川辺町 (和歌山県)
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かわべちょう 川辺町 | |
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廃止日 | 2005年5月1日 |
廃止理由 |
新設合併 中津村・美山村・川辺町 → 日高川町 |
現在の自治体 | 日高川町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 和歌山県 |
郡 | 日高郡 |
市町村コード | 30384-4 |
面積 | 75.97 km2 |
総人口 |
7,011人 (2004年7月1日) |
隣接自治体 |
御坊市 有田郡 広川町 日高郡 印南町、中津村 |
町の木 | 樫 |
町の花 | みかんの花 |
川辺町役場 | |
所在地 |
〒649-1324 和歌山県日高郡川辺町土生160 |
座標 | 北緯33度54分42秒 東経135度11分10秒 / 北緯33.91169度 東経135.186度座標: 北緯33度54分42秒 東経135度11分10秒 / 北緯33.91169度 東経135.186度 |
ウィキプロジェクト |
川辺町(かわべちょう)は、和歌山県の中部に位置していた町である。みかんを初めとした農業が盛ん。安珍・清姫伝説で有名な道成寺がある。
2005年5月1日に中津村、美山村と合併して日高川町となった。
地理
[編集]日高川の下流部に位置し、御坊市、中津村とは日高川に沿って隣接している。また、広川町とは白馬山脈を、印南町とは真妻山を介して隣接している。日高川とその数本の支流(江川、土生川、中津川、沖野川など)に沿う中山間地帯に集落が点在している。
山間部では過疎が進んでいるが、平野部では御坊市のベッドタウンとして新興住宅が増えてきている。
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]- 南北朝時代 - 玉置氏が手取城を築城したといわれる[1]。
- 1585年(天正13年) - 豊臣秀吉の紀州征伐で玉置氏当主・玉置直和は秀吉に恭順の意を示し、秀吉に抵抗した亀山城(現・御坊市)の湯川直春により手取城を攻められた[2][3]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 早蘇村・丹生村・矢田村が合併して発足。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 中津村の一部(大字藤野川)を編入。
- 2005年(平成17年)5月1日 - 中津村・美山村と合併して日高川町が発足。同日川辺町廃止。
行政
[編集]- 町長:阪本信夫(2003年から)
経済
[編集]産業
[編集]- 農業(みかん)
- 大和歯車(株)和歌山工場
地域
[編集]教育
[編集]交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]出身有名人
[編集]- 日高光路(演歌歌手)
- 那智ノ山公晴(大相撲力士(最高位・前頭19枚目。引退後、年寄・峰崎を襲名))
- 垣内哲也(元プロ野球選手、西武ライオンズ→千葉ロッテマリーンズ)
- 西川史礁(野球選手、青山学院大学在学中)
脚注
[編集]- ^ 川辺町史編さん委員会 1988, pp. 339–340.
- ^ 川辺町史編さん委員会 1988, pp. 357–359.
- ^ 鈴木眞哉 著「羽柴秀吉の中紀(日高)・紀南方面征討 手取城の戦い」、戦国合戦史研究会 編『戦国合戦大事典 第四巻 大阪 奈良 和歌山 三重』新人物往来社、1989年、319-321頁。ISBN 4-404-01595-X。