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開心栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

開心 栄(かいしん さかえ / えい、1901年12月12日[1] - 没年不明)は、新潟県燕市出身[1]宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は野沢 国栄[2]。最高位は十両8枚目[1]

経歴

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宮城野部屋に入門し、1917年5月、初土俵を踏む。1924年5月、「弥彦山」の四股名で十両に昇進したが、1勝5敗と負け越し[3]幕下に落ちた。「開心」に改名後の1927年10月再十両、この場所も2勝5敗4休と負け越し[4]、再び幕下に落ちた。1930年5月に十両復帰。この場所と翌10月場所も続けて負け越し、幕下に落ちた後の1933年5月に廃業した[2]

成績

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  • 番付在位場所数:45場所
  • 十両在位:6場所
  • 十両成績:14勝32敗1分
  • 各段優勝:幕下優勝1回

場所別成績

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開心 栄
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1917年
(大正6年)
x x 東序ノ口43枚目
[5] 
x
1918年
(大正7年)
東序二段59枚目
 
x 西序二段40枚目
 
x
1919年
(大正8年)
東序二段3枚目
 
x 東三段目57枚目
[6] 
x
1920年
(大正9年)
西三段目17枚目
 
x 東三段目26枚目
 
x
1921年
(大正10年)
西三段目38枚目
 
x 西三段目筆頭
 
x
1922年
(大正11年)
西幕下22枚目
 
x 東幕下28枚目
 
x
1923年
(大正12年)
東幕下5枚目
3–2–5[7] 
x 西幕下6枚目
3–3 
x
1924年
(大正13年)
西幕下6枚目
3–2 
x 西十両8枚目
1–5 
x
1925年
(大正14年)
西幕下筆頭
3–2
1分
 
x 西十両13枚目
2–3
1分
 
x
1926年
(大正15年)
西十両14枚目
2–4 
x 東幕下17枚目
 
x
1927年
(昭和2年)
西幕下5枚目
1–5 
西幕下5枚目
3–3 
東幕下23枚目
 
東十両12枚目
2–5 
1928年
(昭和3年)
西幕下12枚目
3–3 
西幕下4枚目
3–3 
西幕下12枚目
3–3 
西幕下12枚目
2–4 
1929年
(昭和4年)
東幕下18枚目
 
東幕下18枚目
 
東幕下9枚目
3–3 
東幕下9枚目
3–3 
1930年
(昭和5年)
東幕下10枚目
3–3 
東幕下10枚目
優勝
7–1 
東十両9枚目
5–6 
東十両9枚目
2–9 
1931年
(昭和6年)
西幕下2枚目
3–3 
西幕下2枚目
2–4 
西幕下8枚目
1–5 
西幕下8枚目
3–3 
1932年
(昭和7年)
東幕下8枚目
4–4[8] 
東幕下8枚目
5–5 
西幕下5枚目
7–4 
西幕下5枚目
5–6 
1933年
(昭和8年)
西幕下3枚目
4–7 
x 西幕下11枚目
引退
7–4–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。

改名

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  • 弥彦山 国蔵(三段目以下在位時の番付上の表記は略字的に「弥彦山 国三」) - 1917年5月場所 - 1923年5月場所
  • 弥彦山 国栄 (下の名前が「國栄」と表記された番付あり)- 1924年1月場所 - 1926年1月場所
  • 開心 栄 - 1926年5月場所 - 1933年5月場所

脚注

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  1. ^ a b c 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、161頁。
  2. ^ a b 『昭和の大相撲 資料編』 307頁
  3. ^ 大相撲星取表 大正13年夏場所
  4. ^ 大相撲星取表 昭和2年10月場所
  5. ^ 東序ノ口最下位。
  6. ^ 東三段目最下位。
  7. ^ 三河島事件のため幕下以下の取組は前倒しで7日間行われ、この7日間で2勝1敗4休、本場所再開後1勝1敗1休。
  8. ^ 春秋園事件による番付編成変更前の1932年1月場所の番付は東幕下23枚目

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

外部リンク

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関連項目

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