山内逸造
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山内 逸造(やまうち いつぞう、1894年(明治27年)5月21日[1] - 1979年(昭和54年)2月14日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選奈良県知事。 従四位勲三等授瑞宝章
経歴
[編集]岐阜県出身。山内謙次郎の息子として生まれる[1]。1922年、京都帝国大学法学部を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し静岡県属となる[3]。
以後、三重県警視・地方事務官、福島県・埼玉県各勤務、島根県書記官・警察部長、秋田県書記官・警察部長、熊本県書記官・警察部長、埼玉県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、内務事務官、東京府総務部長、内務省計画局都市計画課長[1]、内閣総理大臣秘書官[4]などを歴任した。
1940年11月、奈良県知事に就任。戦時体制の強化などに尽力。1942年7月、台湾総督府警務局長に転じ、1945年1月まで在任[5]。東京都交通局長に就任し、同年12月24日に依願免本官となり退官[6]。その後、公職追放となった[3]。