで影絵のように少し
遠くにあるように見え、
そのようなものと直接関係をもたない
内なるダイナミクスのリアリティを痛い
ほど感じる。

 自分にとって大切なことは何か、
という基準は、世間で大手を振って歩いている
巨大概念とは明らかに違う。

 その違いについて、うろうろごたごた
するのではなく、
 ずれてもいいや、知ったことか、
 オレは内なる力動を大切にする
という覚悟のようなものができて
きたのだろう。

 昔、養老さんに「茂木くんは精神の発達が
遅い」と言われたことがあるが、
 ボクは今やっと二十歳くらいなのかもしれない。

 先日塩谷賢と話していた時に、私が
人を判断する時の基準のひとつは「気合い」
だと思った。

 世間の基準に予定調和にはまってそれ以上
省みない人ではなく、「気合い」の入った
人が好きだ。

 池上高志、郡司ペギオ幸夫、塩谷賢、
田森佳秀、白洲信哉・・・こいつらに共通する
属性は、「気合い」だろう。

 今日は「気合い」の大先輩、米本昌平さんと
お話する機会があって、本当に楽しみである。
 米本さんが今回訳された『生気論の
歴史と理論』はすごい本だなあ。 

 大切なことは、世間から遠く離れたところに、
原石のにぶい輝きを放って密かに隠れているもの
なのだ。

 その徴候を信じられる人だけに、
宇宙の精神運動はその真の姿をさらけだす。

3月 9, 2007 at 06:16 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 気合い:

» パンセ・・・ トラックバック なんでもあり! です 私の日記!! 
  ココセレブに茂木健一郎氏のイン タビューが   掲載されています。       多忙な中でも更新される日記は   知的な刺激に満ち溢れ   時に、勇気をもらい、励まされることもあります。   その存在意義は、本当に大きいと感じています。   *   昨日は、西尾幹二氏『人生の価値について』の中の   一節を読む機会がありました。   その中で・・・   西尾氏が重症患者ばかりの病棟に入院した時の   ことが書かれています。   その中心課題は、死を目前にした人達の... [続きを読む]

受信: 2007/03/09 6:35:50

コメント

            人は

    見たいものを見て  聞きたい事をきく

    そして 理解するべき事を 理解する

         今を生きるため

投稿: 一光 | 2007/03/10 9:12:37

気概があり、自らの信念に生きる方というのはほんとに魅力的な
方が多いですよね。その生き方が世間と乖離していたとしても、
その方から発せられるエネルギーの輝き、生命の躍動感は他者と
は全く違います。

自分も今の毎日に埋没することなく、常に前を見据えて生きれれ
ば…そんな思いを強くしました。今という瞬間の積み重ねが過去
になり、未来へと繋がる…そんなことを意識しながら、今の自分
の輝きを取り戻すべく、「気合い」で頑張ります!!

投稿: コロン | 2007/03/10 4:01:24

おそるおそる襖をあけてみる。

おつかれさまです。
こんばんは。
今日も会社から閲覧してます。

「精神の発達が遅い」って
養老先生怖いですね。
でも20歳ならいいほうですよ。
私は今朝、これが15歳のときに見た映画
「スタンドバイミー」のことなんだと
ようやく気づきました。

人って一人じゃ生きてゆけないんだな。
気づかないところで助けてもらっていて
色々な人に引き上げてもらっている。

心の奥底から、
気づかせてくださったLINUSさんに感謝のハグ
先生に祝福のキス。

そうそう、
私は英語が話せないので
英語論文をつきつけられるたび
グウの音も出ないことが悔しくて
会社の帰国子女の友達達に助けてもらう
ことにしました。

色々な人に守られていることに気づいたのだし
私なりのやり方で。
チームプレイも素敵でしょう?

さて、デリカシーの無い私は
そろそろ終電
おいとまします。

おやすみなさいませ。
静かな夜が訪れますように。

投稿: oyasuminasaimase | 2007/03/10 0:06:45

今、私には茂木さんが足りない!
先日朝カルで充電させていただいたばかりだというのに!

「気合い」系の方々をゲストとして
朝カルにお呼びいただけないでしょうか?
でも郡司さんだけは、寒い季節に来ていただけたら
嬉しいです。
冬は何を着ていらっしゃるのか気になっていたのです。。。
まさかアロハシャツ10枚重ねなのでは!と(笑)。

いつもよりリラックスされて、暴走する茂木さんを
拝見できるのでは?と楽しみです。

投稿: まり | 2007/03/09 23:16:25

「気合い」…確かに一種の気合い無くして、
おのれの内なるダイナミクスを知覚することは難しい。
しかし、それを知覚出来ている人が、
日々若くなっていくのではないか。

茂木先生が、ニーチェやヴァーグナーに
回帰しつつあるというのも、
精神の内なるダイナミクスを実感しつつ、
若返りつつある、という何よりの証拠であろうと思う。

おそらくは、自己内面のダイナミクスの中に、
宇宙の精神運動と同じ精神運動が起こっているのではないか。

世間基準の予定調和の中に
ドップリコと浸かっている人には、
そのダイナミクスをリアリティをもって
知覚することは出来ない。

この社会を覆い尽くす“巨大概念”とは関係ない所に
「大切なこと」はダイアの原石の如く秘められている。

世間に足をしっかりつけて
生きることは大切なれど、
1度、日々の喧騒から離れて、
うん!と気合いを入れて、
おのれの内面と対話することも
人生には大切なことかも知れぬ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/03/09 18:35:35

仕事でも勉強でも趣味でも、何でも気合いの入った人が好きです。常に自分もそうありたいと思っています。先日、習っているフラメンコ教室に、明らかに「やる気のない人」がいました。遅れてきて、レッスン中も鏡で衣装のチェックばかりして、踊りの間、両手は腰に置かなくてはならないのに、だらんとおろしたまま・・。ひとごとでも、もったいないなーと思ってしまいます。私も茂木さんのような、見かけは柔らかいけれども、芯は気合いの入っている人間でいたいです!

投稿: 菫 | 2007/03/09 14:16:50

ニューロネクスト(matsu)です。

>池上高志、郡司ペギオ幸夫

私が大学時代に「複雑系」などが流行って、『現代思想』(青土社)などを読みあさっていたころ、池上教授やぺギオ教授の研究内容に没頭していました。

そして、勢い余って、神戸大理学部のぺギオ教授の研究室まで行ったことすらあります。
結局、不在でお会いすることはできませんでしたが。

そして、その後普通に社会人になり、いろいろと一般社会との適合不全を起こし、自信を無くし、精神を病むほど悩んだり、自己防衛のために「丸く」なったりもしました。

それでも最近、思い切って環境を変えて、ようやく昔(本来の)自分に戻って「気合い」を入れ直し、これまでにない“新しい次元のsomething great”を創出するという機運が巡ってきました。

>大切なことは、世間から遠く離れたところに、
>原石のにぶい輝きを放って密かに隠れているもの
>なのだ。

>その徴候を信じられる人だけに、
>宇宙の精神運動はその真の姿をさらけだす。

宇宙の精神運動とは、実は自分の内部運動であり、その原石を輝かせるのは、他でもない自分次第なのです。

自立し、そして、創造する(秘められた原石を輝かせる)。
創造とは、調和的なものではなく、極めて自己中心的なものだと考えます。
しかし、その創造は同時に、後から考えれば「必然」と思えるほど調和的なものだったりします。

投稿: ニューロネクスト(neuronext) | 2007/03/09 13:04:14

この記事へのコメントは終了しました。