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近江冨士初太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
近江冨士 初太郎
基礎情報
四股名 長濱 → 長ノ濱 → 近江冨士 → 相生 → 近江冨士 初治郎 → 近江冨士 初太郎 → 近江冨士 初治郎 → 近江冨士 初太郎
本名 徳田 初次郎
生年月日 1881年2月2日
没年月日 (1940-10-30) 1940年10月30日(59歳没)
出身 滋賀県彦根市
身長 173cm
体重 90kg
BMI 30.07
所属部屋 出羽海部屋(大阪相撲では枝川部屋
得意技 右四つ、下手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 西小結
生涯戦歴 63勝70敗19休7分1預[1](29場所)
幕内戦歴 52勝62敗19休7分(14場所)
データ
初土俵 1903年1月場所(三段目)
入幕 1910年6月場所
引退 1917年1月場所
備考
金星1個(梅ヶ谷(2代)1個)
2019年8月6日現在

近江冨士 初太郎(おうみふじ はつたろう、1881年2月2日 - 1940年10月30日)は、現在の滋賀県彦根市出身で枝川部屋出羽海部屋に所属した力士。本名は徳田 初次郎(とくだ はつじろう)。身長173cm、体重90kg。最高位は西小結。得意技は右四つ、下手投げ。

経歴

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初め大阪相撲の枝川部屋に入り、のちに上京し出羽ノ海部屋に入門し、1903年1月場所に三段目格で土俵に上がる[2]1907年横綱常陸山谷右エ門の外遊に同行するなど常陸山の信頼を得た[2]。翌1908年1月場所は新十両だったが、全休し1場所で幕下に落ちた。1910年6月場所に入幕し、1912年1月場所には7勝1分で優勝旗手[3]になり、1913年5月に横綱梅ヶ谷に勝ち、翌1914年1月場所には小結に昇進した[2]1917年1月場所限りで廃業。廃業後は朝鮮に渡った。

主な成績

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  • 通算成績:63勝70敗19休7分1預[1] 勝率.474
  • 幕内成績:52勝62敗19休7分 勝率.456
  • 現役在位:29場所
  • 幕内在位:14場所
  • 三役在位:1場所(小結1場所)
  • 金星:1個(梅ヶ谷(2代)1個)

場所別成績

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近江冨士 初太郎
春場所 夏場所
1903年
(明治36年)
三段目
[4] 
東三段目30枚目
 
1904年
(明治37年)
東幕下49枚目
 
東幕下24枚目
0–1
(対十両戦)
 
1905年
(明治38年)
東幕下6枚目
 
西幕下19枚目
0–1
(対十両戦)
 
1906年
(明治39年)
東幕下26枚目
 
西幕下10枚目
 
1907年
(明治40年)
西幕下14枚目
0–0
1分
(対十両戦)
 
西幕下5枚目
3–0
(対十両戦)
 
1908年
(明治41年)
西十両6枚目
0–0 
東幕下7枚目
1–0
(対十両戦)
 
1909年
(明治42年)
東十両9枚目
3–4 
東十両7枚目
3–1
1預
 
1910年
(明治43年)
西十両2枚目
5–3 
東前頭16枚目
4–5
1引分
 
1911年
(明治44年)
東前頭14枚目
4–3–1
2引分
 
東前頭12枚目
4–4–1
1引分
 
1912年
(明治45年)
西前頭13枚目
7–2
1引分
旗手
 
東前頭4枚目
3–6
1引分
 
1913年
(大正2年)
東前頭12枚目
5–4
1引分
 
西前頭5枚目
6–4
1914年
(大正3年)
西小結
3–6–1 
東前頭5枚目
3–7 
1915年
(大正4年)
東前頭14枚目
6–2–2 
東前頭4枚目
0–6–4 
1916年
(大正5年)
東前頭17枚目
6–4 
東前頭8枚目
1–9 
1917年
(大正6年)
西前頭12枚目
引退
0–0–10
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。また当時の幕下以下の星取や勝敗数等の記録については2024年現在相撲レファレンス等のデータベースに登録がないため、幕下以下の勝敗数等は暫定的に対十両戦の分のみを示す。

改名

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  • 長濱(ながはま)
  • 長ノ濱(ながのはま) 1903年5月場所
  • 近江冨士 福太郎(おおみふじ ふくたろう)1904年1月場所 - 1905年1月場所
  • 相生 唯五郎 (あいおい ただごろう) 1905年5月場所
  • 近江冨士 初治郎(おおみふじ はつじろう)1906年1月場所 - 1912年1月場所
  • 近江冨士 初太郎(おおみふじ はつたろう)1912年5月場所
  • 近江冨士 初治郎(おおみふじ はつじろう)1913年1月場所 - 1913年5月場所
  • 近江冨士 初太郎(おおみふじ はつたろう)1914年1月場所 - 1917年1月場所
    • 下の名前を初次郎とした時期もある[2]

脚注

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  1. ^ a b 勝敗数等及び勝率は便宜上幕内と十両の合計を示す。他に幕下在位時の対十両戦での4勝2敗1分がある。
  2. ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p24
  3. ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 pp.86-87.
  4. ^ 番付外。

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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外部リンク

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