川添哲夫
かわぞえ てつお 川添 哲夫 | |
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生誕 |
1950年1月15日 日本 高知県香美郡土佐山田町(現・香美市) |
死没 |
1988年3月24日 中国 上海市 |
死因 | 列車事故 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 国士舘大学体育学部 |
職業 | 高知学芸高等学校体育教諭 |
著名な実績 |
全日本剣道選手権大会優勝2回 全国教職員剣道大会個人優勝5回 世界剣道選手権大会団体優勝1回 |
肩書き | 剣道教士七段 |
配偶者 | 川添永子(旧姓桑原) |
受賞 | 高知県スポーツの殿堂 |
川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年〈昭和25年〉1月15日 - 1988年〈昭和63年〉3月24日)は、日本の剣道家。段位は教士七段。
上段の遣い手で、全日本剣道選手権大会優勝2回・準優勝1回・第三位3回、全国教職員剣道大会個人優勝5回、世界剣道選手権大会団体優勝1回などの戦績を残した。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)生まれ。父は剣道範士八段・高知県剣道連盟副会長の川添恵美(かわぞえ めぐみ)。
中学・高校時代
[編集]高知中学校・高等学校で剣道に励み、高校2年・3年にはインターハイに出場。3年から上段の構えを執る。
大学時代
[編集]国士舘大学体育学部4年時の1971年、第19回全日本剣道選手権大会で初出場初優勝した。大学生で全日本選手権を制覇したのは川添が史上初であり、これは2014年の第62回全日本選手権で竹ノ内佑也(筑波大学)が川添と同じく初出場初優勝を果たすまで43年間現れなかった[1]。また川添の初優勝時は21歳であったが、これは史上最年少タイの記録である(2014年現在)。
教師時代
[編集]大学卒業にあたり、東京に留まるよう周囲から随分と引き留められたが、故郷へ戻って高知学芸高等学校の体育教諭となる。剣道教育者になった理由として、父の川添恵美が東京高等師範学校体育科(現・筑波大学体育系)出身の高等教育の剣道教師であり、高知県の剣道教育に多大な貢献をしていた影響があると思われる[2]。同年、2連覇をかけて出場した第20回全日本剣道選手権大会では、決勝戦で同じく上段の遣い手の千葉仁(東京)に22分18秒におよぶ接戦の末敗れ、準優勝に終わった。
1975年、第23回全日本剣道選手権大会で2回目の優勝。同年、国士舘大学の同窓で全日本女子剣道選手権大会3連覇の記録を持つ桑原永子と結婚。
事故死
[編集]1988年3月24日、修学旅行の引率で訪れていた中華人民共和国上海で列車事故(上海列車事故)に巻き込まれて死亡した。享年38。
死後
[編集]2009年10月16日、故人として高知県スポーツの殿堂に入る[3]。剣道家としては川崎善三郎に次いで2人目。父の川添恵美が代理で授与された。
妻の川添永子(旧姓:桑原)も剣道家であり、2008年まで高知学芸中学校・高等学校にて体育の教師をつとめた[4]。
脚注
[編集]- ^ 竹ノ内が初出場優勝、大学生は43年ぶり 全日本選手権 産経新聞 2014年11月3日閲覧
- ^ 坂本土佐海『剣と人と』、高知新聞社・刊より
- ^ 高知県スポーツの殿堂入り名簿 高知県庁ホームページ
- ^ 玉竜旗物語<11>最強の女性剣士誕生 八代東-連載 西日本スポーツ 2007年7月13日
参考文献
[編集]- 坂本土佐海『剣と人と』、高知新聞社