「週休3日」より「無給労働」の禁止と「有給休暇」の完全取得を

「週休3日制」導入による経済・社会変革を

http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0277.html
第1に、労働生産性の向上である。現行の週休2日制では、5日間連続で勤務することとなるため、木曜日、金曜日あたりになると心身の疲労により労働生産性は低下してしまう。ところが、仮に水曜日を土、日に次ぐ第三の休日とすれば、連続勤務日数は2日間となり、心身ともにリフレッシュされた状態を保ちながら仕事することが可能となり、勤労意欲ひいては労働生産性の向上に寄与するだろう。加えて、企業側においても、週休3日制の導入により従来5日間でさばいていた業務を4日間でさばかなければならなくなるため、生産性向上のための抜本的な対策(IT利活用の見直し、ワークシェアリングの導入など)を真面目に検討する良いきっかけにもなるだろう。

残念ながら、今の日本ではこうはならないだろう。

バブルの頃、人手不足に陥った企業の一部で「週休3日制」を導入したところがあったと聞く。しかし、現実には週休3日をやると「仕事の勘」を取り戻すのに時間がかかるようになり、効率が落ちるということで週休3日制をやめてしまったと聞いたことがある。

しかも、今はバブルの頃とはまるっきり逆。人が余り、仕事が足りない状態。

こんな中で週休3日制を導入したらどうなるか。

まず企業が動く。週5日働いていたのが、週4日になるのだから、給料も2割ダウンだ、と言うだろう。手取りで20万円もらっていた人は16万円になる。
もうひとつ。週4日ということは週の約半分が休みだ、という印象になる。どうせ週の約半分が休みというのなら、本当に週の半分を休みにして、2交代制にしてしまえ、という考え方も出てくるだろう。すなわち「月15日労働制(隔週休4日制)」のチームを2チーム編成すればいいということになる。
年中無休で動くファミレス、ファストフード、スーパーなどの小売店の現場や、工場のライン工など、スキルをそれほど必要とせず、労働を時間で区切ることが容易な職業はますますこういう労働形態が進むだろう。また、月15日労働制となれば、正社員の多くをパート扱いにすることが出来るため、企業サイドとしては、従業員の各種保険料を納めなくてもいいことから、人件費をかなり抑止することが出来るため、積極的にこの制度を導入することになるだろう。
つまり最終的には月20日労働制(週休2日制)が月15日労働制(隔週休4日制)になるのだから、給料は単純計算で25%ダウンするということになる。
当然これでは暮らしていけない、という家庭が続出することになり、新たに職を求める人がわんさか出てくるようになる。しかし、今までのような週5日働くコア労働者と、週2日働く補助的労働者という働き方の区分は無くなり、すべてが月15日労働制という働き方しか無くなるのだ。結果、運よく(?)2つ目の仕事にありつけた人は休みが無くなるということになる。ところが個々の企業では月の半分は休みを与えている、ということになるので労働基準法違反にもならないのだ。週休3日にして余暇を増やそうという目論見は、結果的に余暇を無くすことになってしまうのだ。
一方、2つ目の仕事をしない人は収入が25%減ったままということになる。月20万円の手取りが15万円になり、月30万円の手取りは22.5万円になる。破滅的だ。余暇どころか、食費すらケチるようになるレベルだろう。月16万円の手取りが12万円になる。ここまで減ると、現在の地方の最低賃金並だ。あらかじめ持ち家を持ってるような人か、公営住宅に住んでるような人以外は生活の破綻が見えてくるレベルだ。
つまり、どっちに転んでも余暇にお金を使おうという話には程遠い状態になるのは明らかだ。

そもそも論から言えば「余暇でお金を巻き上げましょう」という論点からスタートしている時点ですでに賛同は得がたいだろう。
今の世の中「お金がない」から話がスタートしない議論はもはや成立しないといっても良い。こんな話ができるのは、論者の収入が安定的にかつ潤沢に確保されているからなのだ。

それでも、庶民ではなくお金持ちにお金を使ってもらいたい、という理屈は良く分かる。
しかし、今お金持ちの気持ちはそうではないと聞く。今お金持ちはお金を使わなくなっているのだとか。
その理由は「昔はお金を使うと周りの人が羨ましがってくれたが、今は妬まれるだけ。わざわざお金を使って妬まれるぐらいならお金を使わないほうが良い。」ということらしい。
逆に言えば、庶民はお金を得ることやお金を使うこと自体に魅力を感じなくなっているのだ。
その表れがこれらの記事だろう。

モノと距離をおきはじめたイマドキの若者〜『欲しがらない若者たち』

http://www.webdoku.jp/tsushin/2010/01/27/007264.html
 年配のビジネスパーソンたちは、今の若年層に感じる違和感が、1980年代の"新人類"や90年代の"コギャル"たちに感じたものとは、質の違うものだととらえている。若き日の団塊世代やバブル期の若者、そして90年代のギャルたちも、声高に自身のライフスタイルを主張していた。しかし、今の若年層はいわば"静かな若者"。消費動向を集約すると、「車に乗らない。ブランド服も欲しくない。スポーツをしない。酒を飲まない。旅行をしない。恋愛に淡泊。貯金だけが増えていく」、となるのだそうだ。そして、これらはリーマンショック以前から見られる傾向で、なにも景気変調、雇用と所得の急激な悪化ではじまったわけではないのである。

「食べていける収入あれば十分」過去最高 新入社員調査

http://www.asahi.com/business/update/0118/TKY201001180420.html
「人より多くの賃金を得なくても食べていけるだけの収入があれば十分だ」との問いに「そう思う」と答えたのは47.1%。「そう思わない」と答えた割合(52.9%)よりは低いものの、2006年にこの問いを始めて以来、春秋を通じて最高となった。春の調査(36.2%)との差が10ポイント以上開き、上昇幅も最大だった。

お金もモノも、手を伸ばしても届かない「お星様」になってしまったのだ。

しかし、これは結果のひとつであって、問題の本質はここではない。
「余暇を与えれば、お金を使うだろう」
この考えそのものが浅ましい。いかにも余暇産業、レジャー産業サイドからみた視点だ。

お客側から見たら
「暇が出来たら収入が減る。使うお金も減るんだから余暇にお金なんか使う余裕はない」
と考えるのが普通だ。

労働環境を週休3日にしても意味がないのだ。
「働かないんだから賃金は無し」
っていう発想から抜け出さない限り、いくら祝日を増やそうが、休日を増やそうが、余暇にはお金を出さない・出せないのだ。

なぜこうなるか。話は簡単である。
日本のお家芸である「無給労働(サービス残業)の暗黙的強制」と「有給休暇の暗黙的取得禁止」が余りにも横行しているからなのだ。

これを徹底的にやめさせるだけ。
「無給労働(サービス残業)」を厳しく取り締まり、「有給休暇」を徹底的に取得させればいいのだ。
どちらも実施不十分なときは企業に致命的なダメージを与えられるほどの強力な罰則なり金銭的な負担を課せばよい。

今の日本は「働かないんだから賃金は無し」どころか「働いても賃金は無し」であり、余暇にお金を使うどころか労働してもお金がもらえないのだ。
これを解消した上でさらに「有給休暇」を徹底的に取得させなければならない。
有給休暇とは何か。読んで字のごとく「給料が有る休暇」だ。言い換えれば「働かないけど賃金がある」状態。

余暇にお金を使うということは有給休暇と同義であるあるといってもいいだろう。時間とお金をセットで渡さない限り、時間とお金を消費するはずがないのだ。
有給休暇無くして余暇消費無し。こんな簡単な理屈なのに、なぜここにまっすぐ向かっていかないのだろうか。

これも簡単。お金を出すのは何処かの誰かで、それで儲けたいのが私、という構図から抜け出せないからなのだ。

かつて「車が売れない」と嘆いたトヨタ自動車に対し「当たり前だろ、下請けや従業員から搾り取った利益で儲けているんだから」と反論が飛んでくるのと本質的には変わらないのだ。
車を買って欲しかったら、車を買えるだけの給料を出せ、ということであり、余暇に消費して欲しかったら、時間とお金を出せ、ということなのだ。