
骸骨は世界中で昔から様々な作品のモチーフとして用いられてきた。日本では野辺にさらされた人の頭蓋骨のことをしゃれこうべ(されこうべ)と言うが、これは、「晒され頭(こうべ)」が語源となっており、死の象徴とされている。
江戸時代から明治時代に描かれた浮世絵や日本画にもドクロが登場する作品が数多く存在する。著名な浮世絵師が手掛けた骸骨は趣深いものがある。
歌川国芳 「相馬の古内裏」 1845年頃

相馬の古内裏は、『善知烏安方忠義伝』という物語の中の、滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が大宅太郎光国に襲い掛かる場面で、原作では等身大のたくさんの骸骨が現われるところを、歌川国芳は1体の巨大な骸骨として描いた。ヨーロッパの医学書の骨格図に基づいた非常に写実的な骸骨はそれまでの浮世絵には無い凄みを画面に与え本作品を国芳の傑作の一つたらしめている。
歌川国芳 「於岩ぼうこん」 1848年

お岩の怨霊として骸骨が取りついている
歌川国芳 「国芳もやう正札附現金男野晒悟助」

歌川国芳の寄せ絵。猫を寄せドクロに見立てて着物の柄に仕上げている。ゲタもドクロに見える。
歌川国芳 「源頼光公館土蜘作妖怪図」(1843年)

表向きは平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治を描いたものだが、本当は土蜘蛛を退治するどころか妖術に苦しめられているのは頼光と見せかけて実は、将軍徳川家慶であり、国家危急の時に惰眠をむさぼっているとの批判が込められている。


葛飾北斎 『百物語』より「こはだ小平次」

小幡 小平次(こはだ こへいじ)は、江戸時代の伝奇小説や歌舞伎の怪談物に登場する歌舞伎役者だがモデルとなった役者が実在したことが知られている。幽霊役専門の役者で、役者として名をあげた後、殺害され自分を殺した者のもとへ幽霊となって舞い戻ったという。
月岡芳年『新形三十六怪撰』より「地獄太夫悟道の図」

『新形三十六怪撰』は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師・月岡芳年による妖怪画の連作のうちのひとつ。
月岡芳年『新形三十六怪撰』より「清盛福原に数百の人頭を見るの図」

襖の取っ手と月が重なって髑髏に見えるよう描いてある。
月岡芳年 「新撰東錦絵 一休地獄太夫」

一休が地獄太夫に竿にさしたドクロをかざす
月岡芳年 「和漢豪気揃 髑髏」

歌川広重 平清盛福原にて怪異を見る図」

平治の乱で勝利した清盛に武士の怨霊が髑髏となって襲いかかるところを描写した作品。
小林清親 「地獄太夫」

地獄太夫は室町時代に実在した遊女で、山賊にかどわかされて苦界に身を沈めたのだが、これも前世の不信心ゆえであると・懺悔の心を込めて自らを「地獄」と名乗り、地獄模様の着物を羽織って仏の御名を唱えながら客を送り迎えたという逸話がある。
この絵の三幅対になっており、楽しく骸骨が飲んで踊っている中央に地獄太夫が立っている。
河鍋暁斎 「美女の袖を引く骸骨たち」

幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、河鍋暁斎は、帽子をかぶったイキな骸骨たちが美女に取りついた様子を描いた。
河鍋暁斎 「一休地獄太夫」

河鍋 暁斎 「髑髏と蜥蜴」

ドクロの目からトカゲ。これは「狂」の精神を表現している。
小林清親 「清親放痴 東京谷中天王地」

ポンチ絵と呼ばれる風刺画だそうで、骸骨の警察官が骸骨の母娘を追い払っているところが描かれている。明治政府が公共の墓地の整備に迫られ谷中天王寺の一部を没収したことを風刺した作品。
広重の清盛図は昔見たけど、今見てもすげーと思うわ。
国芳は天才だなーマジで
河鍋暁斎はやっぱ天才だったな
何描かせてもうまいし
浮世絵のポーズや構図には作法があって骸骨になってもそれは変わらないのだなと、当たり前と言えば当たり前のことを改めて思った。
一休さんのはアニメで見た記憶というか、人格形成の半分を担ってるわ。
めでたい正月が、実は死に一歩近づいたという・・
最初のヘビ髑髏ペルソナで見た
国芳の感性は現代で言うウェブ絵師に近い。
ナルトでうちは一族が使う忍術スサノオは国芳のデカい骸骨あたりからヒントを得ていたりしないかなあ
もうじき太田記念美術館ではじまる妖怪展たのしみだなあ
去年は三館合同の全部行った。展示替えも行ったw
河鍋暁斎の地獄太夫は去年来たクリーブランド美術館のやつが
キモノがめちゃくちゃきれいですごかったなあ
「国芳もやう正札附現金男野晒悟助」の着物の模様の髑髏はよくみると猫だよ。
ほんとすばらしいね
「和漢豪気揃 髑髏」のドクロなんかかわいいな
高度な手法の浮世絵が普通に流通し
見られていたってすんごい時代だ
現代人なんかよりも頭蓋骨が身近にあったんだろうな
※15
そうおもうでしょ?
でも本物の人骨を所有するのは禁じられていて
骨格標本は精巧な木工製品だった
国芳も解剖図から模したんだよ
ガシャドクロと言えば国芳だよね!
水木しげるも参考にしたほどだもん
歌川国芳が骸骨、肋骨多すぎじゃね?
西洋画でも女性と死者をモチーフにした絵は数多くあるよね
国や考え方が違えど、根柢の部分ではつながってる部分があるんだろうなぁ
弘前の”ねぷた 髑髏”もすごいぞ!
大きなおどろおどろしい絵と祭囃子で迫力満点
浮世絵のしゃれこうべを見てすぐ思い出すのは落語の『野ざらし』
“いい女なら幽霊でもOK”で妄想爆発な噺
こういう江戸文化(当時のポップカルチャー)は地続きで今の漫画やアニメに繋がってると思う
月岡芳年の絵かっこよすぎ
※22
張飛なら幽霊でも…
北海道の渓谷で本当にしゃれこうべの集合体がはっきり写ったから俺だけはいると確信している
隣のかわいい娘っこも、テレビの美人なタレントも、ひと皮むけばされこうべ。
何にあこがれ苦しむや。やがて誰でもされこうべ。俺とおんなじされこうべ。
香るうなじに惑わされ、やわい素肌にとらわれて、こうべの中はぐーるぐる。
何に狂って苦しむや。やがて誰でもされこうべ。白くてさびしいされこうべ。
鎖国して独自の文化を磨き上げた時代の方がセンスも有るし凄いな
独自の文化だからこそ後世世界的に評価されたけど
現在グローバル化された時代ではこんな文化も生み出せないし
クールジャパンなんか全くダメだろうな
ジャガーバックスだったかな?そんなような名前の出版社から出ていた、日本の妖怪図鑑という本を子供の頃親にねだって買ってもらい、この中の数枚が紹介されていたんだけど、完全トラウマ化した・・・。
歌川国芳の大胆なアレンジ力といいすごくハイセンスだ
野晒悟助の背景の髑髏に見える下駄について、
髑髏の眼窩から芒が生えている図は小野小町の成れの果ての髑髏伝説にちなんだ野晒図、打ち捨てられた下駄の穴からもやはり芒が生えていてこれが野晒図のイメージと重ねて見えるようになっている。
野晒悟助の下駄で訂正。
この芒は生えてるんでなくて太刀の柄に芒で結わえてるようで。
さらに検索したら悟助は色男の侠客だそうなので
伝説上で小町の髑髏を見つけるやはり色男の在原業平に重ねてあるのかもしれません。
万人に分かりやすいエンタメ。
エロ・グロ・ナンセンスのうちのグロ。
月岡芳年の線はもう現代の漫画と同じだね
江戸時代は色々と爆発してるね
和式メメント モリ 良いねえ
いつでも死は側にある どんな人にも平等にあたえられる アダムが神から勝ち得た唯一 最上のもの
私も髑髏の柄の長襦袢を愛用しているよ
あ ハイドロゲンのTシャツもね
書画工芸の定番「野晒し」は、「輪廻転生」を意味する縁起物ですね。「死んでも蘇る」ことから、武家や博徒に愛されました。
北斎の妖怪百景(うろ覚え)って画集がよかったよ
於岩ぼうこん
怨霊というよりスタンド…
数百年前の絵なのに今見てもインスピレーションを与えてくれるというのが凄い。
取り入れたいデザインがいっぱい。
意外とコミカルなのも多くて親しみやすい
ネコドクロなんかはコワカワいいし
最後のポンチ絵、骸骨ペットは猫?犬?
きょとんと見てるのが可愛い
背中に刺青入れたらカッコイイな
外国人「日本人の絵は昔からアニメだ。」
ホラーマンがいっぱい
すごいユーモアがあるな
江戸時代の人「よし。これを能で再現しよう」
「おいやめろ。やっぱ2次元に限る」
かっこいい
月岡芳年やっぱ好きっすわ
地獄太夫でググると創作だという説があるらしい
初見の髑髏と蜥蜴に惹き付けられてどうにもならない
蜥蜴のかわいさと眼窩のフチの薄いところの触れたらパリッと音がして割れそうな描写にゾクゾクする
これぞ狂骨か
美女の袖を引く骸骨 では骸骨が骨だけの扇子持っている て解説を読んだことがあるよ。
やっぱ河鍋暁斎の発想は凄い。