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熊野敏三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くまの びんぞう

熊野 敏三
生誕 (1855-02-08) 1855年2月8日
日本の旗 日本
長門国阿武郡松本弘法谷[1]
死没 1899年10月11日(数え46歳没)
墓地 青山霊園
出身校 司法省明法寮
パリ大学
職業 司法官僚
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熊野 敏三(くまの びんぞう、1855年2月8日安政元年12月22日) - 1899年明治32年)10月11日)は、日本官僚である[2]

略歴

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1855年(安政元年)に萩で出生[3]。幼名は猪三郎[1]松下村塾漢籍を学んだ後、1871年明治4年)に上京しフランス語を学んだ[3]1872年(明治5年)に大学南校に入学したが、司法省明法寮に転学した[3]

1875年(明治8年)からフランスに留学し[2]パリ大学に入学した[3]1883年(明治16年)に日本に帰国した[2]

帰国後は司法省参事官となり[3]旧民法旧商法などの作成に関わった[2]ボアソナードが作成した旧民法の草案の翻訳や[3]家族法の草案の作成を行った[4]1888年(明治21年)6月、法学博士の学位を授与された[1]

明治法律学校では法律大意、人事法、相続法、万国公法を教え[5]1897年(明治30年)9月からは教頭を務めた[6]

1899年(明治32年)5月から肺病に倒れ、10月11日に死亡した[3]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d 荻原善太郎 『日本博士全伝』 1888年、143-145頁
  2. ^ a b c d 熊野敏三」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E9%87%8E%E6%95%8F%E4%B8%89コトバンクより2020年11月12日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g 七戸 2009, p. 65.
  4. ^ 熊野敏三」『世界大百科事典』https://kotobank.jp/word/%E7%86%8A%E9%87%8E%E6%95%8F%E4%B8%89コトバンクより2020年11月12日閲覧 
  5. ^ 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、144頁
  6. ^ 松浦良松編 『明治大学年鑑』 明治大学新聞学会、1926年、36頁
  7. ^ 『官報』第2816号「叙任及辞令」1892年11月15日。

参考文献

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  • 花房吉太郎, 山本源太 編『日本博士全伝』,法学博士 熊野敏三君,博文館,1892. 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 七戸克彦「現行民法典を創った人びと(6)主査委員 3 : 木下広次・熊野敏三,外伝2 : 進化論」『法学セミナー』第54巻第10号、2009年、64-66頁、NAID 120001730653