これまで2回に渡ってRichard Stallman氏のドイツでの講演を紹介してきた。第1回では「フリーソフトウェア」と「オープンソース」の差異、第2回では電子書籍の例を中心に著作権に対する抗議の内容を示した。
最後となる今回はStallman氏が考える「著作権のあるべき姿」を紹介する。
Stallman氏は、著作権は多くの国で「市民の自由を尊重する民主的な政府がとるべき方向とはいえない方に向かっている」という。では、どうすべきなのか。氏は「著作権の力を削減すべきだ」と主張。著作権を長さと深さ(範囲)の2つの面から私案を披露した。
長さについては「本や音楽が出版されてから10年」と短縮することを提案する。根拠として、米国では出版サイクルは3年、その後はほとんどの本が絶版になることを挙げる。「10年は3年の3倍以上だ。十分といえる」(Stallman氏)
実際、ある小説家にパネルディスカッションで聞いたところ、「5年以上はすべて長い」といわれたという。この小説家は自身の小説が絶版になった後で、出版社が増版に応じないという問題を抱えていたという。「アーティストなら誰もが、自分の作品を体験してほしいと思っている。この小説家の場合、自作を広げたいという自身の願いが著作権により阻止されている」とStallman氏。「10年がちょうどいいのかはわからない。5年でもよいかもしれない」とも述べる。
深さ(範囲)については、まず出版を3つのカテゴリに分類した。1つ目は、日常生活で実用的な作業をするのに使う作品。ソフトウェア、レシピ、教育的要素を持つ作品、テキストフォントなどがこのカテゴリに入る。これらは「フリーであるべき」とStallman氏は主張し、フリーソフトウェアの4つの自由が保証されるべきだとする。「日常生活での作業に用いるものを自分に合わせて変更できないとなると、ユーザーは自分の日常生活をコントロールできないことになる」ためだ。自分の用途に合わせて変更したら、今度はそれを自由にパブリッシュできるべきだとも言う。
2つ目は、回顧録、エッセイ、学術論文など一部の人々の考えを表す作品だ。これは誰が作成したのかが重要になり、変更したものがパブリッシュされると、オリジナルの考えが誤って伝えられてしまう可能性がある。このカテゴリでは「共有」という最小限の自由があるべきだという。そして、非商用目的でそのままの形で再配布する自由や、インターネットを含むさまざまなメカニズムで共有できる自由があるべきだと主張する。
「共有はすばらしいことであり、社会の基盤を縫い合わせるものだ。共有をやめさせる唯一の方法は、残酷で不当な法や措置しかない」とStallman氏。その例として、フランスなどですでに導入され、いくつかの国でも導入が検討されているネット接続遮断(「スリーストライク」といわれることもある)を挙げた。「共有の戦争」をやめさせるためには「共有を合法にするしかない」(Stallman氏)というわけだ。
3つ目は、芸術とエンターテインメント。芸術作品は品位や完全性があり、修正はそれを損なうことになるため「結論に至るまでに時間がかかった」という。「品位や完全性のない芸術作品もあるが」と苦笑いしつつ、このカテゴリでの結論はこうだ——芸術作品の修正は貢献といえるが、いますぐに修正する必要もない。
「商用での利用と変更をカバーし、期限を10年に短縮する著作権法(が適当だ)。10年が過ぎればパブリックドメインとなり、変更したものをパブリッシュできる」(Stallman氏)