鬼木達
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名前 | ||||||
愛称 | オニ、オニさん | |||||
カタカナ | オニキ トオル | |||||
ラテン文字 | ONIKI Toru | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1974年4月20日(50歳) | |||||
出身地 | 千葉県船橋市 | |||||
身長 | 168cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1990-1992 | 船橋市立船橋高等学校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1999 | 鹿島アントラーズ | 27 | (1) | |||
1998 | → 川崎フロンターレ(loan) | 27 | (1) | |||
2000-2006 | 川崎フロンターレ | 133 | (1) | |||
通算 | 187 | (3) | ||||
監督歴 | ||||||
2017-2024 | 川崎フロンターレ | |||||
2025- | 鹿島アントラーズ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
鬼木 達(おにき とおる、1974年4月20日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
来歴
[編集]船橋市立船橋高等学校を経て1993年に鹿島アントラーズに入団[1]。同期入団には、秋田豊・奥野僚右・室井市衛らがいる。現役時代は同ポジションにジーコが君臨しており、出場機会は限られたが、ジーコが負傷した場面での交代選手して活躍。
6年間在籍の後、川崎フロンターレに移籍し、レギュラーとして活躍。2006年に現役を引退し、育成コーチ、ヘッドコーチを務める。
2017年に川崎の監督に就任。就任1年目で川崎をJ1リーグ優勝に導き、クラブに初タイトルをもたらした[2]。2018年にJ1連覇、2019年にはクラブ初のルヴァンカップのタイトルを獲得。
2020年にはリーグ最多連勝記録を1シーズンで2度築き、J1で歴代最速優勝、天皇杯においてもクラブ初優勝し2冠を達成した。また国内3大タイトルを4年連続で獲得した史上初の日本人監督となった。
2021年もJ1で優勝し、二度目の連覇を達成した。またJリーグ史上最速となる就任から156試合目で監督通算100勝目をあげた。
2024年シーズン限りで契約満了により川崎監督を退任[3]。2025年シーズンから古巣である鹿島アントラーズの監督に就任することが発表された[4]。
人物・エピソード
[編集]- 父親はいわゆる「昔気質」の人物で、高校時代までは自身がサッカーをすることに関して無関心を装っていたが、プロ入りしてからは大学進学用として貯めていた貯金を息子に与え、車の免許を取りスタジアムまで応援するようになったという。2023年秋のACLでのタイ遠征時に父の訃報を聞いたとのこと[5]。
- 家族は妻と息子が2人[5]。
- 川崎監督時代から、チームカラーとは違う赤のG-SHOCKを身に着けていた。赤がチームカラーの鹿島に対しては「別にレギュラーではなかったけど、鹿島で学んだことは自分の中では大きい」「(鹿島では)勝つチームの空気感を肌で感じられた」と特別な感情を抱いていたことを示唆している[6]。
- 市立船橋高校時代には、同級生に水野淳。1学年先輩に高田昌明、和田潤。2学年先輩にペナルティ・ワッキー、永田崇らがいる。1991年には、DF水野淳、MF鈴木潤らと共に選手権・インターハイ共にベスト4に進出するも、第70回全国高等学校サッカー選手権大会準決勝では、阿部敏之、松波正信らを擁する帝京高校に終了間際までリードしていたが、まさかの2失点での逆転負けとなった。
所属クラブ
[編集]- 1981年 - 1987年 船橋市立習志野台第二小学校
- 1987年 - 1990年 船橋市立坪井中学校
- 1990年 - 1993年 船橋市立船橋高等学校
- 1993年 - 1999年 鹿島アントラーズ
- 2000年 - 2006年 川崎フロンターレ
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 鹿島 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1994 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
1995 | 4 | 0 | - | 0 | 0 | 4 | 0 | ||||
1996 | 11 | 0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 16 | 1 | |||
1997 | 17 | 5 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | ||
1998 | 川崎F | 25 | 旧JFL | 27 | 1 | 3 | 0 | 3 | 1 | 33 | 2 |
1999 | 鹿島 | 17 | J1 | 7 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 |
2000 | 川崎F | 7 | 21 | 1 | 7 | 0 | 0 | 0 | 28 | 1 | |
2001 | J2 | 40 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 48 | 0 | ||
2002 | 39 | 0 | - | 5 | 0 | 44 | 0 | ||||
2003 | 13 | 0 | - | 2 | 0 | 15 | 0 | ||||
2004 | 19 | 0 | - | 0 | 0 | 19 | 0 | ||||
2005 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
2006 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 49 | 2 | 17 | 1 | 2 | 0 | 68 | 3 | |
日本 | J2 | 111 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 | 126 | 0 | ||
日本 | 旧JFL | 27 | 1 | 3 | 0 | 3 | 1 | 33 | 2 | ||
総通算 | 187 | 3 | 23 | 1 | 17 | 1 | 227 | 5 |
その他の公式戦
指導歴
[編集]- 2007年 - 2024年 川崎フロンターレ
- 2007年 - 2009年 育成・普及コーチ
- 2010年 - 2016年 トップチーム コーチ
- 2017年 - 2024年 トップチーム 監督
- 2025年 - 鹿島アントラーズ 監督
監督成績
[編集]年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | 他公式戦 | 国際試合 | 備考 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | Jリーグ杯 | 天皇杯 | ||||||
2017 | J1 | 川崎 | 優勝 | 72 | 34 | 21 | 9 | 4 | 準優勝 | ベスト8 | - | ACL ベスト8 | |
2018 | 優勝 | 69 | 34 | 21 | 6 | 7 | ベスト8 | ベスト8 | ゼロックス杯 準優勝 | ACL GL敗退 | |||
2019 | 4位 | 60 | 34 | 16 | 12 | 6 | 優勝 | ベスト16 | ゼロックス杯 優勝 | ACL GL敗退 | |||
2020 | 優勝 | 83 | 34 | 26 | 5 | 3 | ベスト4 | 優勝 | - | - | |||
2021 | 優勝 | 92 | 38 | 28 | 8 | 2 | ベスト8 | ベスト4 | 富士フイルム杯 優勝 | ACL ラウンド16敗退 | |||
2022 | 2位 | 66 | 34 | 20 | 6 | 8 | ベスト8 | 3回戦敗退 | 富士フイルム杯 準優勝 | ACL GL敗退 | |||
2023 | 8位 | 50 | 34 | 14 | 8 | 12 | 予選敗退 | 優勝 | - | ACL ベスト16 | |||
2024 | 8位 | 52 | 38 | 13 | 13 | 12 | ベスト4 | 3回戦敗退 | 富士フィルム杯優勝 | - | |||
2025 | 鹿島 | 位 | - | - | |||||||||
J1通算 | - | - | 280 | 159 | 67 | 54 | - | - | - | - | |||
総通算 | - | - | 280 | 159 | 67 | 54 | - | - | - | - |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]クラブ
[編集]- 鹿島アントラーズ
- J1リーグ : 1回 (1996年)
- Jリーグカップ : 1回 (1997年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 : 1回 (1997年)
- スーパーカップ : 2回 (1997年、1999年)
- 川崎フロンターレ
個人
[編集]監督時代
[編集]クラブ
[編集]- 川崎フロンターレ
- J1リーグ : 4回 (2017年、2018年、2020年、2021年)
- Jリーグカップ : 1回(2019年)
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 :2回 (2020年、2023年)
- スーパーカップ : 3回 (2019年、2021年、2024年)
個人
[編集]- J1・優勝監督賞 : 4回 (2017年、2018年、2020年、2021年)
- J1・月間優秀監督賞 : 6回 (2020年2・7月、8月、2021年4月、9月、2022年2・3月、10・11月)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “ワッキーが明かした川崎F鬼木監督の市船時代の素顔”. 日刊スポーツ (2019年1月31日). 2024年12月12日閲覧。
- ^ “【川崎】憲剛、嬉し涙の初V…ACL敗退翌日に吹っ切れた指揮官の言葉”. スポーツ報知. (2017年12月3日). オリジナルの2017年12月3日時点におけるアーカイブ。 2024年3月17日閲覧。
- ^ 『鬼木達監督 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)、川崎フロンターレ、2024年10月16日。2024年12月12日閲覧。
- ^ 『鬼木 達氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)、鹿島アントラーズ、2024年12月12日。2024年12月12日閲覧。
- ^ a b “鬼木達監督の川崎退任までの知られざる8年。家族との涙の食事やタイで連絡を受けた父との別れ【特別インタビュー】”. サッカーダイジェストWeb (2024年12月10日). 2024年12月12日閲覧。
- ^ “8季7冠を成し遂げ退任するJ1川崎・鬼木監督、次に率いるチームのヒントは愛用の持ち物に?”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2024年10月20日). 2024年12月12日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鬼木達 - Soccerway.com
- 鬼木達 - FootballDatabase.eu
- 鬼木達 - WorldFootball.net
- 鬼木達 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 鬼木達 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 鬼木達 - J.League Data Siteによる選手データ
- 鬼木達 - J.League Data Siteによる監督データ