渡辺又次郎
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渡辺 又次郎(わたなべ またじろう、慶応2年11月3日[1](1866年12月9日) - 昭和5年(1930年)11月22日[2])は、日本の教育者。位階勲等は従三位勲三等。
経歴
[編集]武蔵国川越藩出身[1]。1893年(明治26年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業し[3]、1898年(明治31年)に同大学院を修了した[4]。そのかたわら東京法学院(現在の中央大学)と哲学館(現在の東洋大学)で論理学・倫理学の講師を務め、1897年(明治30年)には帝国図書館司書長に任命された[3]。翌年、第二高等学校教授となり、1900年(明治33年)に第五高等学校教授に転じ、教頭となった[3]。1907年(明治30年)に辞して、翌年から東京市立日比谷図書館主事となり、さらに東京市主事に転じた[1]。1911年(明治44年)、東北帝国大学農科大学予科教授となり、さらに北海道帝国大学農科大学予科教授・主事、水戸高等学校校長を歴任した[4]。
著書
[編集]- 『小倉百人一首通解』(北隆館、1897年)渡辺光風・平井頼吉と共著
- 『歴史教育 日本英雄唱歌』(信陽堂、1900年)渡辺又次郎・渡辺光風作歌、野村成仁作曲
- 『最新論理学』(丙午出版社、1908年)
- 『寸鉄論理学』(博文館、1912年)
脚注
[編集]- ^ a b c 人事興信録 1918, p. ワ33.
- ^ 「死亡広告」『東京朝日新聞』第16007号1930年11月24日、8面。
- ^ a b c 北海道人名辞書 1914, p. 162.
- ^ a b 人事興信録 1925, p. ワ34.
参考文献
[編集]- 金子郡平・高野隆之編『北海道人名辞書』北海道人名辞書編纂事務所、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
公職 | ||
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先代 (新設) |
東京市立日比谷図書館主事 1908年 - 1911年 |
次代 守屋恒三郎 |
その他の役職 | ||
先代 市島謙吉 |
日本図書館協会会長 1910年 |
次代 西村竹間 |