鵜沼町
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うぬまちょう 鵜沼町 | |
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廃止日 | 1963年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 那加町、稲羽町、鵜沼町、蘇原町→各務原市 |
現在の自治体 | 各務原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 稲葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 39.50 km2. |
総人口 |
15,226人 (国勢調査、1960年) |
隣接自治体 |
岐阜市、関市、稲葉郡 蘇原町、稲羽町、那加町、加茂郡 坂祝村 愛知県 犬山市 扶桑町 |
鵜沼町役場 | |
所在地 | 岐阜県稲葉郡鵜沼町向畑5520番地 |
座標 | 北緯35度24分18秒 東経136度55分19秒 / 北緯35.40492度 東経136.92183度座標: 北緯35度24分18秒 東経136度55分19秒 / 北緯35.40492度 東経136.92183度 |
ウィキプロジェクト |
鵜沼町(うぬまちょう)は、岐阜県稲葉郡にあった町である。現在の各務原市東部、鵜沼地区と各務地区に該当する。
中山道の宿場町鵜沼宿を中心とした町であった。昭和30年代に入ると名古屋鉄道犬山線の利便性から人口が増加。各務原市となった後も宅地開発が進み、名古屋市のベッドタウンとなっている。
歴史
[編集]- 飛鳥時代の「藤原宮跡出土木簡」に「汙奴麻(うぬま)」の地名が記載される。また同じく、「宇留間(うるま)」とも呼ばれていた。
- 平安時代の三十六歌仙の一人、藤原仲文にこう詠まれている。「ゆきかよひ定めがたさは旅人の心うるまのわたりなりけり」
- 鎌倉時代の「昭慶門院御領目録」に「各務郡鵜沼郷」の地名が記載される 。
- 1602年 中山道の宿場町として鵜沼宿が設置される。
- 江戸時代後期、この地域は尾張藩領であった。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制施行に伴い、各務郡鵜沼村が成立。
- 1897年(明治30年)4月1日[1] - 各務郡、厚見郡、方県郡の一部が合併して稲葉郡が成立。鵜沼村は稲葉郡の所属となる。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 町制施行。鵜沼町(初代)になる[2]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 鵜沼町と各務村が合併し、鵜沼町(2代)となる[3]。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 那加町、蘇原町、稲羽町と合併し各務原市が発足。同日鵜沼町廃止。
地域
[編集]- 鵜沼
旧・鵜沼町は数か所の集落があり、それぞれが区としていた。
- 羽場区 - 現・鵜沼羽場町など[4]。
- 南町区 - 現・鵜沼南町など[5]。
- 宝積区 - 現・鵜沼宝積寺町など[6]。
- 大伊木区 - 現・鵜沼大伊木町など[7]。
- 古市場区 - 現・鵜沼古市場町など[8]。
- 小伊木区 - 現・鵜沼小伊木町など[9]。
- 東町区 - 現・鵜沼東町など[10]。
- 西町区 - 現・鵜沼西町など[11]。
- 三つ池区 - 現・鵜沼三ツ池町など[12]。
- 戦前、川崎重工業の従業員の増加により生まれた集落。
- 戦後、旧・各務原飛行場東飛行場の一部が開拓地として開放されてうまれた集落。
- 各務
- 各務区 - 旧・各務村各務区
- 須衛区 - 旧・各務村須衛区
交通機関
[編集]学校
[編集]- 鵜沼町立鵜沼第一小学校 (現・各務原市立鵜沼第一小学校)
- 鵜沼町立鵜沼第二小学校 (現・各務原市立鵜沼第二小学校)
- 鵜沼町立各務小学校 (現・各務原市立各務小学校)
- 鵜沼町立鵜沼中学校 (現・各務原市立鵜沼中学校)
神社・仏閣
[編集]史跡
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 梅田薫 編『新鵜沼の歴史』鵜沼歴史研究会、2011年。