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釋迦ヶ嶽庄太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

釋迦ヶ嶽 庄太郎(しゃかがたけ しょうたろう、1889年5月15日 - 1966年7月18日[1])は、山形県山形市釈迦堂出身で山科部屋出羽海部屋に所属した力士。本名は川鰭 庄太郎(旧姓富塚)。8代山響。174cm、90kg。最高位は西前頭3枚目。

経歴

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1906年1月初土俵、1913年1月十両昇進。1914年5月入幕し、平幕を上下した。1917年1月にから金星を獲得。1922年1月限り引退し、山響を襲名。出羽海部屋付きの平年寄で終始し、1961年1月定年退職した。

成績

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  • 番付在位場所数30場所
  • 幕内15場所57勝73敗11休9分預

場所別成績

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釋迦ヶ嶽 庄太郎
春場所 夏場所
1906年
(明治39年)
(前相撲) (前相撲)
1907年
(明治40年)
(前相撲) 西序ノ口7枚目
 
1908年
(明治41年)
東序二段34枚目
 
西序二段6枚目
 
1909年
(明治42年)
東三段目54枚目
 
東三段目11枚目
 
1910年
(明治43年)
西三段目15枚目
 
東幕下46枚目
 
1911年
(明治44年)
東幕下21枚目
 
西幕下26枚目
 
1912年
(明治45年)
東幕下17枚目
 
東幕下8枚目
2–1
2預
 
1913年
(大正2年)
東十両10枚目
2–1
1分1預
 
東十両10枚目
4–1 
1914年
(大正3年)
東十両3枚目
6–1 
東前頭16枚目
7–3 
1915年
(大正4年)
東前頭5枚目
4–5
1預
 
東前頭8枚目
5–4
1分
 
1916年
(大正5年)
東前頭4枚目
5–4
1預
 
東前頭5枚目
1–8
1預
 
1917年
(大正6年)
西前頭9枚目
5–5
西前頭3枚目
3–7 
1918年
(大正7年)
東前頭8枚目
4–5–1 
東前頭9枚目
5–5 
1919年
(大正8年)
東前頭4枚目
3–5
2預
 
東前頭14枚目
3–5
2分
 
1920年
(大正9年)
東前頭11枚目
6–3
1分
 
西前頭5枚目
3–7 
1921年
(大正10年)
西前頭7枚目
0–0–10 
東前頭13枚目
3–7 
1922年
(大正11年)
東十両筆頭
引退
2–3–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。

改名

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最上山→釋迦ヶ嶽(1910年1月場所-) [2]

出典

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  1. ^ https://web.archive.org/web/20010220070515/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19140502.htm
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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外部リンク

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