我々は自らを理性的で、客観的な判断ができる存在だと思っていたい。しかし人が抱くバイアス(思い込みと偏見)は想像以上に強いようだ。
最新の研究では、人間は自身のバイアスに一致しない事実は無視してしまう能力が備わっていることが明らかにされている。
人は自分の信じたい説や信念を検証する際、それを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向がある。また一度信じてしまったら、それが誤っていてもなかなかその記憶を訂正することができない。
仏高等師範学校(ENS)のステファノ・パルミンテリ氏は以前ENSやユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンからの研究者でなるチームを率いて、人間はそれが後で痛い目を見ることになっても、最も安易な方法へ偏向することを報告した。
そうした状況において、人はまだ具現化していない未来への影響を認識できないようである。
人は自分が間違っているという頭の中の声に耳を傾けない
今回パルミンテリ氏のチームは、実験的な環境において、バイアスの強さのあまり、人が何か具体的なものを選べる場合でもバイアスにしがみつくことを観察しようとした。
研究には20名の被験者が参加し、2バージョンでなる課題を行なってもらった。課題の基本的な内容は、ポイントが割り当てられた2つのシンボルのうちの一方を選ぶことだ。
最初の課題では、被験者がシンボルを選ぶと、そのシンボルのみのポイントを教えてもらえる。これを何度か行うと、被験者は片方のシンボルは価値が高いことに気づき、そのシンボルを選ぶというバイアスを形成し始める。
次の課題では、選べるシンボルは1つのみだが、どちらのポイントも教えてもらえる。しかし他方のシンボルの方がポイントが高いことが判明してからも、最初の課題で形成されたバイアスの影響を受け、同じシンボルを選び続けた。
このことは、状況が明らかであるのに中々考えを変えようとしない人がいる理由を説明するだろう。「自分が間違っているという頭の中の声に耳を傾けない」のである。
関連記事:人間は偏見の塊である?理性的であることを妨げる12の認知バイアス
常に自分の中にあるバイアスを意識すること
それでも頑張れば、そういったバイアスの影響を低められるかもしれない。2012年の研究によれば、バイアスを打ち払うための強力なツールは、バイアスの存在に気づき、その影響を意識することだという。
だが懸命に取り組むことが重要だ。2015年のカーネギメロン大学の研究によれば、ほとんどの人は自分のバイアスに気がついておらず、それを克服することは容易ではないようだ。
「完全な客観性はおそらく我々が永遠に成し得ないもの」(パルミンテリ)
研究は『PLOS Computational Biology』に掲載された。
via:ucl. / plos/ translated by hiroching / edited by parumo
そもそも偏見が思った以上に弱ければ
主義主張も次第に統一化され
戦争すら無くなるだろうから当然な訳だが
それが教育だろ
日本のマスコミの洗脳報道に騙される世代はいまだに多い
※4
結局情報の一次ソースをマスコミに頼りっきりなのに支配から脱却した気でいる人が大勢居るのが今のネット
賢い人ほど、もしかしたら自分は間違っているかもしれないという視点が常にあると思う。
反対意見にも耳を傾ける。
ネット上の議論を見ていてもそれを感じる。
※6
「あると思う」はその時点で事実ではなくて、感想なのと、感想を別の現象に結びつける行為は、ある意味バイアスですね。
※6
そういえば、自己診断チェックさせると知能が高い人ほど自分に自信がないという判定が出る、みたいな研究結果もあったな。
※6
でも批判的思考と正誤をあえて無視するのは別だよね
批判的思考は大切だ、という皮を被って
自分でも間違っていると分かっていることを主張する人はいるよ
※6
否定するわけではないけど、そういう感覚こそバイアスかかってそう
ポジティブに行こー!
ヒトのありのままの事実より信じたいものを信じるという傾向があるということはそれが生存に役立ってきたということ、その理由は何なのかが長年の謎。
※8
「信じたいものを信じる」という性質が他の要素の弊害、または副産物なのでは?
例えば、経験則の利用。ある問題の解決手段を低コストで見つける場合などは、経験則を利用する事が多いと思う。一々、あらゆる可能性を考慮していては手間と時間が掛かるからね。最適解を探すよりも、手早い経験則の方が有効な局面もあると思う。
それと、物事を常に疑い続けるというのは、尋常ではないエネルギーがいる事ではないかな。「枝から離れたリンゴが地面に落ちる」といった自明の事まで疑っていたらリソースの無駄でしょ。一定以上の信頼性がある物事に関しては、疑う事を省略する必要性もあると思う。
こういったものが「信じたいものを信じる」という性質に繋がっていたりはしないだろうか。
※45
>疑う事を省略する必要性もあると思う。
1日の中で使える決断回数に限りがあるみたいな話を
聞いたことがあるから、さもありなん
同じことを繰り返すような場合は、判断を省略しちゃった方が
他のことを決断するエネルギーに割けるわけだね
まあ脳を通して以外に物を見る手段がない以上、客観なんて幻想みたいなもんだよなあ
それでも出来るだけ客観的でありたいとは思いはするけど
天然ボケの人も基本ガンコだよね
自分を疑う回数が少ないから勘違いが継続される
A型に天然が多く宗教も多い気がしてる
※11
これが偏見です
※36
統計出せば良いのにね
グーグルが協力すれば一日で終わる
詐欺や性犯罪はホントにA型が多いのか
刑務所がデータ出せばすぐに確定出来る
これは科学の話で、頭を抱えるのはコッチだよ
Aはコルチゾールの血中濃度が倍あるし
Oはアドレナリン系の濃度が倍あるから暴力傾向が強い
血液型別の骨格も当然あるし、当然見た目から違う。性質も違う
あなたがどういう理由で頭を抱えているのか説明してごらん?
※36 ※41 ※48
この記事の内容は要約すると
思い込みと偏見で決めつけずに疑いを持ってみろ
という事
科学の基本だけどね、すべてを疑う
俺は疑いを持つ側、君らは偏見で決めつけ人を攻撃する側
それと
黒人に犯罪者が多いのと
黒人だから犯罪者扱いするのは意味が違う
前者はただの統計で、後者は差別だよ
※85
あれだけマイナスついてるのに自分を疑わないってすごいバイアスだな
※86
正確な調査以外をどう評価しろと?大丈夫か?
黒人のIQが低いかもしれない
アジア人の身長は低いかもしれない
自分にバイアスがあるかもしれないからちゃんとした調査を求めてる
自分を疑わないきみとは真逆だよ
俺は疑いを持つ側、君らは偏見で決めつけ人を攻撃する側
アフリカでキリスト教が原人の化石の調査を禁止してたけど
実に宗教的な話ですよね
原人の調査はキリスト教徒への差別や偏見を助長する
そういう考え方の人たちがいたんですよ
※93
いやだからその「自分は絶対に疑いを持つ人間なんだ!」って信じて疑わない姿勢って、何それ、高度なギャグ?
あと自分が最初に偏見で他人を攻撃したのに、それを棚に上げてこっちを悪者にしないでくれるかな。言ってることの意味もわからないし、なんでいきなり黒人の話になるの。
※100
一連の流れを見るに、その人お触り禁止系の人じゃないかしら。
ごく限られた思考や視界しか持たない、典型的な「自分が認めた意見しか耳に入らない、sその他は塵芥と同じ」ってタイプっぽいから構うだけ時間の無駄かと。
突っ込みたくなる気持ちはすごく分かる;
※109
『無敵の人』に出遭ったら、逃げ出しても全然恥じゃないし
※11
ネタにしてもつまらない酷すぎる偏見
※11
……。
(黙って頭を抱えてしまいました)
※11
その後の発言も確認させてもらった上でのコメントなんだけれど……
言いたいことはわかるよ。もちろん、血液型が生理的な差を引き起こしうるのは当然科学的に否定できるものではないしね。そこを否定するのはそれこそ科学的態度とは言えない。ある程度は作用機序の仮説も立てられるのかもね。詳しいことは門外漢だからわからないけれど。
でも、科学というのはいついかなるときも実験が最終的に結論を正当化するものだし、その結論が出るまでは(たとえ如何に仮説が有力であったとしても)正しいと主張するのも科学的ではないでしょう。
今回の件では、あなたは作用機序が存在することから「血液型性格診断は科学的事実」だと主張しているようだけど、仮説だけならいろんなことが言えるし、特に生物と性格なんていう、それぞれに膨大な要素の絡んでくるものについて仮説だけから結論が正しいと論じるのはかなり根拠不十分じゃない?
それに、「骨格の差は見た目からして明らか」と言っているけれど、まさに「見れば明らかだと思ったことが、実際はそうではなかった」ということが多々あるからこそ、統計というものがあるわけで。
要するに、今のように、血液型性格診断の肯定的な結果についての十分に科学的な研究が発表されていない段階で、あなたのように「血液型性格診断は間違いなく実証されるだろう」と言う物の見方はだいぶ偏っているだろう、ということ。疑い気味の保留、位だったらわかるんだけれど。
もちろん全否定してしまうのもどうかとは思うけどね。(ある種の病気に対しての抵抗力が違う、とか言う結果は出ているらしいし、そうなれば当然性格との関連性があってもおかしくはないから)
※124
同じ国に住んでるとは思えないくらい見え方が違いますが
血液型の違いの調査なんて国が認めるわけないだろう
なんなら寄付してくれ。個人でやりたいよ調査を。
放射能は科学的に安全だし、血液型は科学的に違いは無い
これは科学だから信じろ、調査の必要はない
これがGHQの見解
俺は常々「人間は多かれ少なかれ自己欺瞞の奴隷だ」と
自戒を込めつつ思ってるよ。
でも、この実験は「一度焼き付けられた反射的行動は中々消えない」
というのが正確なのでは?
「反射」と「偏見」は影響しあってるけど、
全くのイコールで結ぶのは、かなり違うと思う。
これは最近ほんとそう思う。人って自分の好みや偏見、思い込みで物の捉え方が完全に変わるから、客観的でロジカルな議論ができる人って本当に少ないと思う。というか、そういう人は(自分も含めて)いないのかもね。
そこが人間の面白いところのかもしれないけれどね。
この研究もバイアス??
※14
その通り
この研究は事実認識と価値判断の区別がついてない所が多々あるし
研究者の価値観を正しいとする前提でバイアスレッテルを貼っている
パチの遠隔操作やら顔認証出玉操作システムだと思った。
どちらもパチンカーの妄想の産物なんだけど。
こりゃ難しい命題ですな、まるっきり偏見が無いのは、言い方をかえれば「とてつもなく無節操」と言えなくも無いからね。
常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.
アインシュタインが残した言葉の一つです。
常識にとらわれない彼だからこそ、偉業を成し遂げたのだと思います。
俺がネットで見かけた中では、車とか電化製品なんかで何十年も前の知識で自分の好きなブランドを擁護したり、嫌ってたりしてるね、具体例は差し障り有るだろうから出さないけど、
人は見たい物しか見ない。
もしこの文章が読めるならば、あるいは…
自分もみんなも色眼鏡をかけてる。色眼鏡はみんなそれぞれ濃淡、色味も違う。
それを知っとくだけでも違うんだって聞いたよ。
主観と客観がごっちゃになると、現実との解離は避けられないと思う。
だからなるべく分けて考える練習をしてるよ。
仮に人間はバイアス(経験)から脱却出来ないとしても
バイアスの上に立っていることを自覚しているかどうかが大事だよね
※22
無知の知みたいなもんですかね
バイク事故の事故率は
自動車の三倍くらいあるのに
ライダーがいなくならないのは
自分だけは大丈夫ていう根拠のないバイアスが
あるからでバイアス全部が悪いとは限らんのよ
S研究者「点数が高い方を選ぶのが正しい」
※実際はどっちを選んでも良い
S研究者「点数が高くない方を選ぶのは間違った方を選んでいるという事」
※そんな事はなく人それぞれの好みや価値観による
S研究者「点数が高くない方を選ぶのはバイアスによる」
※点数が高い方が正しいという前提が間違いでバイアスレッテルこそ偏見
点数が高い方を選びたいという考えを持っている被験者でも
それとは別に好みや価値観もあるわけだよ
結果何を選ぶかは点数だけでは判断していないというだけの話
そういう好みや価値観の違いをバイアスと言うのが間違い
人間は人による見方で世の中を見ているのは確かなんだけど
この研究は特定の価値観を正しいと定義し
それ以外を間違いと定義するような『事実認識』と『価値判断』の区別がついていない
そして科学として価値観を入れるべきではない所に価値観を入れる間違いをしているような間違った研究
※25
好みや価値観を「偏り」っていうんですけど・・・
だから”モノの見方に偏りがある”ことを「偏見」というわけだけども
すでに太古の昔にお釈迦様が。
三蔵法師の時代では般若心経にて。
近年では「心頭滅却すれば火もまた涼し」と解いている。
やっと近代科学が前時代科学に追いついてきたね
今更言われなくても、ネットの発言見てたら一目瞭然。
あと社会心理学では間違った研究がよくある
○○効果なんていうのも
実験で二者択一で選ばせているだけなのに
『好んでいる』みたいな間違った解釈をしていたりする場合が結構ある
この研究のような特定の価値観を正しいとするような
事実認識と価値判断の区別がついてない研究もしばしばある
社会心理学ははっきり言って科学や学問の域に達していない
良い研究者も一部いるけど
世界的に人材不足だし
そもそも科学を理解していない研究者が多々いる
>「自分が間違っているという頭の中の声に耳を傾けない」
点数が高い方が正しいとそもそも考えてない被験者もいる
点数が高い方を選びたい側面があっても他の側面もあり
本音でも頭の中でも間違ってるとそもそも考えてない被験者もいる
>ほとんどの人は自分のバイアスに気がついておらず、
>それを克服することは容易ではないようだ。
この引用部分も何にせよそんな事はない
ただこの研究なり社会心理学でよくあるバイアスという概念そのものがそもそも間違い
勿論人間はその人の『見方』で見ているとか『フィルター』越しにみたいなのは言える
(好みや価値観含めそういう事を自覚出来る人も少なくない)
とはいえ人それぞれの性格や価値観や好みがあるのであって
この研究のように特定の価値観を正しいと考え他をバイアスと考えるのが間違い
偏った考えは場合によっては良くないからな中道で色々聞き調べ研究し考えるのがいいんだろうけど自分を制御できるなんて多くの人間には無理なことだなw
『偏見』って用語はこの研究のような感じではなく
血液型性格判断のような事に使った方が良いんだけどな
血液型性格判断の間違いというのは
価値観どうこうじゃなく事実として間違いというもの
この研究のように特定の価値観とは別の価値観を偏見と呼ぶのは
事実としての価値観の相対性を無視したり多様性や価値観の違いを無視したりで良くない
血液型性格判断について言えば
何となく信じていたけど
よくよく考えればとか反証を見て間違いだと分かったという人もいるわけだよ
血液型性格判断は偏見だと言う時の偏見は
人によるけど捨てる事が普通に可能な人は少なくない
この研究は単なる人それぞれの好みや価値観に対して
不当にバイアスだの偏見だのとレッテル貼ってるのが極めて問題
左巻き連中なんかは、典型的な例だなw
バイアスを無くすことなんてできるのかね
特定のバイアスを非難するための理屈もバイアスだと思うんだけどねぇ
一神教ならではなのかなぁ「バイアスを無くそう」運動って
南極の氷が溶けて減っているとか、水素水とかを信じるメカニズムやな
複数の研究の結果を統合して解析し、複数の研究に存在するバイアスを排除してより精度の高い結論を得ようとするメタアナリシスという学問が存在する。そのメタアナリシスで、近年の脳科学で出される論文は、多くがその論文の結論にふさわしいようなデータが故意に選択されているということが分かった。医学論文も昔からこのバイアスの傾向が強いと警鐘を鳴らされている。ちなみに、研究のねつ造とか結構あって、ワーストは日本なんですね。バイアスを排除しなければならない研究であっても存在するわけなのだから、日常生活ではさらに顕著に存在するわけです。そして多くは「自分だけは大丈夫」という認識なのです。
信じるべきだと思っていたものを疑わなければならなくなったとき
これを知っているだけでもだいぶマシになれるとは思う
物語の登場人物たちが常日頃から教えてくれていたことでもあるけどね
>>人は自分が間違っているという頭の中の声に耳を傾けない
?、、、俺はそうでもないけどな。勉強や技術トレーニングの際に、ノートを
こまめにとるが、それは「現在はとりあえずこういう風に理解してみよう」、で後に
より知識や技巧が深まったら、この理解の内容はいくらでも変更されうる、という
目的でノートを取っている。ちゃんと客観的なトライ&エラーはやっているつもりだが。
好きな女の好みとか、感心する芸術の趣向性ぐらいなら「個性」のレベルの違いで
あって、他者に過剰に強要したりしない限り(自分の意見を主張する程度であれば)
問題視するほどの「バイアス」じゃないんじゃない?
資本主義経済は正しい。学歴と金が全てだ。
客観的に見てるつもりでも外から入ってくる情報によって気づかないうちにバイアスかかることは良くあるしこれはほんと気をつけないとな
特にネット上の炎上や叩きは最近こんなのが増えたわ
気づいてはいても
なかなか難しいわ
「これはまさに***なヤツらのことだ」
「***と思ってる連中なんかが典型例だ」
などと考えた人、ご用心ですぜ(笑)
仕事してると呆れるほどよくある
この研究はどちらかと言うと、バイアスの維持に関する研究だな。
バイアスの発生とはまた視点が異なる。
大掴みに言うと、バイアスは生活に必要な物の味方の副産物。
バイアスの発生は、脳が認知に必要なエネルギーを削減するためと、人間がすばやい状況判断をするために起こる。
外界のありとあらゆる情報を一端すべて客観的に知覚して、そのあと情報の重みづけを行って行動に反映させようと巣ると、脳に対する負荷が大きすぎるし、時間がかかりすぎる。危機的な状況や、短時間でたくさんの人に会う場面ではとても判断が間に合わない。
だから、目の前にある状況の中で特徴的な部分に着目することで、少ない脳内リソースで素早い判断を可能にしている。
ただ、問題はその認識のスタイルが当たってることもあれば、全く外れてることもあるってこと。これはその人の経験や知能レベルも関係するけど、別の問題になるのでここでは割愛するね。
つづきます。
「賢い人間はバイアスを排除する」と安易な結論に留まることなく、
バイアスの有意性を担保する※52※55、※54みたいな人が真の賢者だと思う
人間のバイアスが進化したのは農耕があったからだと個人的に思ってる。
植物相手の仕事って、効果が出るのが早くても2週間後とかそんなレベルだから、
「こうやったらこうなるだろう」「これはあと一ヶ月くらいで収穫かな」というある意味思い込みやバイアスだけで行動している。
もしも思い込みやバイアスというものが無く、人が客観的にしか物事を見られない場合
「この植物は食えないからいらない」とトマトの芽をちぎって捨てるようなことをするのではないかと。
「客観的に見る」というのはやたらいいものだと考えられているけど、「客観的に見る」ということはつまり「それの持つ他のデータを全て考慮せずに見る」ということであって、それによって大事なデータを見落としてしまうこともある。
だから客観的に見ることが必ずしも正解というわけでは無いと思う。
上の賢そうな※54が言ってるけど
農耕はある種の愚鈍さと思い込みが大切だと思う
何千年、何万年も同じ時期に種をまき、頑固に粘り強く収穫するという計画性
アフリカを出てA型の発生と同時期に誕生したものがある
被服、農耕、宗教、戦争、天然ボケ
※102
愚鈍とは違う。愚鈍じゃ農耕なんてできないよ。
天候なんて毎年変化するし、人は長い時の中で農業を進化させてきた。
何千年も同じことをただ繰り返してきたわけではない。
「バイアスがある」。ということよりも、「バイアスを利用して、人を扇動してそれによる利益を得ようとする者がいる」ことの方がよほど問題。
それと、パイアスを人を扇動する目的で利用とする連中がよく使う論法が「ストローマン論法(藁人形論法)」だから。
わかりやすい例が、A「車に轢かれると危ないから子供は道路で遊ばせないほうがいいね」、b「子供を一生家の中に監禁しておけってか」と言って食って掛かるのが「藁人形論法」
Aが言いたいことは、あくまでも子供が車に轢かれる可能性を心配してのことで、何も、「子供を監禁する」とまで入ってない。
それをBは過剰な拡大解釈をして、Aを裁こうとする。
具体例は、どこかの芸能人がある企画で、顔を黒く塗ると「顔を黒く塗る行為は、かつて白人の行った差別行為である「ミンストレルショー」につながるから、黒人差別だ」と断罪する。
あるいは、逆にどこかの白人のプライベートな子供のお誕生日会で、子供たちが日本風の装束を身に着けて日本風のお菓子を食べたりすると、「文化の盗用だ、日本人への差別だ」といってたたかれる。
こういうことを鵜の目鷹の目で探して、自らの利益のために利用して、人を煽っていく。そういう者が存在することのほうが、バイアスの有無よりも問題だと思うよ。
結局、人間の認知がある一定の「枠組み」の中でしか成立しない以上、「バイアス」は無くなることはないだろうし。
あと、※103、※102の言っている「愚鈍」というのは、むしろ「くそ真面目」とか「馬鹿正直」という意味で、使っていると思うけど。
つまり、「それぐらい実直に自然と向き合わないと、農耕は世代を超えて受け継がれることはないだろう」こういうニュアンスがあると思うけど。
※110
それは「愚直」→(正直いちずなこと。ばか正直。)
「愚鈍」→(頭が悪く、する事もまぬけなこと。)
愚直とは違い、愚鈍には侮蔑的な意味しか無い。
単純に愚鈍と愚直を間違えた可能性も無くは無いけど、愚鈍って言われたら嫌な気持ちしか無いよ。
※110
ほぼおっしゃる通りなのですが
愚鈍、利発の反対でそのままの意味です
機敏で利発な人は長期的な自己実現に向かない
特に過酷で単調な農作業に耐えれない
性質は一長一短ある話で、このような話題、文脈だし愚鈍には
褒める意図もけなす意図も少ししか含めていません
亀をけなしてザリガニを褒めたり、乗用車をけなしてレーシングカーを褒めたり
そういうのとは違っています
ワニは議論には向いてないでしょうが
ワニの暮らしに過不足無い知性をワニは持っていると思います
きっと人間には耐えられない
気分が悪かろうが都合が悪かろうが事実は変わらない
気分しだいで事実を捻じ曲げる宗教的で頑固で天然な人達は
目の前に真意を差し出してもよそ見をし揚げ足を取り続ける
寂しいですね
※102
愚鈍って・・・農耕なめんな。そんなつもりないって言うかもしれないけど、よくもまあそこまで他人を馬鹿にできるもんだ。
バイアスの維持も、日常生活を安定させるために起こしてしまう特徴的な行動なんだ。
人間は慣れた(習熟した)行動の方が、新しい(馴染んでない)行動よりも、良い結果に繋がりやすいということを経験的に知ってる。また新しい行動は、結果の予測がしにくい。
そのため、論理的に正しいことが客観的に示されていても、新しい行動を起こすことが必要だったりすると、うまくいくかどうかの判断がつかないので、つい二の足を踏んでしまう。これが行き過ぎると、馴染んだ行動だからという理由で、いつまでも誤った行動を繰り返すことになる。
本スレの研究は、このようなバイアスの維持が、選択肢が明確に示されて、なおかつ論理的に正解が容易にわかる場面でもおきる理由を研究したものなのでしょう。
現状に満足できている限り、他がどんなに良かろうがどうでもいいもんな。
何かを知るということは、それ以外を信じないということ。全てを同程度に確からしいと思っている限り、何の決断も出来ない。これは生物の宿命。
ここで「本当にそうだ」とか「全くその通りな人がいる」って思うことも偏見ってことなのかな?
似たようなバイアスを持った集団内でコミュニケーションが完結してしまいがちな今の環境は社会に少なからず影響を与えている
何事にも寛容であるべきとまでは言わないが広い視野と多面的な視点を持つ意識が大事
実力ある人ほど謙虚(自分の悪いところが見えてる)ってのは仕事でも趣味でも同じだな
自分が有能だとか疑いも出来ない人間が周囲から見ると無能でしかないのはそういうとこが理由だと思う
洗脳から脱する事ができないのもコレ
自らその洗脳思想を守ろうとする
実験内容がよく読み取れないのだが。選ぶと利害が発生するの?
思い込みが出るのは仕方がないけど、それを世間の総意のように押し付けるのが良くない
人種差別というものが、まさにこの心理メカニズムによるものだね。自分の嫌いな人々は、愚かで不潔で自分に対して悪意を抱いていると思い込んでいる。その感情が高じれば内戦や戦争になる。人間は自分を知る、意識化することが大切だね。
小さい頃から「★★は悪だ、憎むべき敵だ」
って教育されたら、そりゃ大人になってから
その間違いに気付いても、「己の全否定」に感じて
「その間違いを認められない」よね。
バイアスは論理のバイパスか
時間もエネルギーは有限であるからな
ここのコメントでわざわざ露骨に実演してみせる人がいるのを見てそうとう根深いものなんだなと思いました(こなみ)
たしか、スーパーコンピューターや量子コンピューターに仕込む為のプログラムでも、自己不信を持たせるべきだって謂う考え方が出て来ているよね?コンピューターにもバイアスがかかって偏りがひどくなってしまうからって理由で…
結局、完全なる客観性とは何なんだろうね?
例えば「霊感」の存在意義はどうなのだろう?あれは、幻覚なのに宗教等により限定的に肯定されてしまっている「偏見」なのか?それとも、「人の智が自然や宇宙をも、総てをそろそろ凌駕し得る程に、今や科学が発達している」という固定観念を人類の殆どが持つこの時代の人間が「科学にこの現象(?)を解明する分野は無い=有り得ない 幻覚だ」と、目を背けてしまっている「現実」であるのか・・・・??
バイアスと未来予想
そりゃ過去の経験を反映させることが、ある種の偏見を用いた判断ではあるからね。経験があるのであれば、うまくできたところを引用し、出来なかったところを予測して成功させられる率が上がる
だから人間は自信の考え方という偏見に頼る、何らおかしい話じゃない。知っているものに類似しているなら、それを参照して引用すればうまくいく、ないし最悪は回避して利益を得られるから
原則的に人間と人工知能の動作原理は同じ
学習の反復行動によって脳の神経節が太くなり、確定した部位以外には流れなくなる
“バイアス”とは脳の可塑性が固定化してそれ以外の思考経路が全く取れない状態を指す
「人間と人工知能は違う」と強弁する科学者は多いが実の所同類
血液型診断って信じてても言うほどメリットもデメリットもなくないか?
頑なに信じてる人がよく標的にされるけど鬼の首取ったように否定してくる人間も何か怖いと思うんだけど
ただの遊びじゃんって笑い飛ばせるくらいの余裕持てよ
※83
世の中その間違いを信じてB型の人とは付き合わないって人もいるんですよ。
ちなみに日本人は血液型性格判断には科学的根拠がないというデータを受けても半数以上が信じるという結果が出ていて、これだけでもバイアスが強固なことはわかる。
偏見と言っても事実関係に対して言われる場合と
この件の研究のように特定の価値観を正しいとして
他の価値観や人によるタイプの違いに不当に偏見レッテルを貼ってる場合がある
血液型性格判断や世代論や年齢差別
ある○○出身の人に対して一まとめに語れない事を一まとめに決め付ける発言
(何でもありではないけど)ラーメンが好きかカレーが好きか
みたいな話と言える事なのにそれを分かってない発言
とかそういう場合は偏見と言っても相当多くの場合良い
ただこの件の研究は
点数が高い方かそうでない方かどっちを選ぶかなんて
様々な価値観やタイプの違い
好みがある人なら好みの話なのに
それを分からず不当に偏見やバイアスと言ってしまっていてる
『我々の~』っていう記事タイトルの主張も前提から間違ってるけど
人によるという事をあまり考慮してない点も間違い
偏見が是正されない、と言うと、やや!と思うけど、細かく言うと性格の話になるよね。
生まれ育った環境もあれば、個性もあるからね。
疑うことも大切だが、信じることも大切。両方のバランスがどちらかに100%がオカシイ。
疑うことは大事だけど、そのためには必要な条件があると思う。
一つは、相手の言うことを正しく読み取ること。誤読した状態で疑っても、決してより良い結論には至らない。
二つ目は、疑うに足る理由があること。異なる仮説が成立する具体的な可能性があるとか、これまでの定説に論理的な穴があるとか、そういうことをきちんと指摘できるかどうか。
ただ感情的にやみくもに疑っても良いものは生まれないよね。
※91
事実ですら無視をすると書いてある
つまり“観測事実”を無視するということだ
実証科学は目の前で起きた観測結果が全てで人間の都合は一切考慮しない
科学を勘違いしてる奴が多いが自然科学の答えは自然が出すもので人間は関係ない
自分を疑うことも、信じることも、
バランスがとても大切なのよね。
>「自分が間違っているという頭の中の声に耳を傾けない」
これに耳を傾けすぎている人の場合、
自分が起こそうとしている新しい行動全てに疑念の余地が入り、
いつも一歩で遅れる人や、何もできない人になってしまうから。
いわしのあたまと、とりあたま。
極限まで理性的な人間を考えてみますと彼にも偏見はあるように思います。
あるいは死んでしまいます。
自分が間違っているかもが間違っているかもが間違っているかもが間違っている、かも?
チェスでよく体験できるし日常的にありふれた現象だよね、これ
みんな自分が間違ってても認めないし疑わないよ
賢い頭を持っていれば良かったんだけどな
※99
人間よりもディープラーニングの方が賢い
ディープラーニングとウミウシの賢さの仕組みは同じ
従って人間よりもウミウシの方が賢い(笑
知性の仕組みがわかれば頭の良い悪いに意味などないことがわかる
バイアスがなぜ生じるかって?労力の節約、エネルギーの節約のためだそんなもん全くもって単純な当たり前のことだ。
全てのことに対して、あらゆる方面から妥当性を検討するなんて恐ろしく労力のかかることができるわけがないだろう。
※101
むしろ観測すれば一秒でわかることをだらだら議論するのが時間の無駄
「完全な客観性はおそらく我々が永遠に成し得ないもの」(パルミンテリ)
哲学や論理学では昔から言われてたことだけど
それが、科学の現場でも言われてきたことの意味はすごく大きいね
客観的な正しさが「ある」と思っている人ほど攻撃的で排他的
(フェイクニュース叩き、陰謀論、新興宗教)
ただ、
我々が永遠に成し得ない
は
我々が「個人として」は永遠に成し得ない
に置き換えたほうがいいとは思う
(もうすでにある)共通点を見つけて仲良くできることを探すほうが
正しいよりよっぽど楽しいよね
ソクラテス先生の「無知の知」というのは専門家という者は自らが知らないという事実に対して驚くほど無知という意味で利用した
引力の発生源や水の相転移の原因は今だにわからないようにわからない事柄には素直にわからないと認めようという話だよ
農耕だろうが宇宙移民だろうが未開拓の領域に踏み込む時には誰もが愚鈍なアマチュアになる
どうも、今回のコメント投稿者の中には、「鈍感力」の必要なフレンズがいるみたいだね。
漢字一文字に粘着して、人を非難したりとかね。
「愚鈍(ぐどん)とは知性、理解力、理性、機転または判断力の欠如のことである。
おそらく、先天性のもの、偽り、あるいは悲しみ や精神的外傷.という状況に対しての防御としての反応である(wikiより引用)」。
このうちの「悲しみ や精神的外傷.という状況に対しての防御としての反応」というのは、たとえば、農業の場合だと日照りによる不作とか洪水による田畑の壊滅などのような事態に対して、過剰に騒ぎ立てるのではなく、それを「仕方のないこと」として受け流し、次の年につなげていくこういう姿勢(生き方)が必要で、これを「ある種の愚鈍さ」という言い方をしていると思うけど。つまり、このある種の愚鈍さが「鈍感力」だから。
これを表層的に「頭が悪く、する事もまぬけなこと。」としか見ない。
これって、「顔を黒く塗れば黒人差別」という一面的な決めつけと同じだと思う。
※116
100人中99人が自然に生ってる果物を食ってる状況で1人で果物を育て始める状況で考えろよ(笑
お前が99人の側だったらその1人を間抜けな奴としか思わないよ
※116
昔の人はそんなん「仕方のないこと」として受け流したら餓死するだけだぞ
「不作だったけどスーパーで買えばいいや」っていう感性が現代人って感じだな。
次の年に繋げる?餓死した死人がどうやって次の年に頑張るんだ?
日照りで不作になりそうなら工事でもなんでもして川から水を引く、洪水になりそうなら治水をする。
そんな「鈍感力」なんて必要なのは現代人だけだ。
農耕の世界で「仕方ない」なんて諦めてたら待つのは餓死だけ。
愚鈍じゃ農耕は成り立たない。鋭敏に攻めの姿勢で自然に立ち向かう。
※119
そんなもんは何万回も失敗を繰り返して何億人も死んだ後に学習した後での話
※119
「「不作だったけどスーパーで買えばいいや」っていう感性が現代人って感じだな。
次の年に繋げる?餓死した死人がどうやって次の年に頑張るんだ?」これぞまさしく、ストローマン論法の典型例。
君って、「ルビンの壺の中に壺は見ても人の顔を見ない」こういうタイプの人だね。
君のような人にこそ、「鈍感力」が必要だと思うよ?
でないと、いずれ人を刺す(物理的に)ことになるから。
※123
ストローマン論法をされた場合の対処方法が間違っている。
もしストローマン論法をされた場合、「あなたの仮定は間違っています。なぜなら~だからです」と、相手の仮定が間違っていることを証明すること。
ただストローマン認定してもダメ。「~という理由であなたの仮定は間違っています。なのであなたの論法はストローマン論法です。」とちゃんと順を追って説明すること。
次に、今までの会話からなぜ自分が人を刺すことになると思ったのか。
きちんと「理由」をつけて説明してもらいたい。
あと、「鈍感力」ってそもそも何?
というか「ルビンの壺の中に壺は見ても人の顔を見ない」タイプってそれ逆に鈍感な人じゃないの?
動物ネタと違い、人それぞれいろんな意見があってもいい貴重な記事なのに、やたらマイナス評価のコメントが多いね。
これも偏見と言われそうだが、自分の価値観とは違うものを否定する柔軟性の無さも偏見だと思うね。
※117
いろんな意見があっていいとのことですが、プラス・マイナスのポチッと評価入れも、まさしく意見の一つだと思いますよ。
※122
評価は意見じゃないでしょ。異論があるならコメントするべきだよ。
ネット見てれば分かるわな
そのとおり
俺のようなワニと人間とは構造が違う(笑
俺とお前らは別の生物であって同じ構造体ではない
※130
オマエはワニでは無いと思ってるよ
ワニはそんな話し方をしない
多分、人間か何かがなりすましてるんだろ
葦「人間は考えるベーコンである」
色々間違ってるて?
それは君がデカルトだからさ
うんパスカルなんだけど
これで君の歴史の試験はズタボロさ
信仰で例えると
神を信じてる者は信じていない者に
神が居ない事を証明しろと言って来る
神を信じている者は自分の存在が証拠だと言う
アメリカでホームスクールが多いのは子供に進化論を教えない為でもある
※132
人間がキーボードを打つのはありえるがワニがキーボードを打つのはありえない
エントロピーは確率の収斂だが“ありえなさ”の尺度でもある
ありえない事象ほどエントロピーが高い
ワニがキーボードを打つのは奇跡だが人間が打つのは奇跡じゃない
ワニが足し算を覚えたら更に大変なことになる(笑
なんかコメント読んでると、自分が最初に「漢字一文字に粘着して、人を非難した」とかストローマン論法やったのに、他人にやられると「それはストローマン論法だ」とか自分のことは棚に上げて言う。
他人に対して「もっと鈍感力を付けろ」と言う割には自分が鈍感力を付けるつもりは微塵も無い。
こういう、自分のことを棚に上げるような行為が「自分の発言は絶対に正しいと思ってる」ってバイアスなんだろうなぁ。
実はほとんどの職業で倫理性を捨てるならサイコパシーは高い方が本当は良い
自己愛が強くて、目の前の事実を認めず都合のいい妄想に浸ってる声のデカい奴とか生き易そうだもん。分類好き、レッテル貼り好きの人間は居なくならないでしょ。
仏教の「悟り」ってのはバイアスの完全排除の事なのかもしれないな
※141
人の行いに意味がある(悟りに意味がある)ってのが宗教全般のバイアスだよ
信じる奴がジャスティスッ
真実の玉者~って事ですね要するに
この世で最も厄介な偏見は「私には偏見がない」という偏見である
…おい、そこのあんたのことだよ
確かに、あkたの「薮の中」→Kさわ「羅生門」ってなことは、世の中よくある話じゃん。
わかってることをいちいち言葉にして、「みんなこの辺でどう?」「いやいや、もちょっとこう・・・なんたらかんたら」しながら前に進む程度のことしか、人間にはでけん!所詮こんなもんやで。がっつこならこれで正論がでて終わりやろうけど、世中こんなことだれけやで・・・。今の時代みてて思うんやが、じぶんと「違う考えを持つ人」とどうやって生きていけるかの答えは、「寛容さ」だと思うねん。せやけど、「もうちょっと何とかならんか度(精確度)」を上げていくことは、どんな意見でもだいじやな。
マスコミの洗脳報道など無い。洗脳する意味がない。どのような情報も自分の頭で考えてみれば良いだけ。
バイアスがあるから
人間の誤解を解くのが大変
この実験が示しているのは、ルーティンを変えるのか、変えないのかということだよね
要求パターンAからBになっても、変えない人がいるということであり
変えるとは仕事と同じく負荷があるものだとすると
仕事をしないだけの場合もあると思うよ、変更手続きはエネルギーが要るよね
これが前提として
ここでポイントなのは、論文で偏見という否定的な言葉を使用してることだよね
このゲームの実験から言えるのはバイアスという機能であって
否定の意味を持つ偏見を導き出すことはできないはずだと思う
なぜならルールに否定の意味が込められてない(例えば白なら黒なら中ならなど)
その場合の結果はどうだろう