沮渠無諱
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拓王 沮渠無諱 | |
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北涼 | |
第4代王 | |
王朝 | 北涼 |
在位期間 | 443年 - 444年 |
都城 | 高昌 |
姓・諱 | 沮渠無諱 |
諡号 | 拓王 |
生年 | 不詳 |
没年 | 承平2年(444年) |
父 | 武宣王 |
年号 | 承平 : 443年 - 444年 |
沮渠 無諱(そきょ むき)は、五胡十六国時代の北涼の後継政権である高昌北涼の王。
生涯
[編集]匈奴の支族である盧水胡族の出身。兄の哀王沮渠牧犍の在位中は沙州刺史・都督建康以西諸軍事・酒泉郡太守に任じられていた。承和7年(439年)、北魏に王都姑臧を攻撃されると哀王は北魏に降伏したが、無諱は酒泉を拠点に勢力を確保した。太平真君2年(441年)にはいったん北魏に降伏して酒泉王に封じられたが、西域での後患を絶つために進軍した北魏の攻撃を退け、弟の沮渠安周を派遣して鄯善を攻撃している。
太平真君3年(442年)、無諱と沮渠安周が会師して鄯善を占拠し、数カ月後には高昌に拠って南朝宋に奉表し、都督涼沙河三州諸軍事・征西将軍・涼州刺史・河西王に封じられている。翌443年に承平と改元して独立勢力を保った。
承平2年(444年)に死去し、王位は弟の沮渠安周が継承した。