岩倉具堯
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時代 | 戦国時代後期から江戸時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛永10年9月(1633年) |
官位 | 正五位下、木工頭 |
主君 | 後陽成天皇→後水尾上皇 |
氏族 | 村上源氏久我家岩倉家 |
父母 | 父:久我晴通、母:鴨祝秀顕の娘 |
兄弟 | 通堅、岩倉具堯、奈多直基、近衛前久室、西園寺実益室、久我敦通室 |
妻 | 園基継の娘 |
子 | 具起、有清、一糸文守、千種有能、坊城俊完室 |
特記 事項 | 岩倉家の祖 |
岩倉具堯(いわくら ともたか)は、戦国時代、室町時代後期頃から江戸時代初期の公家。最終官位は正五位下木工頭。村上源氏久我家の分家岩倉家の始祖。
経歴
[編集]正二位権大納言久我晴通の四男。兄に久我通堅(従二位権大納言)がいる。はじめ相国寺に入り万松院宗尊といったが、のち還俗し、後陽成院、中和門院に近侍した。久我家から分家し、初め桜井と号したが、子具起の代に、京都洛外の岩倉に邸をおいたことに因み、岩倉家と称するようになった。病を得て出家し、蕣庵と号した。明治維新の功臣岩倉具視は子孫にあたる。
系譜
[編集]関連項目
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