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春登

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春登(しゅんとう、1773年安永2年)- 1836年天保7年)[1])は、江戸時代後期の時宗国学者万葉学者春登上人釈春登とも呼ばれる。俗姓は山本、は輪丈(倫丈)、は花水庵(華水庵)・大麓斎・興徳院[1]

主な著作として、本草書などをもとに『万葉集』に出てくる動植物の同定名物学)を論じた『万葉集名物考』[2]万葉仮名の分類を論じた『万葉用字格』など。

生涯

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甲府勤番支配山口直郷の子として甲府城下に生まれる[3]。7歳の時、甲斐吉田西念寺にて出家し、12歳まで同寺で修行する[1]。この間、本居宣長門人の小佐野和泉に国学を学ぶ[1]。その後、藤沢の総本山遊行寺に移り諦如上人に師事する[1]。22歳の時、西念寺に戻り住職となる[3]

32歳の時から三年間江戸に遊学し、加藤千蔭村田春海清水浜臣小山田与清狩谷棭斎山崎美成らと交流する[1]。その他、野村瓜州とも交流した。

以降、武蔵関戸延命寺の住職、京都二条の聞名寺の住職、京都七条の時宗学寮の学寮主、総本山遊行寺の役寮等を歴任した[3][4]。晩年から示寂までの10年間は、吉田に帰って隠居し、著述に専念した[3]

主な著作

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  • 万葉集名物考
  • 万葉用字格
  • 五十音摘要
  • 仮字音便提要
  • 和歌革運略図 [5][3]

出典

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  1. ^ a b c d e f 和田 1998, p. 55.
  2. ^ 和田 1998.
  3. ^ a b c d e 時宗 吉積山西念寺|山梨県富士吉田市上吉田の寺院。”. 時宗 吉積山西念寺|山梨県富士吉田市上吉田の寺院。. 2020年12月5日閲覧。
  4. ^ 遊行寺と藤沢”. 時宗総本山 遊行寺. 2020年12月5日閲覧。
  5. ^ 和田 1998, p. 56.

参考文献

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