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荷知王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荷知王
各種表記
ハングル 하지왕
漢字 荷知王
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
日本語読み: かちおう
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荷知王(かちおう、生没年不詳)は、中国文献に現れる加羅国の王。南朝から本国王に任じられた。大加耶嘉悉王とする説が有力であるが、金官国の銍知王とする説もある。

治世

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弁韓3世紀に伽耶諸国と呼ばれる小国家群となり、初期は金官、5世紀後半には大伽耶が盟主となった[1]東アジアの海上交通の要衝という地理的特徴を生かし、倭国中国とも交流し、479年に「加羅国王荷知」が中国南朝朝貢して、「輔国将軍・本国王」に冊封された[2]。しかし新羅百済の狭間にあって翻弄される伽耶諸国は562年に新羅に滅ぼされた[1]

脚注

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  1. ^ a b 伊藤一彦『7世紀以前の中国・朝鮮関係史』法政大学経済学部学会〈経済志林 87 (3・4)〉、2020年3月20日、169-170頁。 
  2. ^ 「本国王」は不詳であるが、大加耶または金官国が他方に対抗して我こそが加羅の本国であると主張したものと思われる。斉は任那・加羅の都督号を与えた倭王武に配慮して国名を変更し、武より低い将軍号を与えている。鈴木武樹は『日本古代史99の謎』75 吉備ノ田狭の反抗と「任那」 で「本国」は任那の中国語訳とする。

参考文献

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  • 「アジア人物史 2」集英社、2023年