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景川宗隆

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景川宗隆(けいせんそうりゅう、1425年正長元年) - 1500年3月30日明応9年3月1日))は、室町時代臨済宗大徳寺46世住持妙心寺10世住持を務め、妙心寺四派の一つである龍泉派の開祖となった。

伊勢国(現・三重県)に生まれる。幼くして円明寺で出家し、瑞泉寺住持の雲谷玄祥の下で修行する。その後は遊行して美濃国愚渓寺岐阜県可児郡御嵩町)の義天玄詔讃岐国慈明庵の桃隠玄朔に師事する。桃隠玄朔に就いて伊勢国大樹寺(三重県四日市市)に移り、その後京都竜安寺の住持となっていた義天玄詔の下に戻る。師が没した後に竜安寺の住職となった雪江宗深から40歳の時に印可を得た。

その後、大和国高市郡興雲寺及び伊勢国員弁郡瑞応寺及び妙心寺龍泉庵、大心院の開祖となったほか、犬山瑞龍寺、大樹寺、船井郡竜興寺、大徳寺46世住持、妙心寺10世住持を務めた。大心院にて遷化する。その語録は景川和尚語録としてまとめられた。正保3年(1646年)に本如実性禅師と諡される。

主な法嗣に景堂玄訥、春江紹蓓および柏庭宗松らがいる。

参考資料

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  • 『新版禅学大辞典』
  • 『妙心寺 650年の歩み』