インドのムンバイから悲劇的なニュースが伝えられる中で、Twitter、Flickr、YouTubeなどを駆使して、また、いわゆる市民報道サイトのGlobal Voices、CNN、NDTVなどを通じて、数々のメッセージ、写真、動画が発信され、これまでどちらかというとインターネットの裏舞台に位置していたものが、最前線で存在感を増している。
テロ攻撃によって、インドの商業の中心地となるムンバイでは、100人以上が死亡し、数百人に上る負傷者が出た。
当然ながら、際限なく情報が流されるならば、かえって混乱を招き、信頼できない、不正確な情報が錯綜する可能性も高く、もし家族や友人が危険に巻き込まれた場合などは、こうした情報が問題を大きくしてしまう危険性もある。Techmemeには、簡単に事実であるかを確認できそうにない、Twitterで流されたメッセージのクオリティを疑問視する投稿が数件寄せられている。ブロガーのMathew Ingram氏は、未確認のまま、現場から居合わせた人々によって流される情報は、正確でないこともあるかもしれないが、それは「歴史を形作る最初の草案」となっていることを指摘し、次のように記している。
Twitterに投稿されるメッセージの真偽は、まったく確かめようがないというのも事実であり、多くの場合、こうしたメッセージは不正確で、誤解や事実の曲解を定着させてしまう危険性はあるものの、たとえば、今回の同時テロ報道では、Marriottのホテルでも事件が起きたとする不正確な情報がTwitterに流された直後に、その情報は間違っているとするメッセージが、Twitterで何十件も投稿されたのは注目に値する。とはいえ、同時に、Twitterは、このようなニュースの事件、つまり、未確認のまま、現場に居合わせた人々の証言をもとに流される報道には付き物の事柄について、非難されているだけかもしれない。爆破事件や地震、津波などが発生する度に、多くはテレビや、他の「伝統的な」メディアに登場するのだが、後に完全に間違っていることが判明する報道が流される。
では、こうした報道は、まったく無意味なものなのだろうか?答えは否である。もちろん、だれも大切な家族が、誤報によって心配させられることなど望まない。しかしながら、同時に、混沌とした状況では、現場で働いている「プロの」ジャーナリストにとっても、非常に乏しい情報しか得られないという結果を招くことが往々にしてある。Twitterで、直接的また間接的な報道が流れることは、決して悪くない。こうしたTwitter上の情報を、福音として受け入れたり、事件に関する最終的な決定事実としてとらえたりするべきだろうか?答えは否である。当然ながら、どこかでだれかが事実関係を調査し、報道内容の真偽を確かめ、結果の分析などを進めねばならない。ニュース報道およびジャーナリズムは、それぞれ独立した存在というよりは、どちらかといえば、一連のプロセスなのである。だが、すでに以前にも取り上げた点だが、Twitterに流れる情報は、価値ある「歴史を形作る最初の草案」なのであって、それゆえにニュースの非常に良い定義なのである。
もちろん、Mathew Ingram氏が指摘しているように、報道というものは、真実性に裏打ちされたものである必要があり、もはやTwitterという魔物を瓶の中に閉じ込めておくことはできない。それは、非常に荒い最初の草案に過ぎないのである。現場で証人となっている人々が、本当にその場に居合わせたのかを確かめる上で、ニュース報道を多方面から検証する、もっと良い方法も必要である。もし同じ地域から、複数の人々がTwitterで多くの情報を流しているならば、その情報が真実である可能性は高まるだろう。確かに、その全員が、実は同じ単なるうわさを広めてしまうことだってあるが、これは伝統的なメディアにも起こり得ることである。情報のソースとして動画が用いられているならば、その情報の真偽を確かめることは、一層容易になるだろう。
いずれにせよ、Twitterや、一般市民が発する他の情報源は、結局のところは、伝統的なメディアでも採用されて統合される、一連のデータの提供を行っていることになり、それにより、この混沌とした世界で生じている出来事を、より正確かつリアルタイムに把握していくことが可能になるのだ。
この記事は海外CNET Networks発のニュースをシーネットネットワークスジャパン編集部が日本向けに編集したものです。 海外CNET Networksの記事へ
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
地味ながら負荷の高い議事録作成作業に衝撃
使って納得「自動議事録作成マシン」の実力
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」