旭堂南陵
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旭堂 南陵(きょくどう なんりょう)は、上方講談(講釈師)の大名跡。旭堂一門の留め名。本来は「あさひどう」と読ませていたが江戸と区別させる為「きょくどう」となった。
- 初代旭堂南陵 - 本名:浅井 金次郎(1858年 - 1911年)駿河生まれ。元は東京を拠点にしていたが旅回りの末大阪に移住した。生玉神社の御旅所の席主も兼ねた。「義士伝」を得意とした。世話好きで門弟をも養った。晩年「旭堂一道」と改名。
- 二代目旭堂南陵 - 本項にて記述
- 三代目旭堂南陵 - 当該項目で記述
- 四代目旭堂南陵 - 当該項目で記述
二代目 | |
二代目南陵(1955年) | |
本名 | |
---|---|
生年月日 | 1877年9月15日 |
没年月日 | 1965年11月19日(88歳没) |
出身地 | 日本・大阪府大阪市 |
師匠 | 四代目正流斎南窓 初代旭堂南陵 三代目神田伯龍 初代旭堂南陵 |
弟子 | 三代目旭堂南陵 |
名跡 | 1.正流斎鶴窓 (1895年 - 1896年) 2.旭堂南花 (1896年 - 1897年) 3.神田龍生 (1897年 - ?) 4.神田小伯龍 (? - 1900年) 5.初代旭堂小南陵 (1900年 - 1909件) 6.二代目旭堂南陵 (1909年 - 1965年) |
活動期間 | 1895年 - 1965年 |
家族 | 初代旭堂南陵(義父) 三代目旭堂南陵(次男) |
受賞歴 | |
1951年 大阪市民文化賞 1955年 NHK放送文化賞 1996年 第1回上方演芸の殿堂入り | |
備考 | |
関西演芸協会初代会長 | |
二代目 旭堂 南陵(きょくどう なんりょう、1877年9月15日 - 1965年11月19日)は、上方の講談師。大阪市生まれ。初代の弟子で養子。本名:浅井 靏造。
経歴
[編集]- 1877年9月∶大阪天満の染物屋に生れる。
- 1895年∶東京から来た4代目正流斎南窓に師事。初名は正流斎鶴窓。
- 1896年∶初代旭堂南陵に入門。旭堂南花となる。
- 1897年∶東京へ行き3代目神田伯龍の門下で修行。神田龍生、神田小伯龍と改名。
- 1900年∶大阪へ戻る。初代旭堂小南陵へ改名。
- 1909年∶2代目旭堂南陵を襲名。
- 1949年∶関西演芸協会の初代会長に就任。
- 1951年∶大阪市民文化賞受賞。
- 1955年∶NHK放送文化賞受賞。
- 1965年11月19日∶死去。88歳没。
- 1996年∶第1回上方演芸の殿堂入り。
人物
[編集]- 戦前は上方唯一の講釈師として多くの演目を残し孤軍奮闘。戦後は親子で上方講談の復興に尽力した。
- 上方落語協会発足時、講釈師の会員は2代目南陵と2代目旭堂小南陵のみであった。
- 「難波戦記」「太閤記」「祐天吉松」などを得意とした。