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照ノ海照光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

照ノ海 照光(てるのうみ てるみつ、1922年1月18日[1] - 没年不明)は、高知県南国市出身[1][2]二所ノ関部屋に所属した[1][2]元大相撲力士。本名は北村 照光(きたむら てるみつ)[1][2]。171cm、99kg。最高位は西十両筆頭。得意技は左四つ、寄り[3]

経歴

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1936年1月場所に初土俵。入門してしばらくは全く勝ち越すことができかったが、1939年1月場所に入門して初めての勝ち越しを決めると、逆に勝ち越しを続けていき、1941年5月場所に十両昇進[1][2]1943年5月場所には西十両筆頭まで躍進するも入幕ならず、1947年11月場所に25歳で廃業した[1][2]

主な成績

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  • 通算成績:105勝98敗7休 勝率.517
  • 十両成績:62勝69敗7休 勝率.473
  • 現役在位:23場所
  • 十両在位:11場所

場所別成績

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照ノ海 照光
春場所 夏場所 秋場所
1936年
(昭和11年)
(前相撲) (番付外) x
1937年
(昭和12年)
(前相撲) 西序ノ口5枚目
3–4 
x
1938年
(昭和13年)
西序二段31枚目
2–5 
東序二段32枚目
3–4 
x
1939年
(昭和14年)
東序二段32枚目
5–2 
東三段目31枚目
5–3 
x
1940年
(昭和15年)
西三段目10枚目
5–3 
東幕下32枚目
7–1 
x
1941年
(昭和16年)
東幕下6枚目
5–3 
西十両15枚目
8–7 
x
1942年
(昭和17年)
西十両11枚目
8–7 
西十両7枚目
8–7 
x
1943年
(昭和18年)
西十両4枚目
8–7 
西十両筆頭
4–11 
x
1944年
(昭和19年)
西十両10枚目
6–9 
西十両12枚目
6–4 
東十両5枚目
4–6 
1945年
(昭和20年)
x 西十両7枚目
休場
0–0–7
西幕下6枚目
3–2 
1946年
(昭和21年)
x 国技館修理
のため中止
東幕下3枚目
5–2 
1947年
(昭和22年)
x 東十両9枚目
6–4 
西十両3枚目
引退
4–7–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 玉ノ森 照光(たまのもり てるみつ)1936年1月場所 - 1937年1月場所
  • 照ノ海 照光(てるのうみ てるみつ)1937年5月場所 - 1947年11月場所

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、179頁。
  2. ^ a b c d e 『昭和の大相撲 資料編』 313頁。
  3. ^ 相撲人名鑑(照ノ海 照光)

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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外部リンク

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