釋迦ヶ嶽庄太郎
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釋迦ヶ嶽 庄太郎(しゃかがたけ しょうたろう、1889年5月15日 - 1966年7月18日[1])は、山形県山形市釈迦堂出身で山科部屋、出羽海部屋に所属した力士。本名は川鰭 庄太郎(旧姓富塚)。8代山響。174cm、90kg。最高位は西前頭3枚目。
経歴
[編集]1906年1月初土俵、1913年1月十両昇進。1914年5月入幕し、平幕を上下した。1917年1月に鳳から金星を獲得。1922年1月限り引退し、山響を襲名。出羽海部屋付きの平年寄で終始し、1961年1月定年退職した。
成績
[編集]- 番付在位場所数30場所
- 幕内15場所57勝73敗11休9分預
場所別成績
[編集]春場所 | 夏場所 | |||||
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1906年 (明治39年) |
(前相撲) | (前相撲) | ||||
1907年 (明治40年) |
(前相撲) | 西序ノ口7枚目 – |
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1908年 (明治41年) |
東序二段34枚目 – |
西序二段6枚目 – |
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1909年 (明治42年) |
東三段目54枚目 – |
東三段目11枚目 – |
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1910年 (明治43年) |
西三段目15枚目 – |
東幕下46枚目 – |
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1911年 (明治44年) |
東幕下21枚目 – |
西幕下26枚目 – |
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1912年 (明治45年) |
東幕下17枚目 – |
東幕下8枚目 2–1 2預 |
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1913年 (大正2年) |
東十両10枚目 2–1 1分1預 |
東十両10枚目 4–1 |
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1914年 (大正3年) |
東十両3枚目 6–1 |
東前頭16枚目 7–3 |
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1915年 (大正4年) |
東前頭5枚目 4–5 1預 |
東前頭8枚目 5–4 1分 |
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1916年 (大正5年) |
東前頭4枚目 5–4 1預 |
東前頭5枚目 1–8 1預 |
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1917年 (大正6年) |
西前頭9枚目 5–5 ★ |
西前頭3枚目 3–7 |
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1918年 (大正7年) |
東前頭8枚目 4–5–1 |
東前頭9枚目 5–5 |
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1919年 (大正8年) |
東前頭4枚目 3–5 2預 |
東前頭14枚目 3–5 2分 |
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1920年 (大正9年) |
東前頭11枚目 6–3 1分 |
西前頭5枚目 3–7 |
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1921年 (大正10年) |
西前頭7枚目 0–0–10 |
東前頭13枚目 3–7 |
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1922年 (大正11年) |
東十両筆頭 引退 2–3–0 |
x | ||||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
- 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。
改名
[編集]最上山→釋迦ヶ嶽(1910年1月場所-) [2]
出典
[編集]- ^ https://web.archive.org/web/20010220070515/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19140502.htm
- ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709