朝、アパートのエントランスにあるポストに郵便物を取りにいくと、コアマガジン刊
『ビデオ・ザ・ワールド』誌6月号が届いていた。これが最終号となる。創刊号が1984年1月号(発売は83年12月)だから、30年近い歴史に終止符が打たれたわけだ。休刊は実は昨年末には決まっていて、本来残り2号出る予定だったのだが、不慮の事態があったとのことで、突然の終焉となった。アダルトビデオ情報誌と呼ばれるものは、全盛期の90年代前半にはおそらく7、8誌出ていたと思われるが、1誌また1誌となくなり、『ビデオ・ザ・ワールド』も近年は苦しい状態が続いていた。3月新宿ロフトプラスワンで行われた『代々木忠+面接軍団』のイベントに取材でお邪魔した際、おそらく日本一の代々木忠ファンというか、代々木忠研究家と呼んでもさしつかえないTさんに声をかけられた。
彼も熱心な読者としてそういった状況を察していたのだろう、「トーラさん、『ビデオ・ザ・ワールド』頑張ってくださいね」と言ってくれた。Tさん、こういう事情だったのです。ただ営業的な配慮もあり、編集部よりギリギリまで内密でお願いしますと言われていたので、あの時はお伝え出来ませんでした。すみませんでした。最終号では『名前のない女たち』で知られる中村淳彦くんが「どこの誰かも判らないただの編プロのバイトの僕を現場取材に行かせてくれて、毎月5千字6千字という書く場を与えてくれた」「『ビデオ・ザ・ワールド』がなかったら記事を書ける技術は身についていなかっただろう」と書き、沢木毅彦さんは「『ビデオ・ザ・ワールド』の原稿を書いて暮らせた季節は〈夢のような日々だった〉と今後死ぬまでそう思い続けるでしょう」と綴っている。僕も、お二人と同じ想いでいます。
また
カンパニー松尾監督はTwitterに「ワールドが一つの指針であり、ワールドに評価されたくて撮ってた時期もありました。無念です」とコメントを寄せている。僕個人のことを語れば1983年、同誌がまだ白夜書房の発行で、「V」という下請けプロダクションで創刊号を制作していた時期の編集スタッフだった。末井昭編集長による『写真時代』のビデオ版をというコンセプトで始まったものの、世の中にアダルトも一般物も含め、ビデオソフトというもの自体がまだ極端に少なく、情報を集めることに苦労したという記憶がある。その後僕自身も制作プロダクションから白夜書房へ移り、編集者をしながら数々の記事を書かせてもらった。そして1987年からは「男優物語」「女優物語」「監督物語」という連載を始め、それらが後に初めての単行本『アダルトビデオジェネレーション』(メディア・ワークス刊)となった。その意味では、僕というモノカキを作ってくれたのは、この『ビデオ・ザ・ワールド』だと思っている。常に自由に書かせてくれた発行人で初代編集長の中沢慎一氏と、現編集長の吉田浩之氏に深く感謝申し上げます。
そして読者の皆さま、長い間ありがとうございました。上記Amazon.co.jpのリンクにもありますが、『ビデオ・ザ・ワールド』誌最終号は5月8日の発売です。東良美季が構成を担当しておりますカンパニー松尾・バクシーシ山下両監督の鼎談「山松対談」も、期せずして今回が最終回となりました。ゲストにはお二人の師匠でもある安達かおる氏をお迎えしています。