コンテンツにスキップ

金森太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金森太郎

金森 太郎(かなもり たろう、1888年明治21年〉6月16日 - 1958年昭和33年〉6月12日)は、日本農商務内務官僚東京都出身[1]。宗教家の金森通倫の長男。第102代内閣総理大臣石破茂の外祖父。

来歴

[編集]

1888年熊本県人の牧師金森通倫の長男として誕生。1909年第二高等学校を卒業。1913年東京帝国大学法科大学独法科卒業。

農商務属となり、兵庫県朝来明石各郡長、島根県理事官産業課長、茨城静岡県警察部長、福島長野各県内務部長等を経て、1931年大阪府警察部長に就任。1932年東京府内務部長に就任。1933年徳島県知事に就任。1934年山形県知事に就任。

1936年東北興業副総裁に就任し、1940年まで務めた。1942年、樺太開発副総裁に就任。

1958年、死去。69歳没。墓所は多磨霊園

人物

[編集]

宗教キリスト教[1]。趣味は読書、旅行[1]。住所は東京都渋谷区代々木大山町[1]

家族・親族

[編集]
  • 妻・はなこ(原田二郎の長女[2]
1897年明治30年)9月[2] -没
1918年大正7年)8月[2] -没
  • 二女・幸子
次郎(実業家)
1889年(明治22年)10月[2] -没
五郎(医師)
1894年(明治27年)9月[2] -没
  • 同妻・(東京、岡本政勝の二女[2]
九郎(鉄鋼技師、東大教授)
1907年(明治40年)5月[2] -没
三壽ジャパンタイムス社長、国際ロータリー会長、国際基督教大学初代理事長の東ヶ崎潔(米国名ジョージ)に嫁す[2][3]
1891年(明治24年)5月[2] -没
壽々子(鳥取県、濱田清治に嫁す[2]
1903年(明治36年)5月[2] -没
壽々枝濱健夫に嫁す[2]
1905年(明治38年)5月[2] -没

参考文献

[編集]
  • 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)カ九五頁
  • 『財界人物選集』 1939年 168頁
  • 第十六版 人事興信録 昭和26年(1951年)、か四八

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 第十六版 人事興信録 昭和26年(1951年)、か四八。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』カ一〇六
  3. ^ 国際ロータリー会員誌"The Rotarian", July 1968, 'Kiyoshi Togasaki A Versatile, Vigorous Internationalist is RI's President for 1968-1939,' p20-23

外部リンク

[編集]