Steinberg Media Technologies GmbH

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最近は agraph(アグラフ)名義のソロ・アーティストとしてだけでなく、ロック・バンド LAMA(ラマ)の一員として、また人気アニメの劇伴を手がける作曲家として、エレクトロニック・ミュージックの枠にとどまることなく活躍している牛尾憲輔さん。そんな牛尾さんが音楽制作のメイン・ツールとして愛用しているのが、Steinberg Cubase です。大学時代に最初に手に入れた DAW が Cubase で、それから10年以上、他の DAW に浮気することなく愛用し続けていると語る牛尾さん。現在は3枚目のソロ・アルバムを制作しているという牛尾さんに、音楽制作を始めたきっかけから現在の使用機材、そして長年 Cubase を使い続けている理由など、じっくりとお話をうかがってみることにしました。

小学校のときに既に将来はミュージシャンになると決めていた

- 牛尾さんは小さいころ、ピアノとかをやられていたんですか?

やってましたね。というのも、家が音楽教室だったんですよ。でも父親も母親もピアノの先生だったというわけではなくて、ぼくが生まれるまえの話しなんですけど、ご近所さんたちのあいだで、"このあたり音楽教室がないから、どなたかの家で始めてみたらどうかしら。ちょうど真ん中へんにある牛尾さん家がいいんじゃない?" ã¿ãŸã„な無茶な話になったらしく(笑)、ある日突然、家が音楽教室になってしまったらしいんです。そんなに広い家ではなかったと思うんですけど、いきなりピアノとエレクトーンがやって来たらしく……。それだったらということで、ぼくもピアノを習い始めたんですよ。

- 自分ですすんで音楽を聴き始めたのは?

小学校時代、浅倉大介さんが最初ですね。きっかけはテレビ・アニメで、当時 access ãŒãƒ†ãƒ¼ãƒžæ›²ã®ç•ªçµ„がいくつかあって、すごくカッコいい曲だなと。浅倉大介さんがつくるメロディー・ラインも好きでしたし、小さいころから音フェチだったので、シンセサイザーの音色に何か惹かれたんです。それにシンセサイザーに囲まれている浅倉大介さんもカッコよかったですしね。なんともメカメカなエマージェンシーな感じがして(笑)。それで "ぼくは将来、浅倉大介さんのようなミュージシャンになる!" ã¨æ±ºå¿ƒã—て。すぐさま図書館に行って、『コンピューター・ミュージック』という本を借りて読んだりしていましたね。難しくて内容はまったく理解できてなかったんですけど、"ぼくは将来、ミュージシャンになるわけだから、こういう難しい本もしっかり読んでおかないとな……" ã¨æ€ã£ã¦ç†Ÿèª­ã—ていました(笑)。その後はさかのぼるようにして、TMN、YMO、Kraftwerk といった電子音楽を聴き始めましたね。

- その間、ずっとピアノは習い続けて。

どちらかと言えば、エレクトーンのほうがメカメカなルックスで好きだったんですけど、鍵盤がフニャフニャだったので、親が最初はピアノをやりなさいと言って。すっごく嫌だったんですけど、"ぼくは将来、ミュージシャンになるわけだから、ガマンして続けないと……" ã¨æ€ã£ã¦ã‚„ってましたね(笑)。たまに楽譜を見ながら、access ã®æ›²ã‚„『戦場のメリークリスマス』なども弾いたりしていました。

- 最初にシンセサイザーに触れたのは?

シンセサイザーにはずっと興味があったので、親に頼んで中学校2年生のときに最初のシンセサイザー、ヤマハ EOS B900 を買ってもらったんです。当時は B900 と、浅倉大介さんがプロデュースしたヤマハ QS300 という2つの選択肢があって、ぼく的には俄然 QS300 のほうに惹かれていたんですけど、スピーカーが入ってなかったじゃないですか。外部にスピーカーを繋ぐというのもたいへんそうだったので、さんざん迷ったあげく B900 を買ってもらいました。それで流行りものの曲の楽譜を見ながら、内蔵シーケンサーでコツコツ打ち込みを始めたんです。だから B900 で打ち込みのベーシックを学んだ感じですね。

電子音に目覚めたのは、中学を卒業するくらいのときに Kraftwerk を聴き始めてから。Kraftwerk の『The Mix』に入っている『Computerliebe』のある部分…… リバーブがかかったパルスの部分があるんですけど、あれがすごく好きになってしまって、そこだけをテープに録って執拗に聴いていたんです。あのパルスによって電子音に目覚めてしまったというか、道を踏み外してしまった感じですね(笑)。

- Kraftwerk の次にハマった音楽というと?

高校に入ってからは、中学時代まで聴いていたポップスとは違う、クラブ・ミュージック的なテクノを聴き始めました。何がきっかけだったのかは忘れてしまったんですけど、たぶん雑誌か何かで石野卓球さんやケン・イシイさん、KAGAMI さんといった人たちのインタビューを読んで興味が出て、それでいろいろ聴き始めたんだと思います。やっぱり最初は衝撃的でしたね……。それまで聴いてきたポップスとはぜんぜん違うサウンドなので。完全にクラブ仕様というか、音色とかミックスとかがぜんぜん違うので、それは自分にとってかなり刺激的でした。それで雑誌を見ながらいろんなアーティストを聴き始めたんですが、どちらかといえばメロディアスな曲よりもハード・ミニマルなトラックが好きで聴いていましたね。たとえば卓球さんの『BERLIN TRAX』とか。いっぽうで、クラブ仕様ではないベッドルーム的なエレクトロニック・ミュージックも聴き始めて。具体的には、エイフェックス・ツインとかレイ・ハラカミさんとか。だから高校時代は、クラブ仕様のハード・ミニマルなトラックと、ベッドルーム的なエレクトロニック・ミュージック、その両方を並行して聴いていた感じですね。

- 中学や高校時代、バンドはやられてなかったのですか?

中学を卒業するときに、謝恩会で TMN のコピー・バンドをやったくらいです。ビシッとスーツできめて、小室哲哉さんのマネをして(笑)。高校ではいちおう軽音部に入ったんですが、聴き始めたテクノの影響で、演奏するのはカッコ悪いという意識になってしまって。人間が弾くのではなく、自動演奏のほうがカッコいいなと(笑)。だから高校時代はバンドは一切やらなかったですね。

クラブで会った石野卓球さんに、"仕事させてください" と言ったのがこの世界に入ったきっかけ

- 自分でオリジナル曲をつくり始めたのは?

高校に入ったころにインターネットに繋がるようになったので、フリーのソフト・シンセやステップ・シーケンサーなどをダウンロードしてスタートした感じですね。そのころはもう B900 は使わなくなっていて、パソコンだけでマウスを使ってポチポチやり始めて。作曲らしいことを始めたのはそれが最初ですね。

- パソコンは家にあったんですか?

中学時代に、エレクトーン教室のお兄ちゃんがくれた NEC PC-9801 が最初のパソコンで、それでカモンミュージック レコンポーザを使ったりしていました。B900 を繋いで。そのあとは、Microsoft Windows 95 か 98 のパソコンを親が買って、高校時代はそれをずっと使っていましたね。

それで大学に進学するわけですが、ぼくが入った大学が芸術系のゼミがあるところだったんですよ。だからそこで音楽理論の講義を受けたり、あとは講師の先生に頼んで Avid Pro Tools の使いかたをひととおり教わったりしましたね。そうしたら先生が20歳くらいのときに Pro Tools オペレーターのバイトを紹介してくれて。ぼく、パソコン・オタクだったので、Pro Tools の操作が異常に速かったみたいなんですよね。それで先生が紹介してくれたクラブキングで『スネークマンショー』の編集とかをしていました。

- Cubaseを使い始めたのは?

Pro Tools は大学とバイトで使っただけで、自分の曲づくりに使う DAW は最初から Cubase でした。最初に手に入れたのは大学に入ったときで、確か Cubase SX の最初のバージョンだったと思います。Cubase という名前は、卓球さんが好きだったので高校時代から知っていたんですが、高くて買えなかったので、Cubase VST の解説書だけを買って読んでいたんですよ(笑)。だから大学に入っていよいよ DAW を買うとなったときも、迷いなく Cubase を選びましたね。

- 当時、Cubaseで鳴らしていたのはソフト音源ですか?

いや、バイトでお金が入ったので、いろいろハードを買い始めました。ピアノ育ちなので、最初は良いマスター・キーボードが欲しいなと思ったんですが、なかなか納得のいくタッチのものがなくて。鍵盤に錘が入っているのは嫌で、どうしようと思っていたときに登場したのがヤマハの MOTIF だったんですよ。MOTIF の BH 鍵盤がとにかくすばらしくて、これは最高だなと思ったんですが、シーケンサーは Cubase があるので必要ないわけじゃないですか。それでも買ってしまおうか悩んでいるときに発売されたのが、ヤマハの S90 で。MOTIF と同じ BH éµç›¤ã§ã€ã“れこそぼくが求めていたマスター・キーボードだと思ってすぐに買いましたね。だからぼくの S90 は、シリアル・ナンバーが4番なんです(笑)。1回調子が悪くなったときにヤマハの人が修理に来てくれたんですが、ぼくの S90 を見て "これ、めちゃくちゃ最初のロットですね" ã¨é©šã„てましたよ(笑)。でも、S90 って本当に名機だなと思いますね。BH鍵盤のタッチはすばらしいですし、MIDI のコントロール・データもしっかり出力してくれて、USB 端子も備わっている。それに内蔵音源は MOTIF と同等のものですしね。それでいて DAW と併用する際に邪魔になるような機能は入ってないですし。だから S90 ã¯ã„まだに愛用していて、マスター・キーボードとしてだけでなく内蔵音源もよく使っています。

大学時代はほかに、ローランド XV-5080 や JUNO-106 なども手に入れました。それらを Cubaseで 鳴らす感じで。もちろんソフト音源も併用していて、Cubase SX に付いていた Waldorf A1 は大好きでしたね。A1、すごく良かったので、ぜひ復活させてほしいです。

- 現在もハードウェア音源は多数使われていますよね。

そうですね。Cubase を使って曲づくりを始めたときからいまにいたるまで、音源としてはハードウェアが中心ですね。ハードウェア音源を使うようになったのは、やっぱり卓球さんとの出会いが大きいです。ご存じのとおり、卓球さんはハードウェア音源をたくさん使うので、必然的にぼくもそういった機材の生のサウンドを耳にするわけですよ。そうすると耳が肥えてきて、PCM のシミュレーションものはどんどん退役するようになりました。やっぱり本物にはかなわないなという。

- いろいろなところで語られているとは思いますけど、石野卓球さんとの出会いについて、改めておしえていただけますか。

20歳になって、ようやくクラブに入れるようになったので、憧れだった卓球さんのイベントにさっそく遊びに行ってみたんですよ。そのときのクラブは、VIP 席がバー・カウンターの脇にあって、そこには卓球さんの姿が見えて。"お、卓球さんだ!" ã¨èˆˆå¥®ã—ながら、お酒なんか呑めないくせにカウンターに座って、卓球さんのほうをチラチラ見ていたんです(笑)。そうしたら卓球さんがカウンターのほうにツカツカ歩いて来て。"ヤバい、これはチャンスかも!" ã¨æ€ã£ã¦ã€"すみません、ぼく大ファンです。握手してください!" ã¨ã‹è¨€ã£ã¦ã—まったんですよ(笑)。そうしたら卓球さん、笑顔で握手してくれて。それで調子に乗ってしまって、"デモ・テープを送ったら聴いていただけますか?" ã¨è¨€ã£ãŸã‚‰ã€"ああ、いいよ" と答えてくださって、さらに図々しいことに、"ぼく、Pro Tools が使えるんですけど、卓球さんのところで仕事させてもらえないですか?" ã¨ã‹è¨€ã£ã¦ã—まったんです。若いとは恐ろしいですよね(笑)。そうしたら "ちょうどアシスタントが辞めてしまって困ってたんだよね。いまアルバムつくってるから、よかったらオレのスタジオに遊びに来なよ" と言ってくださったんです。その後、イベントの1ヶ月後くらいに、卓球さんから本当に電話がかかってきたんです。それが2003年のことで、卓球さんが『TITLE #1』と『TITLE #2+#3』の制作をしているときでしたね。

- クラブキングでバイトをやっていたわけですし、Pro Tools のオペレーションには自信があったと。

いや、それがまったく自信はなかったんです。クラブキングでの作業も、そんなに難しいものではなかったですからね。だから、"もしかしたら卓球さんから本当に電話があるかもしれない" ã¨æ€ã£ã¦ã€1ヶ月間、必死になって Pro Tools の勉強をしましたよ(笑)。

- それにしてもまさに運命の出会いですね。

本当に。それからは卓球さんにアシスタントとしてつかせてもらって。ぼくにとっては卓球さんとの出会いは本当に大きくて、曲のつくりかたをはじめ、プロダクションの動かしかた、シンセサイザーの触りかた…… それらすべて卓球さんの影響下にあると思ってます。

agraph 名義で発表しているのは、自分のためにつくっている曲。作品を発表するたびに、自分をさらけ出すようになっている

- 牛尾さんの最初のソロ作品は、石野卓球さんのレーベル "platik" ã‹ã‚‰ãƒªãƒªãƒ¼ã‚¹ã•ã‚ŒãŸã‚³ãƒ³ãƒ”レーション『Gathering Traxx Vol.1』(2007年)に収録されている『colours』だと思うんですが、このアルバムに参加されたきっかけは?

卓球さんが、"こんど若いやつの楽曲を集めて platik でコンピレーションをつくるから、デモがあったら聴かせてみてよ" ã¨èª˜ã£ã¦ãã ã•ã£ãŸã‚“です。もちろん卓球さんのアシスタントをしながら曲づくりは続けていたので、さっそく卓球さんにデモを聴いてもらったんですが、それがけんもほろろの反応で……。当時ハマっていたイタロ・ディスコ風の4分打ちの曲だったんですけど、"何これ? ぜんぜんダメじゃん" ã¨ã‹è¨€ã‚ã‚Œã¦ã—まって。そのときはかなり落ち込みましたね。それが23歳のときで、卓球さんのアシスタントを始めてから3年くらい経っていたわけです。その間、卓球さんのプロダクションを間近で見させてもらって、MAYDAY ã‚„ WIRE といった大きなイベントではテクニカル・スタッフとして関わらさせてもらい、そんな貴重な経験をしてきたのにも関わらず良い曲がつくれないオレって何なの?と落ち込んでしまって。もう23歳だし、これでダメなら早くやめたほうがいいんじゃないかと……。それだったら最後に、クラブ・ミュージックからは一度離れて、ずっと好きだったベッドルームで聴けるエレクトロニック・ミュージックをつくってみようと思ったんです。それでダメだったら、本当に自分は才能がなかったんだと諦めもつくかなと思って。そして完成したのが『colours』で、卓球さんに渡したあと、DJイベントのためにドイツに行っていた卓球さんから、"なんだよ、すごくいいじゃん" とメールが届いて。そのメールは、ものすごく嬉しかったですね。それで kensuke ushio 名義で『Gathering Traxx Vol.1』に収録されることになったんです。

- 『colours』は、現在の agraph サウンドの原点という感じですが、その針路が決まったのはそのときだったんですね。

そうなんです。それでそういう感じの曲をつくり始めたら、そっちのほうが作業していても楽しくて、自分でもクオリティが高い感じがして。自分はそういうベッドルーム的な音楽のほうが合っているんだなと認識したんですよ。それを気づかせてくれた卓球さんには本当に感謝していますね。

- そして2008年には、agraph 名義でのファースト・アルバム『a day, phases』を発表します。

『colours』を発表した後も、ライフワークのようにコツコツと曲をつくっていたんですが、あるとき卓球さんに "自分の曲つくってるの?" ã¨è¨Šã‹ã‚ŒãŸã‚“ですよ。そのとき、ちょうど自分のオリジナル曲が7曲入っていた iPod を持っていたので、"はい、いま持ってます" とか言って、聴いてもらうことになったんですけど……。その7曲は、自分の感性に本当に正直につくった曲で、かなり気に入っていたんです。そんな曲を "ダメ" ã¨ã‹ "良くない" ã¨ã‹è¨€ã‚ã‚ŒãŸã‚‰ã©ã†ã—よう……とか考えたら急に怖くなってしまって、iPod の再生ボタンを押すだけ押して "自分、お酒買ってきまーす" とか言って外に出てしまったんです(笑)。それこそ逃げるように。そして20分くらいしてから、おそるおそるスタジオに戻ったんですけど、そうしたら卓球さんがものすごく真剣な表情をしているわけです。"うわ、これはきっと気に入らなかったんだな……。あーあ、死のう" ã¨ã‚¬ãƒƒã‚«ãƒªã—ていたら、卓球さんがこっちを振り返って、"すっごく良かったよ。おまえ、これ世に出さないとダメだよ。絶対に" ã¨è¨€ã£ã¦ãã‚ŒãŸã‚“です。そのときはもう泣きそうになりましたね。それでレーベルのディレクターもデモを気に入ってくれて、ぼくのソロ・アルバムとして出そうということになり、完成したのが『a day, phases』というわけです。

でも、『a day, phases』の収録曲に関しては、本当に世に出すことは考えてなかったんですよ。自分のためだけにつくっていた曲というか。『colours』を発表したあと、ほとんどクラブに行かなくなって、自宅に帰っては自分が気持ちよく感じる音だけをひたすらつくっていたんです。そして完成した曲を iPod に入れて、それを聴きながら明け方河原を散歩したりとか……。まさに自分の散歩用 BGM という感じでした。ぼくの散歩コースは、橋の上に立つと朝日がすごくきれいなんですけど、振り返ると工場があったりするので、その真逆な感じを音で表現してみたりとか(笑)。だから、ああいう形で世に出せることになるとは思ってもみなかったですね。

- プライベートな音楽。

まさに。あ、でも、それはいまにいたるまで変わってないかもしれない。結局、agraph 名義で発表している作品って、自分のためにつくっている曲なんですよ。作品を発表するたびに自分をさらけ出すようになっているというか。"あ、裸だと思っていたけど、まだ服を着てた。これも脱がなきゃ" ã¿ãŸã„な。

- agraphという名義に関しては?

さっきの橋から見た風景じゃないですけど、視覚からインスパイアされて曲をつくることが多かったので、グラフィックとか視覚要素が絡んだ名前にしたかったんですよ。それで "graphic" ã¨ã„う響きが気に入ったので、その前後に単語をくっ付けた造語がいいなと思ったんです。Google 検索してもほかには出てこないような名前。それで "graphic" ãŒå…¥ã£ãŸé€ èªžã‚’いくつか考えて、お酒の席で卓球さんと川辺ヒロシさんに "自分、こういう名前考えてるんですよ" ã¨æŠ«éœ²ã—たら、みなさんに爆笑されてしまって(笑)。でも卓球さんが、"まぁ、graphic だとカッコつけすぎだけど、graph だったら頭でっかちのおまえに合ってるかもね" と言ってくださったんです。確かに自分は理系で、何でも論理的に考えてしまう人間なので、"graph" ã¯åˆã£ã¦ã‚‹ã‹ã‚‚と思って。そして頭に "a" を付けて "agraph" にしたら、なんかしっくりきたのでこれでいいかなと。Google で検索してもほかに出てこなかったですしね。

- 2010年に発表されたセカンド・アルバム『equal』は、耳が肥えた人たちのあいだで、かなり評判になりました。これは『a day, phases』の延長線上にある作品なのでしょうか。

『a day, phases』のときはベッドルーム・ミュージックと言っても、クラブ・ミュージック的な要素がまだ自分の中に残っていたんですよ。たとえば、4分打ちでテクノ・トラックのようにつくってから最後にキックを抜いてみたりとか。しかし『equal』は、クラブ・ミュージック的な要素が完全に排除されたというか、さらに自分に嘘がない作品になってますね。またひとつ階段を下りて、自分の芯に迫った内容になっているというか。作品をつくるたびに自分の核心に迫っていっている感じ…… そもそも核心なんていうものがあるのかわからないですけど。

- いっぽうで、2011年にはフルカワミキさん、田渕ひさ子さん、中村弘二さんと LAMA を結成します。先ほど、学生時代はバンドにまったく興味なかったとおっしゃってましたが。

『equal』の発表と前後して、リミックスとかでいろいろな人たちが声をかけてくださるようになって。agraph名義の作品は完全にひとりでつくっているので、ほかの人たちとの共同作業というのはどんな感じなんだろうと思って LAMA にも参加したんです。先ほども言ったとおり、むかしはバンドとかにまったく興味なかったんですが、いざ人と一緒にやってみると、音のキャッチボールというかやり取りがおもしろくて。agraph での創作は、すべてひとりで好きなようにやれるぶん、作業しているときはとても苦しかったりするんですよ。自分の世界に入って、自分を追い込んでいくような感じなので……。だから人との共同作業は楽しいですし、とても新鮮ですね。

- LAMA での活動や他のアーティストのリミックスは、agraph の創作への良い刺激になる?

いや、それはないです。ぼくの中では完全に別ものですね。

最近感じるのが、Cubase はとても音楽的な DAW だなということ。プログラマーが想像でつくった DAW ではない

- 曲づくりを始められたときは、Cubase を使って外部のハード音源やソフト音源を MIDI で鳴らして制作していたとのことでしたが、現在にいたるまでそのスタイルにはどのような変化がありましたか?

いや、基本的には変わってないですね。ハード音源、ソフト音源ともに数が増えたくらいで(笑)。メロディーに関してはいまだに MIDI でつくりますし、リズムに関してはオーディオで切り貼りするようになりましたけど。基本的なスタイルは変わらず、むかしと比べると自分の作業の精度が上がった感じですかね。

- agraph 名義の作品は、ミックスも牛尾さんがやられてますよね。

そうですね。作曲、アレンジ、ミックスを並列で作業するので。このやりかたですと、たとえば低域がもの足りないなという場合でも、EQ を使ってローを上げる方法と MIDI のフレーズでオクターブ下を足す方法、あるいは鳴っているシンセのオシレーターを下げる方法、いろいろ選べるわけじゃないですか。だから agraph 名義の作品に関しては、マスタリング以外すべて自分でやっています。

- 曲づくりのフローは、特に決まってない感じですか?

もういろいろですね。必ずこの楽器からつくるというのはないです。強いて言うなら、鍵盤を弾きながらつくり始めることが比較的多いですかね。

- Cubase は、常に最新のバージョンを使用されていますか?

そうですね。バージョン4だけは少し試してみたらイマイチだったので跳ばしましたけど、以降はバージョン・アップのたびにしっかり上げてますね。現在は最新のバージョン7.5.20を使用しています。

- 牛尾さんは最初から現在にいたるまでずっと Cubase を使用されているので、他の DAW との比較は難しいとは思いますが、Cubase の良さはどのあたりにあると思いますか?

すべてをコントロールできるところですかね。もっと言えば、Cubase で出来ないことってないと思うんですよ。ざっくりとした曲づくりにも使えるし、すごく細かい部分まで追い込むことができる。最近の他の DAW を見ていると、"こんな感じで簡単に曲がつくれますよ" と、使い勝手というかユーザー・インターフェースにものすごく重点を置いている感じがするんですよね。それはそれでいいことだと思いますし、Cubase も同じようにざっくりとした曲づくりもできるんですけど、その上でものすごく細かい部分まで追い込むことができるのがこのソフトの特徴なんじゃないかと思っています。

それと最近感じるのが、とても音楽的な DAW だなということ。パートとイベントの違いもそうですし、カール・スタインバーグさんの思想がいまにいたるまで息づいているというか、ちゃんと音楽を理解している人がつくっているDAWだなと思います。プログラマーが想像でつくってないというか、ミュージシャンがつくっている DAW だなと。

- Cubase は、バージョン・アップのたびに新機能が追加されてきたわけですが、その中でも特に印象に残っているものというと?

細かい機能ですが、"トラックを無効にする (Disable Track) " にショート・カットを設定できるようになったところ(笑)。複数のトラックを選択して、ショート・カットでこのコマンドを実行できるようになったのはとても便利ですね。

あとはバージョン5で搭載されたマルチ・チャンネル・エクスポートは本当に革命的でした。そのむかし、卓球さんのアシスタントを始めたとき、Cubase VST で制作された楽曲を Pro Tools でミックスできるように、各トラックのオーディオを書き出すこともぼくの仕事だったんですけど、それこそ半日以上かかる作業だったんですよ。昼間できなかった場合は、徹夜で書き出したり。それがマルチ・チャンネル・エクスポートによって、わずか数分でできるようになった。これは本当に最高でしたね。

それと VST System Link。これはまさに夢見ていた機能で、海外の展示会で最初に発表されたとき、深夜だったんですが嬉しくて友人に電話してしまいましたよ(笑)。VariAudio が搭載されたときも嬉しかったですね。

- バージョン7で刷新されたユーザー・インターフェースについてはいかがですか?

正直、最初は戸惑いました(笑)。でも、いまはもう完全に慣れてしまって、こっちのほうが使いやすいですね。7.5になって7.0であった不具合も解消されましたし、ミキサーの拡大/縮小もできるようになった。確実に良いものになっている印象です。

- 現在お使いのシステムについておしえてください。

コンピューターは、Dell のワークステーション Precision です。ぼくはコンピューター・オタクなので、自作でもいいんですけど、Dell のワークステーションはサポートがすばらしいんですよ。ワークステーション保証の契約を結ぶと、24時間365日電話でサポートしてくれて、不具合が生じたらすぐに対応してくれるんです。それに Steinberg のデベロッパーやベータ・テスターも Precision を使っている人が多いですから、Cubase のユーザー的にはベストなコンピューターだと思っています。

オーディオ・カードは RME HDSPe MADI で、AD/DA コンバーターは SSL XLogic Alpha-Link MADI SX。それにエフェクト用の Universal Audio UAD-2 OCTO も入っています。

外での作業用コンピューターは Lenovo ThinkPad で、オーディオ・インターフェースは Steinberg CI2。このセットは LAMA のときによく使っていますね。

- ハード音源はどのようなものを?

ヤマハ S90、TX7、Clavia DMI Nord Modular G2X、Nord Rack、ローランド JUNO-106、JUPITER-6、Studio Electronics MIDI MINI、Elektron Octatrack DPS1、Machinedrum、Linn Drum LM-2、コルグ MS-20 mini、Waldorf microWave XT、Mutable Instruments Ambika……… あとは Eurorack 系ですね。Make Noise のものや Mutable Instruments のもの、それと Synthesis Technology E350 とか、Monorocket の M6C が2段分、すべて埋まっています。だからそろそろ新しいケースを買わないと(笑)。

- かなりの物量ですね。

使ってますね。ぜんぜんいまっぽくないというか(笑)。最近はシンプルなセットがお洒落だと思うので、時代に逆行してますね。

- ハード音源はどのように Cubase に録り込むのですか?

ミキサーは通さず、できるだけ高品位なマイク・プリアンプを使って録り込むようにしています。『equal』でマスタリングをまりんさん(砂原良徳氏)に頼んだんですが、まりんさんのスタジオってめちゃくちゃ音が良いんですよ。ぼくと同じフォステクスの NF-01A というスピーカーを使っているんですが、ものすごく良い音で。それがすごく衝撃的で、その音を聴いて以降、ぼくも余計なものはできるだけ排除しています。  現在、一軍で使っているマイク・プリアンプは Audient ASP008 で、これは DDA の流れを汲んだ製品なんですが、とても良いんですよ。あとは Amek のマイク・プリアンプや、サブの Mackie Onyx 800R もあります。ハード音源の出力は、これらのマイク・プリアンプを通して XLogic Alpha-Link MADI SX に入力し、コンピューターの中に録り込む感じですね。

そうそう、マイク・プリアンプと言えば、ぼくは Steinberg ã® D-PRE が大好きなんですよ。渡部高士さんが UR824、卓球さんが UR28M を使っているので、スタジオで何度も音を聴いたことがあるんですが、あれは本当にすばらしいマイク・プリアンプですね。すごくクリーンで滑らかなサウンドで…… それでいてコスト・パフォーマンスも高いという。だから UR824 にインサート出力が付いていたらマイク・プリアンプはすべて D-PRE にしたいところなんですけど…… Steinberg さんにはぜひ D-PRE だけの製品をつくっていただきたいですね(笑)。

- よく使うソフト音源は?

とりあえず立ち上げるのは、Steinberg の Retrologue。すごく柔軟な設計のシンセサイザーで、動作が軽いところも気に入っています。もう手足のように使ってますね。あとは最近、Arturia の Prophet-V も使用頻度が多いです。実機に似ているかどうかは別にして、シンセサイザーとしての素性がいい。Prophet のシミュレーションものはいろいろありますけど、Prophet-V がいちばんよくできている印象ですね。ほかには Native Instruments Reaktor や Cycling '74 Max なども使っています。それとプログラマーの友人と一緒に開発しているオリジナルの音響合成ソフトウェアがあって、それもけっこう使っていますね。Reaktor や Max といった一般的な音響合成ソフトウェアでは不可能なバイナリ・ベースの処理が行えるので。決して音楽的なソフトウェアではないんですけど。

- ハード音源とソフト音源の割合はどんな感じですか?

それはもうプロジェクトによりますね。劇伴など人の仕事で、前の状態に戻る可能性がある場合はソフト音源中心に作業するようにしています。逆に自分の作品、agraph 名義のものはハード音源中心ですね。

TVアニメ『ピンポン』ではスティーヴ・ライヒをイメージして、ピンポン球のラリー音でリズムをつくるなど実験的なことをした

- 牛尾さんの直近の仕事では、TVアニメ『ピンポン』のサウンドトラックがかなり話題になっていますね。

もともとアニメが大好きだったので、この仕事が来たときは嬉しかったですね。これまでも劇伴の仕事は手がけたことはあったんですけど、1本まるまるというのは今回が初めてでした。

- 楽曲はシーンに合わせて書き下ろされたんですか?

いや、あまり時間もなかったので、映像を見ずにつくってしまいました。と言っても、原作のことはよく知っているわけじゃないですか。だから単行本を譜面立てに置いて(笑)、こんな感じかなとイメージを膨らませながらつくっていきましたね。最初に50曲以上納品したんですけど、本放送が始まったらもっと書きたくなってしまって(笑)、その後も曲はつくり続けました。普通、作家は顔を出さないファイナル・ダビングにも参加させてもらって、そこで監督に次回のストーリーを訊いて書き下ろしたりとか(笑)。この3ヶ月で60曲くらい書いたんですけど、もう agraph 名義の曲数を超えてます(笑)。

- 劇伴ということで、普段やらないような実験的なこともできたのでは?

そうですね。『ピンポン』ということで、すぐに思い浮かんだのがスティーヴ・ライヒで、ピンポン球のラリー音でリズムをつくってみたり。ライヒの『Clapping Music』をイメージして。そういうのはおもしろかったですね。

- agraph 名義での創作とは違いましたか?

違いますね。どちらかと言えば LAMA とかに近い感じ。というのも、ぼくの音楽はあくまでも『ピンポン』というTVアニメを構成する要素のひとつであって、作品すべてをつくっているわけではないですし、最終的に音楽の善し悪しをジャッジするのは監督さんですから。だからコラボレーションに近い作業ですよね。LAMA の田渕ひさ子さんや cocobat のギターの SEIKI さん、それに徳澤青弦さんといったゲスト・ミュージシャンの方々にも参加していただきましたし。オオルタイチさんには曲を書いていただきましたね。

- agraph の新作も待たれるところですが。

いま、ちょうど作業しているところです。この3〜4年、人の仕事ばかりしてきたので、そろそろ自分の音楽をつくらきゃいけないなと。そろそろぼくがソロ・アーティストだということが忘れられそうなので(笑)。

- 『equal』の延長線にあるサウンドになりそうですか?

いや、けっこう変わるんじゃないかと思っています。聴いた人たちがどう感じるかはわからないですけど、もう1段、階段を下りることができるんじゃないかなと。自分の中にある核心に向かって……。特に目標は定めてないんですけど、寒いころには出したいなと思っています。ぜひ楽しみにしていてください。