コンテンツにスキップ

渡辺又次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺又次郎

渡辺 又次郎(わたなべ またじろう、慶応2年11月3日[1]1866年12月9日) - 昭和5年(1930年11月22日[2])は、日本教育者位階勲等従三位勲三等

経歴

[編集]

武蔵国川越藩出身[1]1893年(明治26年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業し[3]1898年(明治31年)に同大学院を修了した[4]。そのかたわら東京法学院(現在の中央大学)と哲学館(現在の東洋大学)で論理学倫理学の講師を務め、1897年(明治30年)には帝国図書館司書長に任命された[3]。翌年、第二高等学校教授となり、1900年(明治33年)に第五高等学校教授に転じ、教頭となった[3]1907年(明治30年)に辞して、翌年から東京市立日比谷図書館主事となり、さらに東京市主事に転じた[1]1911年(明治44年)、東北帝国大学農科大学予科教授となり、さらに北海道帝国大学農科大学予科教授・主事、水戸高等学校校長を歴任した[4]

著書

[編集]
  • 『小倉百人一首通解』(北隆館、1897年)渡辺光風・平井頼吉と共著
  • 『歴史教育 日本英雄唱歌』(信陽堂、1900年)渡辺又次郎・渡辺光風作歌、野村成仁作曲
  • 『最新論理学』(丙午出版社、1908年)
  • 『寸鉄論理学』(博文館、1912年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 人事興信録 1918, p. ワ33.
  2. ^ 死亡広告」『東京朝日新聞』第16007号1930年11月24日、8面。
  3. ^ a b c 北海道人名辞書 1914, p. 162.
  4. ^ a b 人事興信録 1925, p. ワ34.

参考文献

[編集]
  • 金子郡平・高野隆之編『北海道人名辞書』北海道人名辞書編纂事務所、1914年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 
公職
先代
(新設)
東京市立日比谷図書館主事
1908年 - 1911年
次代
守屋恒三郎
その他の役職
先代
市島謙吉
日本図書館協会会長
1910年
次代
西村竹間