自閉スペクトラム症(自閉症スペクトラム障害)とは、社会的交流・コミュニケーションに関する障害や知覚過敏を特徴とする症状で、自閉症やアスペルガー症候群などが含まれる。
これらの人人は環境にうまく対応できないことから、変わった行動を見せる。決まったやり方にこだわり、繰り返し行動を示すのは、環境における不確実性を減らすためだ。
あることに対して異常なまでに強い関心を示したり、ドライヤーや掃除機などの音や砂などの感覚を嫌うといった感覚過敏を示したりすることもある。
こうした自閉スペクトラム症からどのような人を連想するだろうか? 天性の芸術家あるいは恐るべき記憶力の持ち主? あるいは工学や数学に並外れて優れた才能を発揮する特殊な人々?
そうした人々が連想されるのならば、自閉スペクトラム症は貴重なスキルと才能をもたらす症状であると広く認識されてきたということなのだ。
自閉スペクトラム症に近い症状を持つ人は多い
調査からは、自閉スペクトラム症と診断されていない人の多くにも自閉症的な特徴があることが判明している。つまり自閉症と正式に診断されていない人はたくさんいるが、彼らがもし検査を受けていれば自閉スペクトラム症であると診断されていた可能性があったわけだ。
そうした人々は自分の特性に気がついていないし、不幸だと愚痴ることもない。むしろその特性を利点だと感じる傾向がある。
これがここで言う自閉症スペクトラムだ――つまり我々の誰もが多少は自閉症的なところがあり、誰もがその特性に適応しているということである。
自閉症は類人猿からの遺産
遺伝子の研究により、自閉症と自閉症的特性は、長い時間をかけて我々を人間たらしめたものの一部であったことが判明している。いくつかの重要な自閉症遺伝子は、我々共通の祖先だった類人猿からの遺産であり、それが分かれ道において我々を人間の道へと歩ませた。
それは我々の祖先である類人猿が他の類人猿と枝分かれしたときのことだ。また進化のスケールにおいてはより最近となる10万年以上前の自閉症遺伝子もある。
自閉症を持つ先祖は社会で重要な役割を果たしていた
自閉症は大抵が遺伝性のものであることが判明している。その3分の1はランダムに発生する遺伝子の突然変異が原因である一方で、特定の家系に出現する率が非常に高い。そして、そうした家系の多くがある種の恩恵を得ている。
こうしたことから自閉症が今もなお存在することには理由があることがうかがえる。最近の研究によれば、自閉症を持つ祖先は、人類の進化史を通じて、その独自のスキルや才能によって社会グループの中で重要な役割を果たしていたことが示されている。
実は数千年前の社会では、自閉症的特性を持つ者は単に受け入れられていただけでなく、大いに尊敬されていた可能性があるのだ。
自閉症の人の多くは、桁外れの記憶力、鋭い視覚・味覚・嗅覚、動物の行動をはじめとする自然体系についての優れた理解力を有している。
こうした能力をコミュニティの中で発揮させることが、専門家の発達に決定的な役割を果たした。そして、おそらく専門家はグループの生存に関して極めて重要であったろう。
トナカイ飼育民を題材としたある人類学的研究は、「非常に年老いた祖父が、2,600頭の群れの1匹1匹の血統・健康・気分といった詳細な知識を有していた」と報告している。
「彼は人間よりトナカイと一緒にいることを好み、人から離れたところでテントを張り、食事をとった。彼の息子は夏になるとその息子(老人の孫)を連れて、群れに加わり働いた」
自閉症と芸術性の関係
壁画と才能ある自閉症の芸術家との関連を示す証拠も見つかっている。
フランスのショーヴェ洞窟に描かれている壁画は、その類のものとしては世界でも有数の保存状態を誇る。その壁画からは並外れたリアリズム・記憶力・細部への注意力を窺うことができる。それは全体ではなく、細かい部分に注がれたものである。
こうした自閉症的特性は自閉症ではない芸術家にも見ることができるが、自閉症の芸術家ではずっと一般的な特性だ。
残念なことに、自閉症の重要性を示唆する証拠があるにもかかわらず、考古学および人類の起源に関する考察はそうした考えに追いついていない。人類の起源を考察するうえで多様性が取り上げられたことはないのだ。
北アイルランドの特別支援学校のクリスマスコンサートでハレルヤを歌った自閉症とADHDを持つ10歳の少女、ケイリー・ロジャースちゃん
※動画に間違いがあったため訂正して再送いたします(2017/04*/16)
ずっと以前から、猿のような姿から進化する人(一般に進化と言えば連想されるのがこれだ)というイメージを超えるための研究が行われてきた。
だが、過去の進化において女性が重要な役割を担っていたと認識されるようになったのは比較的最近のことだ。それ以前は男性の役割にばかり意識が向けられてきた。
したがって、そこに”障害”と見られることもある自閉症を含めることが議論を呼ぶのは当然であろう。そして自閉症とそれが芸術に与えた影響に関する議論が嘲笑されるのは、明らかにこれが理由だ。
しかし、これまで明らかにされた知見を鑑みれば、自閉症が人類の起源にもたらしたものを再評価する時期に来ていることは間違いない。
子供や思春期の精神医学で初めて教授となり、自閉症スペクトラム障害を専門としていたマイケル・フィッツジェラルドは、2006年のインタビューでこのように話している。
全人類の進化は自閉症スペクトラム障害や軽度の自閉症の人々によって促された。そうでなければ、人類は今でも洞窟の周りに座っておしゃべりをしていたことだろう
via:theconversation/ translated hiroching / edited by parumo
ショーヴェ洞窟知らんかったわ。資料集で見たラスコー・アルタミラを遥かに凌ぐ表現力だな
ADHDも狩猟採集時代は役に立ってたって言うしね。
ただ社交能力が重視されて、効率化が進んで小さなミスが許されない時代のいま、発達障害の人は生きづらいと思う。
それも科学が発展して、適応できるようなプログラムが開発されたり、薬や遺伝子操作で乗り越えていくのかな。
人類の歴史を考えるうえで、現状においては負の側面が強調されがちな部分が、実は重要な役割を果たしていた、というのは大変興味深い。ただ、確かに考えてみれば、全体が均質化されているのなら、集団の発展はとても困難なもので、正でも負でもどちらかに突き抜けた、ある種の「とっかかり」が進化を促すのは道理だと思える。人類の強みは「分業化」と「交換」による社会の効率化で、自閉症(的なもの)が専業性を高める一助であったなら、確かにこの記事は正しいのだと思いました。
医者「治療しなきゃ」(使命感)
※4
必ずしもそうでもないぞ
彼らの「非社会性」に着目し、いわゆる「社会」に引っ張り出してくるやり方と、彼らの特技を活かし彼らなりの生き方を模索させるやり方がある
壁画の絵が上手すぎてびっくりした。こんなにシンプルでリアルなのって凄い。
個性がなくなれば多様性もなくなる
ドラエモンは耳がないから ドラエモンになった
耳があったら ただのロボ
※6
その多様性を受け入れてくれる社会を望む。
とくに日本人は異質を受け入れない文化だから問題が大きくなってるように感じる。
みんながみんな「常識的な」考えと行動だけしていたら確かに劇的な革命や進化は起こらないよね
例えば通貨という発想もただの貝殻や石ころを「これは価値のある物だ」と言い出したとんでもない変人が最初にいたからこそ出来たのかもしれない
自閉症の敏感さや特別な感性はすごいと思っていたけれど、人類の発達に関わる特性だと考えるととても面白いと思う。
色覚異常の人は青色の変化に敏感で、氷河期の氷の上を歩くのに役立っていたという話を聞いた事があるけど、そういうことと同じなんだろうか。
“社会に適応する”ということは、実はまず社会の側が安定しているという前提が必要になるが、この前提は常に保たれるとは限らない。
大きな災害などで、既存の社会が崩壊したり、変化を余儀なくされた場合も起こりうる。
既存の社会に適応できていた人間しかいないと、そのような変化に耐えられず、下手をすれば絶滅の引き金にもなりかねない。
そう考えると、ADHDなどの現在は問題とされている様態は、もしかすると環境の大きな変化に対する人類全体の生存を測るための一種の安全弁的機能なのではないかという気もする。
井戸に向かって歌ってる人は本当に自閉症なの?
進化の歴史上は「鍵」だったのかもしれないけど
現代社会では完全にお荷物です本当にすみません
石器時代あたりに生まれていたら、自然や動物を相手にして
もっと楽に生きられたんだろうか…
※13
毎日ルールが変わるデスゲームをさせられてるみたいで辛いよね……
※13
たしかに人間の中ではどうしても孤立してしまうし
人と関わることが多い仕事は何故か上手くできないが
動物とはコミュニケーション取るの楽だし
世話も逃がす、怪我させる、誤食させる等の
ミスしたことないしみんなとても良く懐いてくれる…
サバン症候群なんかも人並みはずれた記憶力やなんかがあるし、そういう変異した遺伝子を持つ個体が太古の昔には何かしらの役に立ったのかもしれないね
ダウン症なんかもオランウータンの遺伝子配列が似てるし、類人猿から人間になる過程の名残かもしれないし、現代でも尻尾の名残が出る人も居るしその類かな
今は限界集落でも行かない限り人が過密だから
生きるには同族からの刺激が多いんだよね
自閉症とかADHDとか二つ名が付けられたりする人も
人口密度が低い環境下だと意外と能力発揮できたりするのかも
これは自閉症でだけの話ではなく遺伝的多様性にも関わる問題だと思う
多様性がない種は病気や環境変化に弱い
社会も同じで多様性を認めない社会は変化に付いていくのが遅れる
人道的側面からだけではなく、社会の維持と発展の為にも多様性は認める方向が望ましい
評価されたらいいけどね、、、
この辺神々の沈黙にも通じる話で興味深い
今では病気とされる統合失調症や自閉症が
蓄積の乏しい前古代において、
社会の維持と発展に役立っていた、
そして人口の増加と共に知識が蓄積され、
神々が駆逐された、というシナリオは、
未来の我々にコンピュータとの共存を
義務付ける事を暗示させる
あるいはただのマシンが意識を持つことが
倫理的に受け入れられる事になるだろう
何故なら人類の存続のために、
人類は進んで機械に飼われるのだから
矢張り、病気とする範囲広げ過ぎてないかなぁと思ってしまった
特定の生き方に取って生き易い性質を正常と判断して、それに適応し難い性質を病と名付ける事で問題になるのでは
生き方の多様性、つまり会社勤め以外の仕事の仕方とかが模索されるべきなのでは
自閉症とか発達障害、精神障害を持っている人は極端な人が多いからな・・・。
いや石器時代まで遡らなくても
150年前の江戸時代ですら有力者は生き字引なる人間を引き連れて歩いてたからね
一度聞いたこと読んだ事を忘れないから質問者に聞かれたことを一字一句間違わずに答えるだけの人間って明らかに自閉症だから
賢いとされる学者達でさえ「偏見や個人感情に固執する人が多い」という話でもある。
そういえばオレ色々と感覚過敏だな。
鬱ではなかったけど、こっちの症状はあるかもしれない。
生きていてつらいばかりで、得することなんて何も無いけどな!
※23のように
思い込んで軌道修正してしまうので、具体的に書くなら思い込むことがないように警告してほしい
このように自らそうなろうとしてしまう
こういう者は多い、そこに何の益もない
知るべき者が知ってればいいとは言わない、しかし知らしむならばフォローしなければならない、これは義務と思う
多動の薬とか処方薬だけど診断書がないと出せないから自然と病歴として残されちゃうんだよね。学校とか昔はもっとおおらかだったけど今は少しでもはみ出すと速攻で父兄に連絡入って特殊教室に移管されるし。
才能を伸ばすとか個性を大切にとか絵空事になってしまったよ。
粘菌が迷路を広がって行く時 均一な動きから突然イレギュラーな動きをして出口を見つける突破口になったりする。一定確率で現れる変わった個体が群体生物の生存率を上げている。
人間はもしかして都市(アメーバ)を個体とする群体生物かなあなんて思ったり
アスペルガーだけど特になにも秀でてないタイプなので
ただただ辛い
自閉傾向のある人間は、感覚が普通の人間より敏感で緻密だと思うな、だから外界の刺激を過剰に感じすぎて、自分と外の世界との間に壁を作って自分を守ろうとする。感覚器官が互いに密に連絡し合ってネットワークを作っているために、それぞれの感覚器官を分離して外界からの刺激を分析解釈するのが苦手で、オーケストラが一斉に鳴っている状態が日常で、個々の楽器の音を分離できないために、アウトプットが困難になると自分の経験からも思うよ。だから一人で考えている時間が長い。しかしそのため、普通の人間ではまったく無関係だと思われている物事どもを関連付けて考えるのが得意で、それは文明の発達にとても有利に働くと思う。言語の「喩え」の表現や、世界を緻密に観察する能力などは芸術にも直結しているし、新しい概念を作り出したり、物事を個別ではなく総合的に見る力は宗教的な洞察にもつながる。湧き上がってくる世界のエネルギーに「形」を与えつづける縁の下の力持ちのような存在だと思う。
発明家も当時の常識から外れた発想があったからといえなくもないけど、日の目を見るのは数万人に1人かそれ以下だろうな。常識的な人よりは新しいものを生み出す確率は高いのかもしれないけど、ダーウィンやガリレオみたいに生前は変人扱いされる可能性の方が高いな。
ネオトニー論とも通じるものがある気がする
古事記を語って聞かせた稗田阿礼も、長期記憶が異常突出した自閉症だった、という説があるよね。
特殊な性質と言えば、本文にもあるように「誰しも」持っているのだから、
正常と言うより多数派によって支配されているだけだよね。
効率考えたら多数派が暮らしやすい社会になるのは分かる。
たしかに、もっと個々を大事にするように成っていけば、社会はさらに発展しそうだ。
自閉症傾向の人が集まったら、落ち着くし、新しい事も始められると思うのだけど、
そういう場所ってないよね。
普通の人が弱者を保護している風な意味合いで運営されている所はあるみたいだけど。
クラブみたいな所は、偏った人たちを集めることに成功しているわけで、
自閉症スペクトラムの人が勝手に集まってくるサロンみたいのは作れないんだろうか。
※37
特殊クラスを見ていた事があるけど彼等は多種多様すぎて協調性もなく
知能が低い場合も多く自制心も低いので殴りあいもあります。
たかだか20人ほどのクラスでしたが1日に数回は一発触発の状態でした。
スペクトラムは自閉症、ADHD、多動等々すべてをまとめている言葉なのに
一緒くたにして一つの教室で済ませている学校制度に疑問点もあります。
※39
2年前のコメントだけど同意
発達障害は発達障害同士でまとめれば良いって意見もあるけど少し安直かな
そんなことしても調和や協調が取れなさすぎてまず集団として成り立たない
発達障害の個性はあくまで集団として成り立ってる社会にスパイスのように活かすものでみんながみんな発達障害だったらマジで機能しなくなる
※37
あるよ、そういう会社。
自分の枠にはまる作業やらせたら黙々とそれこそ寝食忘れるレベルで集中するから
健常者の監督は必要だけど、知り合いのところはそれで健常者より障害者のほうが多い。
ただ、教えるのに根気がいることと、そういう仕事に向いてる人(教える方と、教えられる方)が噛み合わないと絶望的に効率落ちるから
一般的にそれを当てはめられるかって言ったら完全にNOとしか言えないと思うよ。
そういった意味でも完全に「人を選ぶ」から、知り合いの会社は一般には求人出してないし、
平等主義者()に目をつけられたら敵わんから一代で畳むって言ってるくらいには難しい話だから。
いや、そのまま洞窟の前でお喋りしてれば良かったと思うわ。なんで進化なんかしちゃったの?最大の過ちだよ。
※40,※41
ならその発達によって生まれたpc等のテクノロジーを使わないでくれる?それを使って意見を発信するのもやめて洞窟に引き篭もってくれない?
一見、集団意識が強い一般人に見えたがある意味自閉症とも捉えられるな。でもその考えを主張するならまず己が原始的な生活をすることだ。そうしたら気に留める人は出てくると思うよ
進化も発展もしなくて良い。消えて無くなれば良いと思うよ。
人より秀でた能力を持ってる人って自閉症気質強い気がする
少数の天才が様々な発明をして文明を発達させ、多数派がその恩恵に預かる
正常とされている多数派の人間って、実の所は働き蟻のポジションなんじゃないかと
全ての自閉症が時代の発展に貢献しているかと聞かれたら疑問だね。一部の自閉症が社会的に運良く評価される事はメディアで良く取り上げられてるけど、一般社会の自閉症に対する理解はまだまだ低くい。結局変人扱いされたり、仲間外れにされたり、せこい奴に悪用されたり、中には人に疲れて孤独に生きていく道を選ぶ人達も沢山いる。どうすればいわゆる一般人は自閉症の持つ世界観を尊重できるのかな?他人の評価なんて気にはしたくないけど、世間との折り合いが付きにくい事は多い。気づいてないと思ってバカにした態度をとられれば嫌な気持ちにもなる。ただ、その気持ちをうまく伝えられないから困っている人が沢山いる
あいつキショイわー
みんな狩りに出てるのに
一人で木の枝こすり合わせて何やってんだろ
※46
火の誕生である
※46
火の誕生である
さーーーーんらーーーいず
なんて言うか、ステ振りのバランスのある人が定型で特定のステータスが飛び抜けて、一方では極端に少ないって感じなのかな
少女の歌が素敵すぎてジーンとした
変わった才能は少数だからこそ価値があるのでは
主食に主菜副菜 バランスはとらないと
食卓の真ん中に珍味だけ山積みでもしょうがない
これは自閉傾向でも秀でた才能のある人の場合だが、こういう人は
歴史上おそらく、上流階級とか役人(定型)が才能を見出してパトロ
ンだのプロデュースだのするのが定石かと 適材適所というか
自閉傾向の強い人って好きな事ひたすらやるけどその価値判断は
苦手そうというか 自己プロデュースダメそうなので
なので偏った天才タイプは万能のエリートタイプとは相性よさそうだ
…しかし良識のあるエリートを育てる教育は圧倒的に廃れてしまった
その一方 組織や企業の上層部をサイコパス傾向の強い発達不全の優
等生がやると 世の中どんどんブラックでマッドになる
組織は私物化され人の才能も搾取の対象になってしまう
実は今更の話で、世の中とっくにかたよってる
お金も回らず文化の創造もままならない
何つうか定型でない高IQ者は東大行って官僚とか目指さないでほしい
京大行って研究者とかの方が余計な苦労はないはず
偏った知能で人を量るようになって人類はまた間違えたのだ
能力と性格が極端だからな・・・極端な長所を持っていると言う事は極端な短所を持っていると言う事。見てたらマイナスの方向に行っている人が多い・・・。
夏目漱石だったか、自分の家系に統合失調症がいるので自分が発病するかもと
恐れていたが、夏目漱石?以外にもそういう功なり名を挙げた人の中に
統合失調症の家系があるという話を聞いたことがある。自閉症と似ているかも。
ADHDはチャレンジに有利で狩りに有利だが、逆に決まったことを正確にするのが
駄目で、農耕は苦手という記事を他所で見た気が。
みんなで木の実採りに行ったら、ずっと俯いてる女いて怖ってなったけど、なんか黒いキラキラした石集めてたんだな。(自閉症A)
↓
あの女が集めてる黒いキラキラした石を勝手にひたすら割って遊んでる奴いるけど、人の物だって分かんないのかな?(自閉症B)
↓
あいつってなんか変わってるよな。
みんなと違うのがカッコイイとか思ってるみたいで、石器の先端の石をこの前Bが割ってた黒い石に変えてたぞ。(軽度自閉症C)
↓
お前が使ってる石槍なんかキラキラしてね?
ちょっと貸してみろよ。
なんだこれめっちゃ鋭い!
刺さる刺さる!
時代は黒曜石だぜー、ウェーイ!!(パリピ)
じゃあこれから自然淘汰されていくってことじゃね?
発達障害の人たちは今後の世の中で子供産んで育てていけるわけないからな。
※58
そうでもないぞ?学校で騒いでるD Nとかに発達多いけどあいつらすぐ出来婚するしさあ。。どっちかというと健常者の方が子供産まなさそう(不景気とか金銭的な事をしっかり考える事ができるため)。
アスペルガーでかつ女性だけど、この記事見て励みになりました。本当にありがとうございます。
世の中は型にはまった努力ばかり評価したがる大人が多くて、生きづらい思いをすることもあります。
最近のネットにいたっては グロテスクなスラングが流行る始末。
でも、先祖の「同類」の人たちが、単調な日常に何かしらの豊かさを与えていたと思うと、私ももう少し頑張ってみようと思った。
「お前は極端で扱いづらい」「これだから発達障害は」なんて言い方をされることもあるけど、どうにか腐らずに生きて行きたい。
俺も軽い発達障害だけど、己の才能に気がついて起業してからはお金と時間と人に恵まれた文句なしの人生を送れてるよ。
起業するまでは本当に、常に自殺を考えるくらい暗い毎日だったけどね。
人生わからんもんだ。
社会はこれ以上の人類の進化を望んでないんじゃないかな。
突然変異ウィルスに警戒してるのと理由は似てると思う。
診断済のアスペルガーだけど自分が好きで熱中できることってお金にならない事なんだよね
診断されるより前から自分は好きなことで食べて行かないと駄目だなとは思ってたから
そのための専門的な学校に行ってたけど当時は自分が自閉症だと知らなくて二次障害を起こして
休学からしばらく精神科通いで社会復帰するのに時間がかかった
とりあえず嫌いではない内容、過集中できることでなんとか生計を立ててるけど
好きな研究だけに没頭できるような環境で静かに暮らして行きたい
コミュニケーション能力がなくて自分に自信が持てないけどこういう記事を読むとがんばろうって思える
管理人さんいつもありがとう
昔の人間は小規模の群れで生活していたから、一人の起こす変化にも群れ全体が柔軟に対応できたし、その変化がより良いものならば積極的に取り入れることもできた
今の人間は大規模な完成されたシステムの中で生きていくしかなく、一人のシステムに組み込むことのできない変化はチームワークを乱すものでしかない
種の存続を脅かすような病気や災害への対応技術はあらかた獲得したし、人類はこれ以上成長する必要がないのかもしれない
もし成長したいのなら、既存のシステムに組み込まれていない全く新しい社会を作るしかない
多様性がないと、環境の変化があった時に誰も生き残れないし、問題の解決策が出にくい
でも人間は群れる生き物だから、同調を強要する
よくよく考えたら、みんな空気や表情が読めるコミュ力個体ばっかりだったら、叫びだけでやりとりは十分だから、人間は『言葉』なんて作らなかったかもしれないんだよな……。
研究や発明に特化したタイプは、銭ゲバに特化したタイプに搾取される。
政治家や科学者に適したタイプは原始的な狩猟採集社会や農耕社会では無駄飯喰いの弱者だったかもしれない。
かつては役に立たなかった弱者を養ってきた社会が発展して残ってきたのですよ。
自己責任論が蔓延し、弱者に冷徹な現代日本のような社会は決して次の段階に進歩することなく淘汰されて滅ぶでしょう。
どこの大学の誰の研究よ ソースが一切ない
聞きかじったステレオタイプに障害者だと差別することなく、まとまった良い内容だと思います。
私自身か医師にそうだと診断された該当する者ですが、 ろくに意味すらも調べもせず、レッテル貼りや侮蔑 扱いにやるせなさを感じます。
あと、挑発的とも攻撃的とも見えるコメントを書く前にご自分で元記事のリンクくらい辿る癖を付けてください。
ペニースパイキンズ、ヨーク大学
著者
ペニースパイキンズ
ヨーク大学、人間起源考古学の上級講師
世の中が大らかになれば…
発達障害者が少しは生きやすくなるんじゃ…
企業等が自社商品のミスプリ等に目を光らせるのは良いけど、消費者側が些細なことに完成度100%を求めることに疲弊する。ギリギリ100%を欠けてしまう商品でも使用や消費出来る物は山程あるのに。
野菜でいう全ての形がきれいに整っていなきゃ…ということ。形がいびつでも調理したら同じなのに