馬齢を重ねて辰年生まれの齢は七回目の辰年。12干支ⅹ七周目=辰年の84歳。弥生三月の誕生日に84歳になりましたが誕生月に更新した運転免許証は恥ずかしながら人生初となるゴールド免許(優良)になりました。思い起こせば19歳で自動二輪免許を取得してから業務で社有車の初代スバルサンバー360cc(二座席の軽四輪トラック)で四輪車のハンドル感覚の運転成果なのか、世間などでは自動車教習所で免許を取得する時代に自動車教習所をスルーして、20歳の時に東京鮫洲運転免許試験場で普通免許試験に合格したので19歳からの運転免許歴は65年間になる。
若気の至りの頃はスピード違反や一時停止違反などの罰金や反則金で免許証を汚す事が度々ありました。仕事で国内外の出張の多い頃の時代にJR東日本と西日本、羽田空港に便利な現在の新横浜へ三十五歳で引っ越してきた。都内と違い駐車場も安いので、1976年に発売された初代ホンダアコード・3ドアハッチバック・CVCCエンジンを自家用車に購入したので私用でも交通違反の洗礼を受けた。東名高速などで観光ドライブの行き帰りの高速道ではスピード違反でパトカーの追跡を受け、一般国道では白バイにスピード違反追跡を受けた事がある。公私ともに若い頃は交通違反があったが現役を引退してからは高齢化とともに運転は下手になりスピードは控えめの穏やかになったと自覚している。それでも野鳥撮影を始めてから18年間では遠征した渋滞の少ない広い北海道ではネズミ捕りに3度も捕まった体験がある。道を知らない未知の北海道で物陰に隠れてコソコソ取り締まるのは県外者には腹立たしい事が度々あったが二度目からは同じ摘発の場所ではスピードを落とした。
現在の免許証は昭和34年の19歳での初免許証も免許更新のウッカリ失効で昭和56年となっている。昭和56年40歳の働き盛りの週末恒例のマージャン帰りに深夜の駒沢公園付近で飲酒運転の検問に引っ掛かり、飲酒はしていなかったが免許証が三ヶ月前に切れていた事が判明して、視力検査と適性検査と所定の講習で免許証が再発行され年月日が昭和56年となった。それ以来今日まで、免許証更新日に注力するようになった。
写真は本年更新した免許書である。有効年月日表示欄がブルーだったのがゴールドになった。生涯初めてのゴールド免許は5年以上違反や事故が無いのが条件だそうだが六年前と三年前の免許の五年間以上に違反が無かったようです。ゴールド免許の所持者の大半は、ペーパードライバーと聞いていたが直近の六年間は野鳥撮影と日本100名城などの遠征で北海道から九州まで日本全国をドライブしていた。
直近の遠距離走行では、2022年の5月15日~22日に、山陰と山陽の中国地方5県の日本100名城の13城を巡り、しまなみ海道(西瀬戸自動車道)を尾道から四国入りして今治城に直行、登城したのは5月23日であった。愛媛県の今治城⇒松山城⇒湯築城⇒大洲城⇒宇和島城の5城を巡り、高知県の高知城⇒徳島県の徳島城⇒5月26日高松城と丸亀城の四国の日本100名城の九城を攻城して中国と四国の22城のスタンプを完了した。
最後の長距離運転は2022年7月12日~18日。4回目のワクチン注射した翌日の12日より横浜を出発して100名城最後の長期ソロドライブで九州の日本100名城を目指した。横浜から約1100㎞の福岡県のNo.85福岡城➡No.86大野城➡No.88吉野ケ里➡No.87名護屋城➡No.89佐賀城➡No.90平戸城➡No.91島原城➡No.92熊本城➡No.93人吉城➡No.97鹿児島城➡No.96飫肥城➡No.95岡城➡No.94大分府内城の九州七県日本100名城13城を巡るスタンプラリーを完了して門司を14時に出発して約千キロ、雨の中を徹夜ドライブして18日の午前4時に横浜に帰宅した。今回八日間の走行距離3558km、前回の13日間の中国・四国100名城巡り3553kmとほぼ同じ走行距離であった。因みにJR最北端の稚内駅 ⇒JR最南端の西大山駅の距離3127km、これよりも400Km以上も長距離の車旅でした。2018年5月に北海道の野鳥撮影の傍らに開始した日本100名城スタンプラリーは、5年5ヶ月の長期に渡ったが最後の上がりの一城として残していた日本最大の将軍の城、江戸城の本丸・二の丸・三の丸・天守台など「皇居東御苑」を令和五年十月二十五日に日本100名城巡りは無事故無違反で完了した。
初めてのゴールド免許だが現況では足腰の衰えが元凶になる恐れから今のところ長距離遠征・長距離運転の計画がありません。(完)
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