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杉山登志

もうすぐ、12月13日になる1973年のこの日に杉山氏は自殺をした。当時私は大学の3年生であった。 
 この人の名前をネット検索すればたくさん情報をみることができるのでそちらにお任せしたいのだが、自分にとってはこれまでの人生で忘れられない一人である。この人が作ったCMのいくつかはいまでも鮮明に覚えているし、そしてこの人にあこがれて一時はCMクリエーターになりたいと思ったひとりである。実際にこの人にあこがれて広告制作の世界に入った人も多いことだろうと思う。



 ネットで検索すると、業界の人たちが杉山氏の思い出を語ったものをたくさん見つけることができる。さらに、最近テレビ番組でも取り上げられたこともわかった。彼を語るには制作したCMを見るのが一番であろうし、私の言葉ではなかなか語りきれない。今見てもおそらく古びることのない彼のCM作品をみれば、彼の頭の中で作られた世界が見るものに多くのイマジネーションと夢を与えてくれたかがわかるだろう。彼以前のCMと彼以後のCMは大きく変わったし、そして彼がいなくなった後のCMの世界も大きくかわったように思う。ちょうど、オイルショックがあったときだ。
私の年代に近い人で当時の前田美波里が出演していた資生堂のCMを覚えている人はいるだろうか、またモービル石油の「のんびり行こうよ~」という歌が挿入されたCMを覚えているだろうか。

そして、彼が自殺したときの遺書

リッチでないのに
リッチな世界などわかりません。
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは・・・とても
嘘をついてもばれるものです。

だけは忘れられない。この後ひとつの時代が終わったような気がした。そして、彼のCMを超えたものをいままで見たことがない。
彼はまさにリッチでハッピーな世界を夢見させてくれた人だった。そして、天才だった。
秋川リサが彼のために書いた
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「彼は確かに天才だったのでしょう。彼のまわりの人たちもそう思っていたし、そう扱ってきました。でも、そんな中で、
『なにが天才よっ』
 と言ってくれる人が必要だったのかもしれません。
『なにが天才よっ』
 それで彼が生き返るなら、百万回でも言いたい。そんな気持です」
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なんて愛情にみちた言葉なのだろう。

実は、私が写真を撮るという行為は杉山氏にあこがれた若き日の自分のある部分に通じている気がしてならない。
by nobuyuki0124 | 2005-12-11 09:16 | 日記


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