2008年 07月 29日
イスラム教と同性愛 |

しかし、イスラム原理主義が台頭する前のイスラム社会は、同性愛にたいして非常に寛容な社会でした。
ゲイ・オリエンタリズムに書きましたが、欧米キリスト教圏で同性愛が厳しく弾圧されていた19世紀から20世紀半ばにかけては、同性愛にたいして寛容なイスラム世界は、欧米の同性愛者にとっては天国だったのです。
イギリスのE・M・フォスターやオスカー・ワイルド、フランスのアンドレ・ジイド、アメリカのポール・ボールズやウイリアム・バロウズ、等の作家を含む多くの欧米人同性愛者が、ホモフォビアの強い故国を逃れて、北アフリカに渡り、現地のアラブ人の少年や若者を相手に故国では味わうことのできない禁断の快楽に耽っていたのは知る人ぞ知るところです。
イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教と共に、アブラハムの宗教と総称される中東起源の一神教で、これらアブラハムの宗教はすべてその教義で同性愛を罪とみなし、同性愛行為を行なうことを信徒に禁じています。
イスラム教の聖典「コーラン」には、アブラハムの甥のロトが住んでいたソドムの町の住民が男色に耽っていたために、神の怒りにふれ、天から降ってきた業火によって焼き殺されるという旧約聖書の物語がそのまま引用されています。
ただし、この挿話を別にすると、コーランで同性愛に言及している箇所は一箇所だけで、
「二人の男が互いに不道徳な行為を行なった場合には、その両方を罰する」
としか記されていません。
このことから、「鞭打ち百回の刑に処す」などと具体的な刑罰が記載されている姦通罪などと較べて、同性愛の罪は軽くみられていたのではないかと推測されます。
預言者モハメッド自身、男色にたいしては寛容だったといわれています。
モハメッドの言行を記録した言行録「ハディース」によると、モハメッド自身が属する部族、カライシ族には「性倒錯者」が多く、その内の一人は話が面白いのでモハメッドのお気に入りだったといわれています。
多分、おすぎとピーコみたいなタイプの人間だったのでしょう。
またモハメッドはこれら「性倒錯者」が自分の妻たちと同じ部屋に入り、妻たちのベールを被らない素顔を見ることを許したといわれています。
ここでいう「性倒錯者」とは、ハンニース:中間の性で紹介した、女性にたいして性欲を感じない女性的な男性を指しているものと思います。
このことは、モハメッドの時代のイスラム社会にすでに、オマーンのハンニースに類似した女性的男性=同性愛者が存在していたことを示唆しています。
ただし、モハメッドの言行録であるハディースは多数、存在し、別のいくつかのハディースではモハメッドは男色を厳しく非難していたとされています。
ハディースはモハメッドの死後、多くの弟子たちによって編纂されたことから、各ハディースにはそれを編纂した人間の主観が反映されており、その結果、このような矛盾する預言者の言行が記録されることになったものと思われます。
この事実はまた同時に、イスラム教の教えと現実の生活の間の矛盾が、イスラム教の初期の段階ですでに存在したことを暗示しています。
いずれにせよ、モハメッドは男性、特に美少年の性的な魅力については十分に認識していた形跡があります。
というのは、多くのハディースで、モハメッドは信徒たちに美少年をあまり見つめすぎないように警告を発しているからです。
美少年はあまりに魅力的なので、彼らを見つめすぎると、誘惑にかられて罪を犯してしまう危険があるというのです!
さらにコーランには、天国には美しい侍女たちだけでなく、永遠に齢をとらない美少年の侍童たちがいて、天国に行くことができた敬虔なイスラム教徒の杯に美味なぶどう酒を注いでくれると書かれてあります。
またいくつかのハディースによると、モハメッドは神が「美しい若者」の姿をとって現れる幻覚を見たとされます。
さらにモハメッドは、従弟で女婿のアリや忠実な弟子のムアーズ・イブン・ジャバルなど、頭の良いハンサムな若者を寵愛したことでも知られています。
そのため、モハメッドは、少年や若者と性的な関係をもつことは禁じても、彼らにたいする精神的な愛情は容認していたと解釈され、イスラム文学には少年や若者にたいする「プラトニックな愛」をうたった詩のジャンルが生まれます。
このような詩の多くは、スーフィーと呼ばれたイスラム神秘主義者の詩人たちによって書かれました。
スーフィズム=イスラム神秘主義は、9世紀から10世紀頃、ウラマーと呼ばれるイスラム学者によって確立された、イスラムの教義が現実から遊離し、形式化してしまったことにたいする反発から生まれた、内面性を重視するイスラム哲学です。
スーフィー=イスラム神秘主義者たちは、導師の指導の下に禁欲的で厳しい修行を行ない、その儀式では、独特の宗教歌やくるくると旋回する踊りをとおして法悦の境地に達することで、神と一体化することを求めました。
また一部のスーフィーたちは、神が美しい若者の形をとって預言者モハメッドの前に現れたという言い伝えを根拠に、美しい少年や若者をこの世における神を具現化した神聖な存在であるとみなし、彼らを愛することは神を愛することと同じであるという教理を持つようになります。
そのような教理に基づいて、スーフィーの詩人たちによる少年や若者の美しさを賛美する詩が書かれるようになるのですが、実際に書かれた詩には、少年にキスしたり、その身体に触れたりするエロチックな内容のものが多く、また詩人が賛美する少年が詩人の愛弟子であるなど人物を特定できるケースもよくみられました。
そのため、正統派のイスラム教徒から、スーフィーの詩人たちは、信仰を隠れ蓑に、少年愛に耽っているのではないかという非難が沸き起こります。
そのような批判にたいして、スーフィーの詩人たちは、自分たちはあくまでも愛する少年の中に神を見ているのだと主張し、少年への愛は神への愛、すなわち、神への信仰心の表れにすぎないと反論したのです。
スーフィーの詩人たちが、神と一体化するために、実際に少年とセックスしていたかどうかは神のみぞ知るところですが、
少年(稚児)を神仏の化身として崇めて愛する習慣は、少年愛が盛んだった時代の日本の仏教僧の間にもみられた現象で、スーフィズムの少年にたいする賛美が、それがプラトニックなものであったかどうかは別にして、少年愛を宗教的な教理によって正当化する試みであったことは確かでしょう。
もっとも世俗的な詩人の中には、そのような宗教的な正当化を試みることなしに、あっけらかんと少年愛を賛美した詩人もいました。
特に有名なのは8世紀から9世紀にかけて活躍したアッバース朝最盛期の代表的な詩人、アブー・ヌワースです。
アブー・ヌワースは、自分がワインと少年を愛する快楽主義者であることを広言し、飲酒や少年愛を賛美する数多くの詩を書いています。
彼の詩は、スーフィズムの詩人にも大きな影響を与えました。
アブー・ヌワースは詩人としての才能を認められて、「アラビアン・ナイト」で有名なバグダッドのカリフ、ハルン・アル=ラシッドの宮廷詩人に抜擢されますが、カリフの政敵の一族を賛美する詩を書いたことでカリフの怒りに触れ、投獄の憂き目にあいます。
しかし、ハルン・アル=ラシッドの死後、その後を継いだ息子のアル=アミーンによって再び、宮廷詩人の座に返り咲きます。
アル=アミーンがアブー・ヌワースを寵愛した理由は、彼もまた美酒と美少年の愛好家だったからだそうです!
アブー・ヌワースは、キリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒の少年たちとセックスしたことを認めていますが、異教徒の少年たちとセックスしたのは、イスラム教徒としての義務からだったと主張しています。
少年たちをイスラム教徒に改宗させるためには、まず彼らと仲良くする必要があったというのです!
この快楽主義者の詩人、アブー・ヌワースは、「アラビアン・ナイト」のいくつかのエピソードにも登場しますが、「アラビアン・ナイト」の物語には、女色のエピソードだけでなく、男色=少年愛のエピソードが数多く含まれています。
この事実は、イスラム世界でいかに少年愛が盛んであったかをよく示しています。
実際、イスラム社会と同性愛は切っても切れない関係があり、19世紀に西洋列強によって植民地化され、同性愛を罪悪視するキリスト教思想が流れ込んでくるまでは、男色の習慣がかなり大っぴらにみられたことが、当時のイスラム世界を訪れた西洋人の旅行記などに記されています。
キリスト教徒にその同性愛の「悪習」を非難された結果、イスラム教徒は、同性愛の習慣を西洋人の目から隠すようになりますが、同性愛の習慣そのものは捨てることなく、秘密の快楽として存続させました。
隠れてこっそりヤッている限り、同性愛行為は大目に見られ、表だって非難されることはなかったのです。
しかし、最近になって、この「沈黙のルール」を破る人間が出てきました。
欧米のゲイリブの影響を受けて、同性愛者であることを自己主張するようになったアラブ人の「ゲイ」で、2001年にはエジプトのナイル河に浮かぶ船上ディスコで、ゲイパーティを開いていたエジプト人のゲイたちが逮捕されるという事件が起ります。
エジプトの船上ディスコ Queen Boat 事件にも書きましたが、私は彼らが犯した最大の罪はディスコという公共の場で自分たちが同性愛者であることを誇示したことにあると思っています。
最近のエジプトにおける同性愛者の取り締まりの強化の背景にはもちろん、近年のアラブ・イスラム世界におけるイスラム原理主義運動の高まりがあります。
しかし、イスラム原理主義が、イスラエルのシオニズムやアメリカの覇権主義にたいする反発から生まれたという歴史的経緯を考えると、「イスラム国家のゲイの弾圧」にたいする欧米のゲイ団体のヒステリックな非難は、
イスラム教徒の同性愛者を救うどころか、アラブ・イスラム社会に根強く存在する反欧米感情を一層、煽り、イスラム原理主義のさらなる台頭を許す結果につながるだけだという気がします。
イスラム社会における同性愛の問題を解決するには、イスラム教徒自身がイスラム社会と同性愛は不可分の関係にあるという現実を直視して、イスラムの教義の解釈をとおして同性愛を許容する道を探索するしか、ほかに方法はないと思います。
本来、イスラム教徒は、異教徒や外国人にたいして非常に寛容な人々です
私はアラブ・イスラム圏で5年間、生活しましたが、欧米諸国でしばしば感じた人種差別を味わったことは一度もありません。
またイスラム教が同性愛を禁じているにもかかわらず、イスラム社会には欧米キリスト教圏にみられるような激しいホモフォビアは存在しません。
みんな隠れてホモセックスを楽しんでいるわけですから、当然といえば当然ですが・・・
イスラム教徒が、この問題をイスラム教に固有の寛容さと人間に対する平等な精神に基づいて解決することを祈るばかりです。
参照文献
Muhammad and Male Homosexuality by Jim Wafer
The symbolism of Male Love in Islamic Mistical Literature by Jim Wafer
「世界男色帯」
by jack4africa
| 2008-07-29 00:11