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批評家とエンジニアが予測する2045年の世界--プロジェクト「ギートステイト」

インタビュー:西田隆一(編集部) 文:岩本有平(編集部)2006年08月10日 08時00分

 50年後の未来はどうなっているのだろうか。温暖化で海面が上昇するだろうか、はたまた少子高齢化が進むのか、戦争が起こるのか。考えられる未来はいくつもあるが、どれも今ひとつ現実味を帯びない。

 そんな未来の予測を、ポストモダンからサブカルチャーまで幅広い論考を繰り広げる批評家の東浩紀氏と、IPA未踏ソフトウェア創造事業で天才プログラマーに認定されたこともあるエンジニアの鈴木健氏、そして小説家の桜坂洋氏が、人文・社会学や情報技術という観点から検証しストーリー化し、さらには映像作品としての公開を目指すプロジェクトギートステイトを開始する。

 このプロジェクトは、2006年7月まで国際大学グローバルコミュニケーションセンター(GLOCOM)の副所長を務めた東氏が、GLOCOM主任研究員の鈴木氏とともに2004年10月から2006年1月まで行ってきた、ised(情報社会の倫理と設計についての学際的研究:Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of Information Society)の研究結果の延長にあるものだという。

 両氏が開催したisedには情報社会の倫理について研究する「倫理研」と情報社会の社会設計を研究する「設計研」という2つの研究会が設立され、経営者や法学者、社会学者、エンジニアたちが情報社会のあり方について議論を重ねた。現在、その議論は議事録としてウェブ上に公開されており、誰もが目にすることができる。

 isedでの研究成果や解決しなかった課題、そしてギートステイトの目的や2045年の世界について、東、鈴木両氏に話を聞いた。なお、ギートステイトの進捗については、随時CNETで報告していく予定だ。

--まずは2004年から行われたisedの活動についてお伺したいのですが、そもそも情報社会の倫理や制度設計といったものに注目されたきっかけはどんなことでしたか。

東:個人的なきっかけと組織的なきっかけがあります。個人的なきっかけは、97年から99年くらいに『インターコミュニケーション』(NTT出版)という雑誌に「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」という連載を執筆したことに遡ります。僕はもともと、情報技術のインパクトについて哲学的に分析したいと思っていましたが、その最初の仕事になります。

  当時、インターネットの出現は「サイバースペース」という地理的なイメージで語られ、そこでは新しい社会秩序が生まれるということがよく言われていました。ですが、本当はそう単純な話ではないということを言いたかったのです。けれども、当時は僕自身に現代思想のツールしかなかったので、どうも空虚な話になってしまいうまくいかなかった。そこで一度、哲学とサイバースペースを直接つなげるのをやめようと思いました。

 その後、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001年)を執筆し、もう1回、今度はむしろ社会思想的な立場で同じテーマに挑戦しようと思いました。それが、2002年から2003年にかけて『中央公論』で連載し、いまはウェブで公開している「情報自由論」(『中央公論』2002年7月号〜2003年10月号掲載)です。

 『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』は妙にポストモダンくさくなってしまったのですが、他方『情報自由論』をは、今度はあまりにも左翼的な監視社会論に近くなってしまいました。それがいいという読者の反応も多かったのですが、自分としては違うと思いました。この2回の失敗を経て、情報社会について哲学的に考察するのは予想より難しいので、まずはいろいろな人から話を聞くところまで戻ろうと思いました。それで立ち上げたのがisedです。

--組織的なきっかけはどういうものだったのでしょう。

東浩紀氏 東浩紀氏

東:2003年4月からGLOCOMに研究員として入ることになりました。GLOCOMはそれまで、官庁やNTTとのつき合いが深い研究所でしたが、2000年代に台頭してブロガーやIT起業家とのネットワークには弱点がありました。そこを強化してくれ、というのが僕に与えられたミッションだったので、isedはそのミッションの1つとして始めました。

--isedでは毎月のように議論ができて、議事録などがウェブサイトに残っています。isedの活動を通しての得られたもの、発見したことはありますか。

東:まず第一に言わねばならないのは、isedの委員のみなさんには、たいへん熱心に協力していただき、僕も教わるところが多かったということです。毎月毎月、あれだけの議事録を共同作業で作るのはたいへんなことです。そのことには感謝しています。また、読み物としても、かなり質の高いものになったと自負しています。委員のみなさんとは、今後もぜひ一緒に仕事をしていきたいと思っています。

 その上で感想を言いますが、倫理研には成果があったと言っていいと思います。「ネットにおいて議論するうえでもっとも重要なのは、公共性の問題ではなく、むしろ私的な領域をいかに定義し、いかに確保するのか」という問題に焦点をあてたのは、1つの成果だったと思います。北田暁大さんから加野瀬未友さんへの議論の変化は、スリリングでしたね。

 日本では2003年にブログが普及し始めます。その過程で、ネットに新しい公共空間が生まれるかもしれないという希望がふたたび生まれました。しかし実際には、私的な領域を守るためのツールであるmixiが勝利を収めた。それがいいか悪いかはさておき、ネットでは公共性よりも私的領域のほうが問題だ、というのはその点でも証明されていると思います。

鈴木:設計研のほうでは、特に何か新しい結論が得られるという感じではありませんでした。 ですが、今後考えていくべきキーワードはかなり出てきました。Amazon Mechanical Turk(Amazonが提供するベータサービス)の意味だとか、ライフログ(すべての生活情報や個人情報を記録するログ)や予測市場などです。

東:あくまでも個人的な感想ですが、設計研の議論は「組織をどううまく回すか」という経営論に終始してしまい、そこは残念でした。僕としては、組織ではなく、むしろ社会の話をしたかったのですが、なかなかそうはならなかった。

 社会の設計と組織の経営はまったく違うことだと思います。しかも、設計研ではどうもIT系の組織の話が中心でした。議事録には自律分散とか部分最適とかいう言葉がよくでてきますが、あれは要は「トップダウンの管理ではなく、情報は基本的に共有し、ある程度ルールを決めてみなが自律分散で勝手にやったほうが集団の生産性は上がる」という話です。それはある程度正しいでしょうが、世界にはいろいろなコミュニケーションがあるし、生産といってもいろいろなタイプがあるので、そう簡単な話ではない。たとえば、ラブレターは公開してもしかたないし、小説なんて自律分散で書けるものではないのですが、そういうコミュニケーションや知的生産がどうなっていくのかは、ほとんど話題になりませんでした。

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