静かな聖金曜日になるはずだった米国時間3月29日、Facebookが4月4日に開催するという「Android」をテーマにしたイベントに関する臆測が飛び交った。
最も流布しているうわさは言うまでもなく、ずっと以前から話題になっている「Facebookフォン」をFacebookが今度は本気で発表するというものだ。これは筆者の体調を悪くさせるうわさなので、そのようなデバイスが登場する可能性についての筆者の考えを説明する作業はBGRのZach Epstein氏に任せることにする(先に結論を明かすと、その可能性は全くない)。
だが、筆者が間違っている可能性もある。もし筆者が間違っており、うわさの「HTC Myst」が登場したなら、筆者は今週、自分が間違っていたということを認めることになるだろう。しかし真剣に考えて、Facebookが携帯電話を発表する必要はない。Facebook専用のボタンや仕掛けを搭載した真新しい携帯電話を発表しても、モバイル体験に何ももたらさないだろう。FacebookとHTCは2年前、「HTC Salsa」と「HTC Status」「HTC ChaCha」で既にそれを試みている。それらを覚えている人はいるだろうか。覚えていないとしても、罪悪感に苛まれる必要はない。覚えている人などほとんどいないのだから。
スマートフォンでは、内側に何が搭載されているかが重要になっている。もちろんデザインは重要だ(例えば、HTCはあらゆる機会を利用して、「HTC One」の光沢のある金属製ボディを宣伝している)。しかしわれわれは昨今、スマートフォンでの体験について聞くことの方が多い。サムスンの「GALAXY S4」発表イベントや「BlackBerry Z10」の発表、「iPhone 5」(およびそれ以前の大半の「iPhone」モデル)の披露においても間違いなくそうだった。
The New York TimesのNick Bilton氏やComputerworldのJR Raphel氏の予想の方がはるかに妥当だと筆者が考えるのはそのためだ。Bilton氏は、「Facebookを中心に据えるように変更」された「特別なバージョンのGoogleのAndroidソフトウェアシステム」を搭載したHTC製携帯端末が発表されるだろうと述べている。一方、Raphel氏はその一歩先まで踏み込んで、Facebookのさまざまなサービス(チャットやメッセージ、アラート)をホーム画面に表示させる「カスタムAndroidランチャー」が発表されるだろう、としている。
重要なことはほかにもある。文法を深読みしすぎかもしれないが、Facebookの招待状が約束しているのは「New Home on Android(Android上の新しい住まい)」であり、「New Home for Android(Androidのための新しい住まい)」ではないことを思い出してほしい。今週のイベントでわれわれが携帯電話を目にすることは間違いないだろう。Facebookは携帯電話がなければ、ソフトウェアのデモを適切に行うことができない。しかしそれが新しいHTC携帯端末になるとは筆者は考えていない。それはOneの派生機種かもしれない。発表が何度も延期されてきたのは、そのせいかもしれない。しかし、たとえニュースがソフトウェアだけに関するものだったとしても、筆者はFacebookフォンという概念全体について、今後も素直に歓迎することはしないだろう。より高品質なアプリであれば大いに歓迎するが(Facebookの現行のAndroidアプリは依然として不安定だ)、われわれは新しいバージョンのAndroidを必要としてはいない。そしてこれはもっと重要なことだが、われわれはFacebookを「もっと簡単に」利用できる手段を必要としてはいない。
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