海野屋 作兵衛(うんのや さくべえ、? - 天和2年2月8日(1682年3月16日))は、江戸時代前期の開拓者、新田開発者[1]。
もと江戸本小田原町の鮮魚商[2]。寛文11年(1671年)下総手賀沼新田の開発を請け負い、17人の開発仲間の金主となり印旛郡に移住[1][2]。手賀沼から印旛沼に至る約4kmの排水路の掘割工事を行い、発作新田などの約230haの新田を拓いた[1]。
昭和3年(1928年)、従五位を追贈された[3]。