コラム:アベノミクスの命運左右する賃上げ、カギ握るトヨタ

コラム:アベノミクスの命運左右する賃上げ、カギ握るトヨタ
10月11日、アベノミクスの命運を左右する「賃上げ」をめぐり、政労使の動きが本格的に始まった。大企業の賃上げは、トヨタ自動車の動向がカギを握っている。写真は2月、都内で撮影(2013年 ロイター/Toru Hanai)
田巻一彦
アベノミクスの命運を左右する「賃上げ」をめぐり、政労使の動きが本格的に始まった。大企業の賃上げは、トヨタ自動車<7203.T>の動向がカギを握っている。トヨタがベースアップの引き上げを決めれば、追随する企業が相次ぐだろう。
だが、非正規を含めた雇用状況が全体として好転するには、なお高いハードルが待ち受けている。建設業など一部業種で目立ってきた人手不足と人件費アップの動きが、広範な業種に広がるのかどうか。日本の労働市場は今、近年にない大きな変化の波に直面しようとしている。
<賃上げ要請した経産相>
茂木敏充経済産業相が10日に米倉弘昌・経団連会長と会談し、アベノミクスの効果である円安などで企業収益が大幅に改善しており、賃上げで還元してほしいと要望した。注目されるのは、厳しい国際競争にさらされている製造業の意見を代弁してきた米倉会長が、報酬引き上げにつなげていきたいと述べた点だ。
安倍晋三首相は、来年4月からの消費増税を決断した際に、復興特別法人税の1年前倒し廃止にカジを切り、「個人増税/法人優遇」の批判が出かねない政策を打ち出した。政府がここまで産業界に理解を示しているのに、減税分を企業が内部留保に溜め込めば、政府と世論の両方から攻撃を受けかねないとの判断が、米倉会長ら経済界首脳に働いたのだろう。
一方、政府としても4月から消費税が8%に上がる際に、賃金が上がらずにいれば、日銀の黒田緩和の効果で物価が上がっていることもあり、消費者の負担感が増大し、盛り上がってきた個人消費の勢いに水を差されかねないとの懸念があるようだ。
<注目されるトヨタのベア判断>
ただ、賃金は各企業ごとに労使の交渉で決まる。政府が圧力をかけても、ストレートには政府の意向が反映されない仕組みとなっており、政府サイドにも「隔靴掻痒(かっかそうよう)」の感覚が残っていると想像する。
この賃上げの行方のカギを握っているのがトヨタの動向だ。もし、トヨタがベースアップを含めた月例賃金の引き上げを認めれば、他の大企業・製造業の賃上げ交渉にも大きな影響を与えるだろう。
とはいえ、足元の日本企業の収益力・国際競争力は、自動車がダントツで強いものの、他業種は電機を筆頭にかつての栄光を取り戻せていない。ベースアップは断念し、ボーナスで対応する企業が増える展開も予想される。
<正規467万円・非正規168万円の実態>
それでも、ボーナスを含めた総報酬の水準切り上げが期待できる大企業は、日本の労働市場全体から見れば、かなり恵まれている。対照的に非正規社員の所得水準は、正規社員との間で大きな格差を生んでいる。
国税庁が今年9月に発表した「2012年民間給与実態統計調査」によると、正規社員の平均給与が467万6000円だったのに対し、非正規社員は168万円にとどまっている。
国内労働市場に占める非正規社員の割合は35%程度まで上昇しており、今後も上昇していくと予想されている。
この非正規社員の所得水準をどのように引き上げていくのか、社会政策の観点からも政府は真剣に検討を進めていくべきだ。労働組合運動の中心にいる連合も、非正規社員の待遇改善に一段と力を入れて、実績を残していかないと、日本における労働運動の先細り傾向に歯止めをかけることはできないだろう。
<表面化してきた人手不足と時給上昇>
非正規社員も含めた所得環境の引き上げに関し、もう1つの変動要因がある。ヒタヒタと押し寄せる人手不足の状況だ。
東日本大震災の復興需要に伴って、東北地方で先行して表面化した建設現場を中心にした人手不足は、アベノミクス効果でマネーが流入し出した首都圏をはじめとした大都市圏の建設・不動産分野で目立ってきた。
この動きが今、ジワリと他の業種にも波及しつつあるようだ。中小・零細企業の中には、臨時雇用の時給を上げても人手が集まらないと嘆いているところもあるようで、こうした状況がさらに広がれば、非正規社員の本格的な賃金上昇に結びつく可能性もある。
いずれにしても、労働分配率を低下させることで危機への対応力を増強してきた日本企業の経営が、大きな分かれ道に直面していることは間違いない。コストカットで損益分岐点を下げ、企業を存続させるだけでは、「有能な経営者」とは言えない。
新しいビジネスを開拓する「勇気」と「経営センス」を持っている経営者なら、ビジネス推進の原動力である優秀な社員の獲得のため、雇用者報酬を引き上げることにためらいは持たないだろう。いよいよ日本の経営者も、言い訳ができない状況に立ち至ったのではないか。
[東京 11日 ロイター]
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