開心栄
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開心 栄(かいしん さかえ / えい、1901年12月12日[1] - 没年不明)は、新潟県燕市出身[1]で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は野沢 国栄[2]。最高位は十両8枚目[1]。
経歴
[編集]宮城野部屋に入門し、1917年5月、初土俵を踏む。1924年5月、「弥彦山」の四股名で十両に昇進したが、1勝5敗と負け越し[3]、幕下に落ちた。「開心」に改名後の1927年10月再十両、この場所も2勝5敗4休と負け越し[4]、再び幕下に落ちた。1930年5月に十両復帰。この場所と翌10月場所も続けて負け越し、幕下に落ちた後の1933年5月に廃業した[2]。
成績
[編集]- 番付在位場所数:45場所
- 十両在位:6場所
- 十両成績:14勝32敗1分
- 各段優勝:幕下優勝1回
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1917年 (大正6年) |
x | x | 東序ノ口43枚目 –[5] |
x | ||
1918年 (大正7年) |
東序二段59枚目 – |
x | 西序二段40枚目 – |
x | ||
1919年 (大正8年) |
東序二段3枚目 – |
x | 東三段目57枚目 –[6] |
x | ||
1920年 (大正9年) |
西三段目17枚目 – |
x | 東三段目26枚目 – |
x | ||
1921年 (大正10年) |
西三段目38枚目 – |
x | 西三段目筆頭 – |
x | ||
1922年 (大正11年) |
西幕下22枚目 – |
x | 東幕下28枚目 – |
x | ||
1923年 (大正12年) |
東幕下5枚目 3–2–5[7] |
x | 西幕下6枚目 3–3 |
x | ||
1924年 (大正13年) |
西幕下6枚目 3–2 |
x | 西十両8枚目 1–5 |
x | ||
1925年 (大正14年) |
西幕下筆頭 3–2 1分 |
x | 西十両13枚目 2–3 1分 |
x | ||
1926年 (大正15年) |
西十両14枚目 2–4 |
x | 東幕下17枚目 – |
x | ||
1927年 (昭和2年) |
西幕下5枚目 1–5 |
西幕下5枚目 3–3 |
東幕下23枚目 – |
東十両12枚目 2–5 |
||
1928年 (昭和3年) |
西幕下12枚目 3–3 |
西幕下4枚目 3–3 |
西幕下12枚目 3–3 |
西幕下12枚目 2–4 |
||
1929年 (昭和4年) |
東幕下18枚目 – |
東幕下18枚目 – |
東幕下9枚目 3–3 |
東幕下9枚目 3–3 |
||
1930年 (昭和5年) |
東幕下10枚目 3–3 |
東幕下10枚目 優勝 7–1 |
東十両9枚目 5–6 |
東十両9枚目 2–9 |
||
1931年 (昭和6年) |
西幕下2枚目 3–3 |
西幕下2枚目 2–4 |
西幕下8枚目 1–5 |
西幕下8枚目 3–3 |
||
1932年 (昭和7年) |
東幕下8枚目 4–4[8] |
東幕下8枚目 5–5 |
西幕下5枚目 7–4 |
西幕下5枚目 5–6 |
||
1933年 (昭和8年) |
西幕下3枚目 4–7 |
x | 西幕下11枚目 引退 7–4–0 |
x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
- 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。
改名
[編集]- 弥彦山 国蔵(三段目以下在位時の番付上の表記は略字的に「弥彦山 国三」) - 1917年5月場所 - 1923年5月場所
- 弥彦山 国栄 (下の名前が「國栄」と表記された番付あり)- 1924年1月場所 - 1926年1月場所
- 開心 栄 - 1926年5月場所 - 1933年5月場所
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
- 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年
外部リンク
[編集]- 相撲レファレンス 弥彦山
- 相撲レファレンス 開心 栄
- 相撲レファレンスでは「弥彦山」の分と「開心」の分が分離登録されている。