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関川寺館
関川寺館(かんせんじたて)は、福島県白河市にあった城館です。歴史館に関する歴史は明らかではありませんが、遺構の規模・形態などから、その始まりは鎌倉時代の結城氏の居館であった可能性が考えられます。白河結城氏初代の結城祐広は、鎌倉時代後期に白河に下向したと伝わります。祐弘の子・宗広は、山城である白川城を築いて本拠としましたので、この館は平時に用いられていたものと推測します。また、現存する土塁が際立って...
伊王野城
伊王野(いおの)城は、栃木県那須郡那須町伊王野にあった山城です。「霞ヶ城」との別名を持ちます。歴史(参照:『日本城郭大系』、現地解説板、Wikipedia)伊王野氏は、鎌倉時代初期に那須家より分知されました。そして伊王野城は、長享元年(1487)頃に伊王野氏の居城として築城されました。天正十八年(1590) 豊臣秀吉による小田原攻めの際、当主・伊王野資信は遅参したものの、本領740石は安堵されました。慶長五年(1600) 関ヶ原...
黒羽城
黒羽(くろばね)城は、栃木県大田原市(旧黒羽町)にあった城郭です。歴史(参照:「日本城郭大系」、現地解説板)大関氏は、那須氏を盟主とする那須七騎の一つで戦国時代初期には白旗城に拠点を置いていました。天文十一年(1542) 当主・大関宗増は、同じく那須七騎の一つであった大田原資清との紛争に敗れて、資清の子・高増を養子に迎えざるを得なくなりました。高増は大関家の家督を継ぐと、主家・那須氏をしのぐまでに勢力を...
大田原城
大田原(おおたわら)城は、栃木県大田原市にあった城郭です。歴史(参照:『日本城郭大系』、現地解説板)大田原氏の始祖・大俵康清は武蔵国よりこの地に移り、蛇尾川東岸に水口城を築いたといわれます。天文十四年(1545) 五代目・大田原資清は蛇尾川西岸に大田原城を築き、居城を移しました。慶長五年(1600) 関ヶ原の合戦前に徳川家康は、奥羽の情勢からこの地を重視し、当主・大田原晴清に大田原城の補修を命じました。そして...
伊賀館
伊賀館は、福島県西白河郡泉崎村にあった城館跡です。歴史(『日本城郭大系』より)伊賀館の領主としては、結城氏の熊田伊賀忠光・熊田惣左衛門光行らの名が挙げられています。子孫の若狭介兼は、佐竹氏との戦いに功績があったといわれますが、天正年間(1573~92)に白川城落城の際に浪人となり、関和久に居住したと『白河風土記』にあります。地形・縄張伊賀館は、標高320メートル、比高約20メートルの独立丘陵の頂上部に築かれま...
関和久官衙遺跡
関和久官衙(せきわくかんが)遺跡は、福島県西白河郡泉崎村にあった官庁跡です。城跡とは異なりますので、今回は特別編です。歴史関和久官衙は、奈良・平安時代に陸奥国白河郡役所として機能していました。大正十五年、当時白河高校の教諭だった岩越二郎先生らによって奈良時代の古瓦がよく採取される土地と注目されていました。その瓦が多賀城跡のものと酷似することから、本遺跡について白河郡衙跡、白河軍団跡などの諸説が提示...
革籠原防塁
革籠原(かわごはら)防塁は、福島県白河市にある防御施設です。歴史慶長五年(1600) 上杉景勝は、東征する徳川軍を迎え撃つために白坂の地に防塁を築きました。しかし、石田三成の蜂起を聞いた徳川軍は下野・小山にて引き返し、関ヶ原の合戦へと臨んだため、革籠原は幻の決戦の地となりました。地形・縄張宇都宮を北上し那須を越えると、奥州の玄関口・白河へ入ります。より詳細に付近の地形をみると、奥州街道(現在の国道294号線...
記事作成の再開について
昨年(2023年)の夏ごろより、記事の更新ができずにおりました。理由は、この時期に東京から福島県白河市に移住し、新生活に忙殺されていたためです。ようやく生活も落ち着き始め、またありがたいことに励ましのコメントをいただいたこともあり(Mさんありがとうございます)、これよりまた新規記事の作成を再開したいと思います。ただし、以前よりはスローペースとなり、また福島県近隣のお城が中心になると思いますが、引き続き...
白河関
白河関は、福島県白河市にある古代の関所跡です。歴史白河関は、奈良時代から平安時代に使用された関所で、古くより陸奥の玄関口として知られます。しかし、関所が廃止されてからしばらくすると、その場所が分からなくなりました。江戸時代に『奥の細道』の旅に出た松尾芭蕉は、関所跡の候補地を訪ね歩いたうえで「白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」と、みちのくに入った感動を書き記しています。寛政十二年(1800) 白河藩主・...
名島城
名島(なじま)城は、福岡県福岡市東区にあった城郭です。歴史名島城は、戦国時代に立花山城主・立花鑑載により出城として築かれました。豊臣秀吉による九州征伐後、筑前・筑後の領主となった小早川隆景は、天正十六年(1588)より新たな本拠として名島城を大改修しました。文禄・慶長の役(1592~98) が始まると、名島城は軍事物資の補給基地としての役割を担いました。文禄四年(1595) 隆景は養子の秀秋に家督を譲り、備後国三原へ隠...