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永井秀樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永井 秀樹
名前
カタカナ ナガイ ヒデキ
ラテン文字 NAGAI Hideki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-01-26) 1971年1月26日(53歳)
出身地 大分県
身長 174cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1986-1988 日本の旗 国見高校
1989-1991 日本の旗 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1997 日本の旗 ヴェルディ川崎 54 (5)
1995 日本の旗 福岡ブルックス (loan) 12 (3)
1996 日本の旗 清水エスパルス (loan) 29 (3)
1998 日本の旗 横浜フリューゲルス 32 (12)
1999-2000 日本の旗 横浜F・マリノス 43 (5)
2001-2002 日本の旗 東京ヴェルディ1969 31 (7)
2004 日本の旗 大分トリニータ 2 (0)
2005 日本の旗 FC琉球 8 (4)
2006-2007 日本の旗 東京ヴェルディ1969 47 (4)
2008-2013 日本の旗 FC琉球 97 (9)
2014-2016 日本の旗 東京ヴェルディ 32 (0)
通算 387 (52)
監督歴
2017-2019 日本の旗 東京ヴェルディユース
2019-2021 日本の旗 東京ヴェルディ
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

永井 秀樹(ながい ひでき、1971年1月26日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF

元サッカー選手、サッカー指導者の永井篤志は実弟である。

三浦知良に抜かれるまでのJFL最年長得点記録を持っていた[1]

来歴

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長崎県立国見高校を卒業後、国士舘大学に入学しバルセロナオリンピック最終予選に出場するも、本大会の出場権を取れなかったことで大学を中退し、1992年にヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)に入団[2]

1995年ジャパンフットボールリーグの福岡ブルックス(現・アビスパ福岡)、1996年清水エスパルス期限付き移籍後、翌年にV川崎に復帰。その後翌1998年横浜フリューゲルスに完全移籍。

横浜フリューゲルスの消滅に伴って、1999年横浜F・マリノス2001年に東京Vへ移籍。

2002年に東京Vから戦力外通告を受けて解雇され、しばらく無所属であったが、2004年大分トリニータに入団する。しかし2試合に出場したのみで再び戦力外通告を受ける。

2005年6月にFC琉球と契約。

2006年はJ2降格になった古巣東京Vに復帰し、東京Vでのかつてのチームメイトであるラモス瑠偉監督のもとJ1昇格を狙った。スタメン出場こそほとんどないものの、ここぞの場面で流れを変えるスーパーサブとしてラモスからの信頼を得た。

2007年日本フットサルリーグバサジィ大分の取締役兼スーパーバイザーに就任。

2008年、ヴェルディ側のフロントと対立し、自身のブログでヴェルディ退団を発表。

2008年6月25日、FC琉球へ復帰した。なお、FC琉球では毎年自身の年齢を背番号にしていた。

2013年11月、FC琉球を退団した[3]

2014年4月7日、東京Vに入団した[4]。7年ぶりの5回目の復帰となる。

2016年11月10日、2016年シーズン限りでの引退を発表した[5]

2017年、東京ヴェルディユース監督兼GM補佐に就任した[6]。同年8月14日に引退試合『OBRIGADO NAGAI』が味の素フィールド西が丘で行われた[7]

2019年7月17日、東京ヴェルディの監督を務めていたギャリー・ジョン・ホワイトが成績不振を理由に退任し、ユースの監督を務めていた永井秀樹が自身初のトップチーム監督に就任した[8]

2020年シーズン、「GO BEYOND 新たな時代へ」をクラブスローガンに永井体制2年目がスタートする。トップチームのコーチには永井の中学時代の恩師でもある吉武博文が加わった。

2021年8月、監督である永井が選手へパワーハラスメントのような精神的に追い込む行為をしていたとの意見書が、東京ヴェルディ選手会からJリーグ事務局に提出されたとの虚偽が記事として掲載されたため[9]、同年9月1日、永井は、記事は捏造ではあるものの、その影響を考慮し監督を辞任した[10]

同年12月24日、Jリーグは永井の指導について「サッカーの指導に不必要に攻撃的な言葉や暴言」「不適切な指導や不適切な取り扱い」「人格等を否定する言葉や暴言」を認め、永井による選手らへのパワーハラスメントを認定し、東京ヴェルディに対してクラブ側の管理監督義務違反として罰金100万円及び譴責処分を科した。永井に対しては既に監督を辞任をしているため、Jリーグは「懲罰権が及ばない」とし処分対象とはならなかった[11]

2022年3月10日、日本サッカー協会からの処分として、1年間のS級ライセンス停止処分が発表された[12]

2022年3月21日にヴィッセル神戸のスポーツダイレクターに就任した。この決定については、日本サッカー協会から処分を受けてわずか11日での発表であったことや、ライセンス停止処分中の人物がSDという社会的にも立場のある配置であったことなどから、有志サポーター団体より着任一時凍結を求める提言がされた[13]。また3月29日にはコンプライアンス教育研修実施のお知らせがクラブから発表された[14]。5月14日に行われたサポーターカンファレンスでは厳しい声が多数寄せられたがSDを留任する事となった[15]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992 V川崎 - J - 3 0 4 0 7 0
1993 20 3 7 3 0 0 27 6
1994 15 0 2 0 1 0 18 0
1995 福岡B 7 旧JFL 12 3 - 1 2 13 5
1996 清水 - J 29 3 16 5 3 0 48 8
1997 V川崎 12 19 2 5 2 1 0 25 4
1998 横浜F 10 32 12 4 0 5 2 41 14
1999 横浜FM 7 J1 22 5 4 2 2 0 28 7
2000 21 0 5 1 0 0 26 1
2001 東京V 10 20 5 2 0 3 1 25 6
2002 11 2 3 0 1 0 15 2
2004 大分 33 2 0 3 0 0 0 5 0
2005 FC琉球 九州 8 4 - 4 1 12 5
2006 東京V 8 J2 29 1 - 1 0 30 1
2007 18 3 - 0 0 18 3
2008 FC琉球 37 JFL 9 0 - - 9 0
2009 38 25 3 - - 25 3
2010 39 19 3 - 2 0 21 3
2011 40 17 1 - 1 0 18 1
2012 41 20 1 - 1 0 21 1
2013 42 7 1 - 2 0 9 1
2014 東京V 45 J2 11 0 - 0 0 11 0
2015 18 0 - 0 0 18 0
2016 3 0 - 0 0 3 0
通算 日本 J1 191 32 54 13 20 3 265 48
日本 J2 79 4 - 1 0 80 4
日本 JFL 97 9 - 6 0 103 9
日本 旧JFL 12 3 - 1 2 13 5
日本 九州 8 4 - 4 1 12 5
総通算 387 52 54 13 32 6 462 71

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2006 東京V 8 1 0
通算 AFC 1 0
  • Jリーグ初出場-1993年5月26日 サントリーシリーズ第4節
  • Jリーグ初得点-1993年6月23日 サントリーシリーズ第12節

タイトル

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  • 1985年 第16回全国中学校サッカー大会優勝
  • 1987年 第66回全国高校サッカー選手権優勝
  • 1992年 ヤマザキナビスコカップ優勝
  • 1993年 ニコスシリーズ優勝、ヤマザキナビスコカップ優勝、サントリーチャンピオンシップ優勝
  • 1994年 ニコスシリーズ優勝、ヤマザキナビスコカップ優勝、サントリーチャンピオンシップ優勝
  • 1996年 ヤマザキナビスコカップ優勝
  • 1998年 第78回天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝
  • 2000年 ファーストステージ優勝、サントリーチャンピオンシップ出場

代表歴

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  • 1992年 バルセロナオリンピックアジア最終予選日本代表
  • 1999年 日本代表候補

指導歴

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  • 2017年 - 2021年9月 東京ヴェルディ
    • 2017年 - 2019年7月 ユース監督兼GM補佐
    • 2019年7月 - 2021年9月 トップチーム監督
  • 2022年3月 - ヴィッセル神戸 スポーツダイレクター

脚注

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  1. ^ 鈴鹿カズ今季初ゴール 途中出場即PK カズダンス披露 JFL最年長得点大幅更新 55歳246日”. デイリースポーツ online (2022年10月30日). 2022年10月30日閲覧。
  2. ^ 43歳で古巣ヴェルディに復帰した永井秀樹「2020年東京オリンピックまでにJ1王者に返り咲く」”. サッカーキング (2014年4月7日). 2014年5月11日閲覧。
  3. ^ 【お知らせ】退団選手のお知らせ”. FC琉球 (2013年11月27日). 2013年11月28日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ 永井秀樹選手加入のお知らせ”. 東京ヴェルディ (2014年4月7日). 2014年4月7日閲覧。
  5. ^ 東京ヴェルディ (2016年11月10日). “永井秀樹選手引退のお知らせ”. 2016年11月10日閲覧。
  6. ^ 東京ヴェルディ (2017年1月11日). “永井 秀樹ユース監督兼GM補佐就任のお知らせ”. 2017年1月11日閲覧。
  7. ^ カズ、ラモスが今も醸す独特の空気。永井秀樹の引退試合は「今」のために。 Number web、2017年8月30日
  8. ^ 永井秀樹監督 就任のお知らせ』(プレスリリース)東京ヴェルディhttps://www.verdy.co.jp/news/82282019年7月17日閲覧 
  9. ^ 東京V永井秀樹監督パワハラ行為 「もみ消そうと」選手会J事務局に意見書”. 日刊スポーツ. 2021年8月28日閲覧。
  10. ^ 永井秀樹監督 辞任のお知らせ』(プレスリリース)東京ヴェルディ、2021年9月1日http://verdy.co.jp/news/102142021年9月1日閲覧 
  11. ^ パワハラ問題で東京Vに罰金100万円 永井前監督のライセンス処分検討も - Sponichi Annex 2021年12月25日
  12. ^ 鳥栖の金明輝前監督にA級降級処分、東京Vの永井前監督はS級ライセンス1年間停止 - スポーツニッポン 2022年3月10日
  13. ^ ヴィッセル永井SDの「着任一時凍結を」 サポーター有志が提言” (Japanese). 神戸新聞NEXT (2022年3月24日). 2022年11月11日閲覧。
  14. ^ 永井秀樹SDへのコンプライアンス教育研修実施のお知らせ”. ヴィッセル神戸オフィシャルサイト. 2022年11月11日閲覧。
  15. ^ J1最下位の神戸、サポーターと意見交換会 永井秀樹SDの東京V時代のパワハラ問題に厳しい意見が続出”. スポーツ報知 (2022年5月14日). 2022年11月11日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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