本庄村 (鳥取県)
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ほんじょうそん 本庄村 | |
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廃止日 | 1954年7月1日 |
廃止理由 |
新設合併 田後村、東村、浦富町、蒲生村、岩井町、小田村、本庄村、大岩村、網代村 → 岩美町 |
現在の自治体 | 岩美町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 岩美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 9.8 km2 |
総人口 |
2,084人 ([1]、1953年) |
隣接自治体 | 浦富町、岩井町、小田村、大岩村、網代村、福部村 |
本庄村役場 | |
所在地 | 鳥取県岩美郡本庄村大字新井 |
座標 | 北緯35度34分04秒 東経134度19分48秒 / 北緯35.567867度 東経134.33度座標: 北緯35度34分04秒 東経134度19分48秒 / 北緯35.567867度 東経134.33度 |
特記事項 | 村役場は本庄小学校付近に所在した[2] |
ウィキプロジェクト |
本庄村(ほんじょうそん)は、鳥取県岩井郡・岩美郡にあった村、自治体である。
概要
[編集]現在の岩美町本庄・新井・河崎・太田・恩志・高山に相当する。蒲生川中・下流域に位置した。
藩政時代には鳥取藩領の岩井郡本庄(本庄郷、本郷)に属する本庄村・新井村・河崎村・太田村、および蒲生庄に属する恩志村(恩地村)・高山村があった[3]。
本庄の名は、荘園として開墾されたところからと伝えられる[1]。また役場や学校が置かれた新井(にい)は、古語の稲の新穀を意味する「にひ」が由来とされる[4]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)- 連合戸長役場を本庄村に設置[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、太田村・本庄村・河崎村・新井村・恩志村・高山村が合併して村制施行し、本庄村が発足。旧村名を継承した6大字を編成。役場を大字本庄村の村上伝吉宅に設置[1]。
- 1892年(明治25年)4月 - 役場を新井村の村上源蔵宅に移転[1]。
- 1893年(明治26年)4月 - 庁舎新築[1]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、邑美郡・法美郡・岩井郡の区域をもって岩美郡が発足し、岩美郡本庄村となる。
- 1914年(大正3年)10月1日 - 「本庄村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「本庄村大字○○」と呼ぶことになる[5]。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 田後村、東村、浦富町、蒲生村、岩井町、小田村、大岩村、網代村と合併して岩美町が発足。同日本庄村廃止[6]。
行政
[編集]戸長
[編集]- 郡区町村編制法施行後(1879年)[1]
- 太田・本庄戸長:村松茂平
- 岩常・新井・河崎戸長:八石貫一郎
- 恩志・高山戸長:石谷又市
- 本庄村外十八ヶ村連合戸長役場(1883年 - 1889年):村松茂平、田中傳六[1][7]
歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 八石貫一郎 | 1889年(明治22年)11月20日 | 1893年(明治26年)11月4日 | |
2 | 八石貫一郎 | 1893年(明治26年)11月13日 | 1894年(明治27年)4月25日 | |
3 | 吉岡義造 | 1894年(明治27年)5月2日 | 1899年(明治32年)1月15日 | |
4 | 田中柳太郎 | 1899年(明治32年)1月16日 | 1900年(明治33年)12月30日 | |
5 | 村上元蔵 | 1900年(明治33年)12月28日 | 1904年(明治37年)12月27日 | |
6 | 村上元蔵 | 1905年(明治38年)1月11日 | 1909年(明治42年)1月10日 | |
7 | 山本善九郎 | 1909年(明治42年)1月19日 | 1913年(大正2年)1月18日 | |
8 | 村松柳治 | 1913年(大正2年)1月30日 | 1917年(大正6年)1月29日 | |
9 | 山本善九郎 | 1917年(大正6年)1月24日 | 1920年(大正9年)10月9日 | |
10 | 山本猪之蔵 | 1920年(大正9年)11月8日 | 1924年(大正13年)11月7日 | |
11 | 山本猪之蔵 | 1924年(大正13年)11月11日 | 1926年(大正15年)9月27日 | |
12 | 岸本万英 | 1927年(昭和2年)3月24日 | 1931年(昭和6年)3月23日 | |
13 | 村上喜治 | 1931年(昭和6年)4月21日 | 1935年(昭和10年)4月20日 | |
14 | 村上喜治 | 1936年(昭和11年)2月1日 | 1940年(昭和15年)1月31日 | |
15 | 谷垣邦義 | 1940年(昭和15年)4月5日 | 1944年(昭和19年)4月4日 | |
16 | 谷垣邦義 | 1944年(昭和19年)4月5日 | 1946年(昭和21年)10月15日 | |
17 | 谷垣博義 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
18 | 谷垣博義 | 1951年(昭和26年)4月24日 | 1954年(昭和29年)6月30日 | |
参考文献 - [1] |
教育
[編集]- 本庄村立本庄小学校(現在は統合により岩美町立岩美南小学校となり、旧校地は「遊びの広場」となった[9])
- 中学校は浦富町の組合立浦富中学校(現在は統合により岩美町立岩美中学校となる)
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 国道9号
- およし道路:岩美駅から岩井温泉街まで最短で繋ぐ道路(現在の鳥取県道164号岩美停車場線)
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 岩美町誌(岩美町教育委員会、1968年)
- ^ 国土地理院旧版地図「浜坂 五万分一地形図 昭和7年修正」(ひなたGIS)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「本庄(近世)」「蒲生庄(近世)」
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「新井」
- ^ 「字名改称並区域変更」『官報』1914年9月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第266号・市町村の廃置分合」『鳥取県広報 第2518号』1954年5月28日(鳥取県立公文書館)
- ^ 鳥取県職員録 明治22年9月調(鳥取県、1889年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 広報いわみ 2011年11月号