白子駅
白子駅 | |
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西口(2024年9月) | |
しろこ Shiroko | |
◄E30 千代崎 (2.8 km) (1.2 km) 鼓ヶ浦 E32► | |
所在地 | 三重県鈴鹿市白子駅前22-1 |
駅番号 | E31 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
所属路線 | E 名古屋線 |
キロ程 | 25.9 km(伊勢中川起点) |
電報略号 | シロ |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 2面4線 |
乗車人員 -統計年度- |
8,366人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1915年(大正4年)9月10日[1] |
備考 | * 正式な起点は伊勢中川駅 |
白子駅(しろこえき)は、三重県鈴鹿市白子駅前にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅である。駅番号はE31。
概要
[編集]鈴鹿市南東部に位置し、中心市街地のひとつである白子地区の中心駅である。当駅は市内で最も利用客の多い駅だが[2]、名古屋線が市役所のある神戸地区を避けて通っているため、『鈴鹿市』の名は市役所最寄り駅の近鉄鈴鹿線・鈴鹿市駅に譲った形となっている。市内の近鉄の駅では唯一の特急停車駅である。
2010年(平成22年)から当駅西口の駅前広場で再開発整備事業が実施された。駅前広場の拡幅工事やバス乗り場の改良、キスアンドライドのための駐車スペースの設置、広場への接続道路の改良がなされた。2015年(平成27年)4月1日に白子駅西自転車駐車場が開設され、一連の事業は完了した[2]。
歴史
[編集]- 1915年(大正4年)9月10日:伊勢鉄道の当駅 - 一身田町(現在の高田本山)間開通と同時に開業[3][1]。開業当初の終着駅でもある。
- 1916年(大正5年)1月12日:伊勢鉄道の当駅 - 千代崎間延伸により、途中駅となる[3]。
- 1926年(大正15年)9月11日:社名変更により伊勢電気鉄道の駅となる[3]。
- 1936年(昭和11年)9月15日:参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併[3]、参宮急行電鉄名古屋伊勢本線の駅となる[4]。
- 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道の駅となる[3]。路線名が改定され、名古屋線の所属となる[4]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道の駅となる[3]。
- 1967年(昭和42年)12月20日:特急停車駅に追加。名伊乙特急の一部が停車するようになる。
- 1976年(昭和51年)3月18日:特急の停車列車を拡大。名阪乙特急および名伊乙特急の全列車が停車するようになる。
- 1979年(昭和54年)3月20日:橋上駅化。
- 2007年(平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始[5]。
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西口(2007年)
-
東口(2007年)
駅構造
[編集]島式ホーム2面4線を持つ待避可能な地上駅で、橋上駅舎を有する。ホーム有効長は8両分。改札口は1ヶ所のみ。駅出入口は東西双方に1ヶ所ずつある。トイレは改札内橋上駅舎内にあり、男女別の水洗式。車椅子にも対応したものもある。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1・2 | E 名古屋線 | 下り | 大阪難波・伊勢中川・五十鈴川・賢島方面[6] | 始発列車のみ4番線発 |
3・4 | 上り | 近鉄名古屋方面[6] |
特徴
[編集]停車列車
[編集]名伊甲特急・観光特急「しまかぜ」以外の全定期営業列車が停車しており、名阪甲特急「ひのとり」も1本(621列車:大阪難波駅21時00分発、当駅22時34分着(土休日22時33分着))のみ停車する[8]。
日中時間帯は乙特急、急行列車がそれぞれ毎時3本、普通列車が毎時2本停車している[8]。
全時間帯で特急・急行と普通列車の緩急接続が行われており、普通列車は接続と列車待避が連続する場合は当駅で10分ほど停車することがある[8]。本数は少ないものの、急行が当駅で特急の待避・緩急接続を行うことがある[8]。
早朝、朝ラッシュ時当駅を始発とする列車が設定されている。
- 名古屋方面へは、平日朝に当駅始発の近鉄名古屋行き急行が1本設定されているが、名古屋発当駅終着の急行は臨時や緊急時を除いてない[8]。
- 伊勢中川方面へは、早朝に当駅始発の伊勢中川駅行きの普通列車が1本設定されている[8]。この普通は前夜に白塚駅から送り込み、当駅4番のりばで夜間滞泊を行う車両を充当する関係で当駅4番のりばから発車する。また、平日早朝に当駅始発の鳥羽駅行きの急行列車が設定されており、こちらも白塚駅から車両を送り込む関係で当駅4番のりばからの発車となる。
鈴鹿サーキットでF1日本グランプリが開催される時は当駅発着の臨時特急・臨時急行が運転される。同じ市内にある鈴鹿サーキットでイベントが開催されるときは、とても多くの人が駅を利用するため、駅で入場制限がかけられることもある。
かつて近鉄難波(現在の大阪難波)発近鉄名古屋行き特急に併結されていた湯の山温泉行き特急(湯の山特急)は当駅で切り離された(分岐点の近鉄四日市駅の湯の山線ホームが6両分しか有効長がない上、有効長の長い名古屋線ホームから湯の山線へ直接入線できないため)。同様に、毎日午後に設定されていた湯の山温泉駅始発の難波行き特急も当駅で近鉄名古屋駅始発の難波行き特急と併結されていた。
駅設備・営業面
[編集]PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されており、改札内トイレ付近にICカード入金機も単独で設置されている(千円札のみ対応)。
窓口および専用の券売機で特急券・定期券の購入が可能[9]。
当駅には駅長が置かれており、長太ノ浦駅 - 白塚駅間と、鈴鹿線の各駅を管理している[10]。なお、駅長室は営業所を併設している[9]。
当駅乗降人員
[編集]近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[11]。
- 2023年11月7日:11,751人
- 2022年11月8日:11,608人
- 2021年11月9日:11,241人
- 2018年11月13日:14,563人
- 2015年11月10日:14,764人
- 2012年11月13日:13,095人
- 2010年11月 9日:13,825人
- 2008年11月18日:13,569人
- 2005年11月 8日:13,392人
利用状況
[編集]「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[12]。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 8,359 |
1998年 | 8,074 |
1999年 | 7,855 |
2000年 | 7,843 |
2001年 | 7,678 |
2002年 | 7,568 |
2003年 | 7,516 |
2004年 | 7,492 |
2005年 | 7,568 |
2006年 | 7,589 |
2007年 | 7,464 |
2008年 | 7,396 |
2009年 | 7,208 |
2010年 | 7,266 |
2011年 | 7,356 |
2012年 | 7,510 |
2013年 | 7,845 |
2014年 | 7,938 |
2015年 | 8,250 |
2016年 | 8,509 |
2017年 | 8,580 |
2018年 | 8,596 |
2019年 | 8,366 |
2020年 | 5,757 |
白子駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(白子駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 771,900 | ←←←← | 351,374 | 1,123,274 | |||
1951年(昭和26年) | 863,490 | ←←←← | 378,262 | 1,241,752 | |||
1952年(昭和27年) | 807,210 | ←←←← | 392,903 | 1,200,113 | |||
1953年(昭和28年) | 835,890 | ←←←← | 446,691 | 1,282,581 | |||
1954年(昭和29年) | 833,130 | ←←←← | 476,525 | 1,309,655 | |||
1955年(昭和30年) | 892,800 | ←←←← | 470,514 | 1,363,314 | |||
1956年(昭和31年) | 984,660 | ←←←← | 491,195 | 1,475,855 | |||
1957年(昭和32年) | 1,016,250 | ←←←← | 496,237 | 1,512,487 | |||
1958年(昭和33年) | 1,064,280 | ←←←← | 468,555 | 1,532,835 | |||
1959年(昭和34年) | 1,157,100 | ←←←← | 438,257 | 1,595,357 | |||
1960年(昭和35年) | 1,293,570 | ←←←← | 446,057 | 1,739,627 | |||
1961年(昭和36年) | 1,420,260 | ←←←← | 503,805 | 1,924,065 | |||
1962年(昭和37年) | 1,689,600 | ←←←← | 549,469 | 2,209,069 | |||
1963年(昭和38年) | 1,751,250 | ←←←← | 560,158 | 2,311,408 | |||
1964年(昭和39年) | 1,908,840 | ←←←← | 601,393 | 2,510,233 | |||
1965年(昭和40年) | 1,944,300 | ←←←← | 622,353 | 2,566,653 | |||
1966年(昭和41年) | 1,980,330 | ←←←← | 675,599 | 2,655,929 | |||
1967年(昭和42年) | 1,992,960 | ←←←← | 724,567 | 2,717,527 | |||
1968年(昭和43年) | 2,016,810 | ←←←← | 852,119 | 2,868,929 | |||
1969年(昭和44年) | 2,042,250 | ←←←← | 899,418 | 2,941,668 | |||
1970年(昭和45年) | 2,106,000 | ←←←← | 953,855 | 3,059,855 | |||
1971年(昭和46年) | 2,038,020 | ←←←← | 976,878 | 3,014,898 | |||
1972年(昭和47年) | 2,050,440 | ←←←← | 1,035,562 | 3,086,002 | |||
1973年(昭和48年) | 2,011,500 | ←←←← | 1,119,976 | 3,131,476 | |||
1974年(昭和49年) | 2,254,200 | ←←←← | 1,153,643 | 3,407,843 | |||
1975年(昭和50年) | 2,281,560 | ←←←← | 1,188,121 | 3,469,681 | |||
1976年(昭和51年) | 2,154,750 | ←←←← | 1,153,312 | 3,308,062 | |||
1977年(昭和52年) | 2,136,810 | ←←←← | 1,188,019 | 3,324,829 | |||
1978年(昭和53年) | 2,154,660 | ←←←← | 1,219,314 | 3,373,974 | |||
1979年(昭和54年) | 2,131,140 | ←←←← | 1,233,275 | 3,364,415 | |||
1980年(昭和55年) | 2,140,470 | ←←←← | 1,268,399 | 3,408,869 | |||
1981年(昭和56年) | 2,124,660 | ←←←← | 1,273,013 | 3,397,673 | |||
1982年(昭和57年) | 2,065,050 | ←←←← | 1,291,162 | 3,356,212 | 11月16日 | 14,587 | |
1983年(昭和58年) | 2,043,990 | ←←←← | 1,270,441 | 3,314,431 | 11月8日 | 16,200 | |
1984年(昭和59年) | 1,970,010 | ←←←← | 1,233,066 | 3,203,076 | 11月6日 | 16,291 | |
1985年(昭和60年) | 1,964,550 | ←←←← | 1,273,925 | 3,238,475 | 11月12日 | 14,718 | |
1986年(昭和61年) | 1,987,980 | ←←←← | 1,291,681 | 3,279,661 | 11月11日 | 14,258 | |
1987年(昭和62年) | 1,977,180 | ←←←← | 1,293,259 | 3,270,439 | 11月10日 | 14,337 | |
1988年(昭和63年) | 1,988,910 | ←←←← | 1,321,070 | 3,309,980 | 11月8日 | 14,803 | |
1989年(平成元年) | 2,029,380 | ←←←← | 1,421,339 | 3,450,719 | 11月14日 | 16,058 | |
1990年(平成2年) | 2,078,280 | ←←←← | 1,474,538 | 3,552,818 | 11月6日 | 18,036 | |
1991年(平成3年) | 2,112,690 | ←←←← | 1,516,219 | 3,628,909 | |||
1992年(平成4年) | 2,096,100 | ←←←← | 1,453,527 | 3,549,627 | 11月10日 | 16,074 | |
1993年(平成5年) | 2,114,940 | ←←←← | 1,412,143 | 3,527,083 | |||
1994年(平成6年) | 2,092,860 | ←←←← | 1,372,566 | 3,465,426 | |||
1995年(平成7年) | 2,082,600 | ←←←← | 1,372,087 | 3,454,687 | 12月5日 | 15,792 | |
1996年(平成8年) | 1,959,690 | ←←←← | 1,370,138 | 3,329,828 | |||
1997年(平成9年) | 1,770,840 | ←←←← | 1,280,300 | 3,051,140 | |||
1998年(平成10年) | 1,715,490 | ←←←← | 1,231,561 | 2,947,051 | |||
1999年(平成11年) | 1,676,250 | ←←←← | 1,198,716 | 2,874,966 | |||
2000年(平成12年) | 1,675,170 | ←←←← | 1,187,486 | 2,862,656 | |||
2001年(平成13年) | 1,630,050 | ←←←← | 1,172,595 | 2,802,645 | |||
2002年(平成14年) | 1,611,660 | ←←←← | 1,150,651 | 2,762,311 | |||
2003年(平成15年) | 1,608,540 | ←←←← | 1,142,335 | 2,750,875 | |||
2004年(平成16年) | 1,604,520 | ←←←← | 1,130,173 | 2,734,693 | |||
2005年(平成17年) | 1,603,560 | ←←←← | 1,158,590 | 2,762,150 | 11月8日 | 13,392 | |
2006年(平成18年) | 1,624,320 | ←←←← | 1,145,742 | 2,770,062 | |||
2007年(平成19年) | 1,619,490 | ←←←← | 1,112,180 | 2,731,670 | |||
2008年(平成20年) | 1,633,830 | ←←←← | 1,065,821 | 2,699,651 | 11月18日 | 13,569 | |
2009年(平成21年) | 1,626,930 | ←←←← | 1,003,875 | 2,630,805 | |||
2010年(平成22年) | 1,663,410 | ←←←← | 988,738 | 2,652,148 | 11月9日 | 13,825 | |
2011年(平成23年) | 1,701,360 | ←←←← | 991,107 | 2,692,467 | |||
2012年(平成24年) | 1,706,550 | ←←←← | 1,034,552 | 2,741,102 | 11月13日 | 13,095 | |
2013年(平成25年) | 1,797,990 | ←←←← | 1,065,396 | 2,863,386 |
駅周辺
[編集]- 白子駅西口ランドマークエリア - 2014年の大会以降、F1日本グランプリの上位3人の選手の手形を刻んだ記念碑が毎年1基ずつ設置されている[13]。
- 国道23号
- 三重県道6号四日市楠鈴鹿線
- 三重県道551号白子停車場線
- 鈴鹿警察署
- 白子交番
- 鈴鹿市南消防署
- AGF鈴鹿体育館(鈴鹿市立体育館)[14]
- 鈴鹿市立図書館江島分館
- 白子港
- 白子郵便局
- 三重県立白子高等学校[2]
- 鈴鹿市立白子小学校
- 勝速日神社
- コンフォートホテル鈴鹿
- そよら鈴鹿白子(白子ショッピングタウンサンズ跡、2024年3月28日オープン)[15]
バス路線
[編集]乗場 | 系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行会社 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 01 | 東旭が丘、イオンモール鈴鹿 | 平田町駅・野町 | 三重交通 | |
03 | 東旭が丘 | 鈴鹿サーキット | |||
2 | 02 | 西玉垣、鈴鹿市駅 | 鈴鹿中央病院・鈴鹿市駅 | ||
西玉垣 | 安塚(鈴鹿車庫) | ||||
05 | 桜島四丁目 | 鈴鹿中央病院 | |||
MEGAドンキUNY鈴鹿店 | 鈴鹿中央病院 | ||||
桜島四丁目 | MEGAドンキUNY鈴鹿店 | ||||
直通 | 稲生高校 | 登校日のみ運行 | |||
臨時 | 三重交通Gスポーツの杜鈴鹿 | イベント開催時のみ運行 | |||
東京高速 | 立川駅北口、バスタ新宿(新宿駅南口)、池袋駅東口、大宮駅西口 | 西武バス大宮営業所 | 三重交通 三交伊勢志摩交通 西武観光バス |
夜行 | |
YCAT・池袋駅東口・大宮駅西口 | 西武バス大宮営業所 | 夜行 | |||
白子・平田線 | 稲生局前、徳田駅、国府台東 | イオンモール鈴鹿 | C-BUS | ||
WILLER EXPRESS | バスタ新宿 | 川崎駅 | ベイラインエクスプレス | 夜行 | |
JAMJAMライナー | YCAT、バスタ新宿 | 東京ディズニーランド・バス・ターミナル・アネックス | ジャムジャムエクスプレス | 夜行 |
※三重交通、C-BUSのバス停名は白子駅西。
※ベイラインエクスプレス、ジャムジャムエクスプレスのバス停名は白子駅西口。
隣の駅
[編集]- 近畿日本鉄道
- E 名古屋線
脚注
[編集]- ^ a b 山本克也 (2015年9月10日). “愛されて1世紀 近鉄白子駅が記念入場券やグッズ きょう開業100周年”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 鈴鹿亀山版 16
- ^ a b c 鈴木智重 (2015年3月31日). “白子駅西口 あすオープン 市営駐輪場 違法駐輪 解消期待も”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 鈴鹿亀山版 20
- ^ a b c d e f 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7。
- ^ a b 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、p.156
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(pdf)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日 。2016年3月17日閲覧。
- ^ a b “駅の情報|白子”. 近畿日本鉄道. 2021年5月3日閲覧。
- ^ “白子駅 発車時刻表(2021年7月3日変更)”. 近畿日本鉄道. 2022年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月24日閲覧。
- ^ a b c d e f 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.150 - p.157・p.162 - p.184・p.308 - p.315・p.320 - p.342
- ^ a b 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.81 - p.87
- ^ 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月
- ^ 駅別乗降人員 名古屋線 - 近畿日本鉄道
- ^ 三重県統計書 - 三重県
- ^ “F1選手の手形披露 鈴鹿で来月日本GP、白子駅の記念碑増設”. 伊勢新聞 (2024年3月22日). 2024年10月16日閲覧。
- ^ “AGF鈴鹿体育館(鈴鹿市立体育館)”. 鈴鹿市スポーツ協会. 2022年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月29日閲覧。
- ^ 村石英寿 (2024年2月21日). “イオン、鈴鹿市に「そよら鈴鹿白子」 3月28日オープン”. Impress Watch. インプレス. 2024年10月16日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報|白子 - 近畿日本鉄道