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宮辺英夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮辺 英夫(みやべ ひでお、1919年1月 - 1978年10月)は日本陸軍軍人、パイロット。

最終階級は陸軍少佐。加藤隼戦闘隊の最後の戦隊長として知られる。

経歴

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熊本県に生まれる。1936年(昭和11年)に旧制玉名中(熊本県立玉名高等学校・附属中学校)、1939年(昭和14年)に陸軍士官学校を52期で卒業。

陸軍士官学校卒業後、明野陸軍飛行学校へ進み、卒業後は飛行第5戦隊へ配属。その後、明野陸軍飛行学校教官となる。1943年(昭和18年)2月に飛行第六十四戦隊(いわゆる加藤隼戦闘隊)第2中隊長関二郎大尉が戦死したことに伴い、第2中隊長になる。

1945年(昭和20年)4月26日には飛行第六十四戦隊戦隊長となり、クラコール飛行場にて終戦を迎えた。撃墜数12機(それ以上とも)。

1946年(昭和21年)5月4日、大竹港に復員した。復員後は公職追放となり[1]、帰郷後、凸版玉名紙工株式会社に勤務。後に社長に就任している。

1978年逝去。

主な搭乗機体

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著作

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脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、91頁。NDLJP:1276156 

関連項目

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