東順治
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東 順治 ひがし じゅんじ | |
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生年月日 | 1946年10月6日 |
出生地 | 福岡県北九州市若松区 |
没年月日 | 2023年10月17日(77歳没) |
死没地 | 福岡県古賀市 |
出身校 | 北九州大学外国語学部 |
所属政党 |
(公明党→) (新進党→) (新党平和→) 公明党 |
称号 | 外国語学士 |
選挙区 |
(旧福岡2区→) 比例九州ブロック |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
1990年2月18日 - 1996年9月27日 1998年3月31日 - 2012年11月16日 |
東 順治(ひがし じゅんじ、1946年10月6日 - 2023年10月17日)は、日本の政治家。
衆議院議員(7期)、防衛政務次官(羽田内閣)、公明党副代表などを歴任した。
経歴
[編集]伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 1946年10月3日 - 福岡県若松市(現:北九州市若松区)に生まれる。
- 1962年3月 - 若松市立第五中学校(現:北九州市立洞北中学校)卒業。
- 1965年3月 - 八幡大学附属高等学校(現:九州国際大学付属高等学校)卒業。
- 1969年3月 - 北九州大学(現:北九州市立大学)外国語学部米英学科卒業。
- 1990年2月18日 - 第39回衆議院議員総選挙に公明党公認候補として旧福岡2区から立候補し初当選(連続5回、途中に復活当選)。
- 1993年7月18日 - 第40回衆議院議員総選挙に公明党公認候補として2回目の当選。
- 1994年 - 羽田孜内閣の発足で防衛庁長官神田厚(民社党)の下で防衛政務次官に就任。
- 1996年10月20日 - 小選挙区比例代表並立制の下で初めて行われた第41回衆議院議員総選挙において福岡4区から新進党公認候補として立候補し自民党の渡辺具能に敗れて落選。
- 1997年12月27日 - 新進党の両院議員総会において新進党分党を決定し、同月31日、政党助成法に基づく手続きを完了して同分党。
- 1998年1月4日 - 新進党解党により旧公明新党系の衆議院議員37名による新党平和に参加。
- 1998年3月31日 - 新進党比例区選出の愛野興一郎が同月20日に死去したことに伴い、比例九州ブロックから繰上補充により当選[1]。
- 1998年11月17日 - 衆参統一の公明党の再結成に参加。
- 2002年10月 - 党国会対策委員長太田昭宏の退任に伴い国会対策委員長に就任。
- 2005年9月 - 党国会対策委員長を漆原良夫に譲り、党副代表に就任。
- 2012年12月 - 第46回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退。
- 2023年10月17日 - 肺炎のため福岡県古賀市の病院で死去[2][3]。77歳没。
主な所属議員連盟
[編集]役職歴
[編集]- 内閣
- 防衛政務次官
- 衆議院
- 経済産業委員会委員長
- 公明党
- 国会対策委員長
- 副代表
- 参議院選挙対策本部副本部長
- 政治改革本部長
- 安全保障部会顧問
- 福岡県本部顧問
脚注
[編集]- ^ 第142回国会 衆議院 本会議 第24号 平成10年3月31日 - 国会会議録検索システム
- ^ “公明党・東順治元国対委員長が死去”. 産経新聞. (2023年10月18日) 2023年10月18日閲覧。
- ^ 「東順治氏が死去、77歳 元公明党国対委員長、元衆院議員」『西日本新聞me』2023年10月19日。2023年10月24日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]党職 | ||
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先代 太田昭宏 |
公明党国会対策委員長 2002年 - 2006年 |
次代 漆原良夫 |
議会 | ||
先代 上田勇 |
衆議院総務委員長 2007年 - 2008年 |
次代 東祥三 |