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大蛇潟大五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大蛇潟 大五郎(おろちがた だいごろう、1863年1月(文久2年12月) - 1916年1月9日)は、現在の千葉県市川市鬼越[1]出身で宮城野部屋錦戸部屋錦島部屋に所属した力士。本名は錦嶋 七太郎(旧姓岡田)。7代錦島。身長178cm、体重101kg。最高位は西前頭筆頭。

略歴

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1885年5月に二枚目格付出で初土俵。1889年5月十両昇進した。1892年6月に新入幕、以後1907年1月に44歳で引退するまで連続で幕内に在位。また錦島部屋では二枚鑑札。引退後は親方業に専念したが、1916年に没した。享年55。

成績

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  • 番付在位場所数:44場所
  • 幕内成績:74勝86敗88休43分9預(30場所)
  • 十両成績:22勝22敗10分3預(6場所)

場所別成績

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大蛇潟 大五郎
春場所 夏場所
1885年
(明治18年)
x 幕下付出
[2] 
1886年
(明治19年)
東幕下61枚目
[2][3] 
西幕下46枚目
[2][4] 
1887年
(明治20年)
西幕下32枚目
[3] 
西幕下50枚目
[5] 
1888年
(明治21年)
西幕下24枚目
[6][4] 
西幕下16枚目
[4] 
1889年
(明治22年)
西幕下10枚目
1–0
1分
(対十両戦)[5]
 
西十両5枚目
5–2
2分[5]
 
1890年
(明治23年)
西十両2枚目
3–5
1分[5]
 
東十両4枚目
2–6
1分[5]
 
1891年
(明治24年)
東十両5枚目
4–2
2分2預[7]
 
東十両筆頭
4–4
2分
 
1892年
(明治25年)
東十両筆頭
4–3
2分1預
 
東前頭11枚目
4–4–1
1預
 
1893年
(明治26年)
東前頭8枚目
3–5–1
1分
 
東前頭8枚目
1–3–6 
1894年
(明治27年)
東前頭11枚目
4–2–1
3分
 
東前頭10枚目
5–2–1
2分
 
1895年
(明治28年)
西前頭5枚目
0–0–10 
西前頭9枚目
2–2–3
3分
 
1896年
(明治29年)
西前頭7枚目
2–4–3
1分
 
西前頭5枚目
4–2–1
2分1預
 
1897年
(明治30年)
西前頭3枚目
6–2–1
1分
 
西前頭2枚目
0–0–10 
1898年
(明治31年)
東前頭6枚目
3–4–1
2分
 
東前頭8枚目
3–4–2
1分
 
1899年
(明治32年)
西前頭8枚目
3–4–1
1分1預
 
西前頭7枚目
1–1–7
1分
 
1900年
(明治33年)
東前頭7枚目
4–2–2
2分
 
東前頭4枚目
3–4–1
2分
 
1901年
(明治34年)
西前頭4枚目
4–1–1
2分2預
 
西前頭筆頭
2–5–1
1分1預
 
1902年
(明治35年)
西前頭4枚目
3–2–1
4分
 
西前頭3枚目
0–4–5
1預
 
1903年
(明治36年)
西前頭6枚目
4–3–1
2分
 
西前頭3枚目
3–4–1
2分
 
1904年
(明治37年)
西前頭7枚目
0–6–1
3分
 
東前頭14枚目
3–5–1
1分
 
1905年
(明治38年)
西前頭9枚目
1–2–7 
東前頭12枚目
4–4–1
1分
 
1906年
(明治39年)
西前頭9枚目
1–4–1
3分1預
 
西張出前頭13枚目
1–1–5
3分
 
1907年
(明治40年)
西張出前頭14枚目
引退
0–0–10
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • この時代は、幕内力士は千秋楽(10日目)には取組が組まれず、出場しないのが常態であったので、各場所の1休はそれに該当するものであり、実質的には9日間で皆勤である。
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。また当時の幕下以下の星取や勝敗数等の記録については2024年現在相撲レファレンス等のデータベースに登録がないため、幕下以下の勝敗数等は暫定的に対十両戦の分のみを示す。

改名

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上の名前は番付上の表記揺れを考えなければ改名歴なし。 [8] [9] 下の名前は1890年5月場所まで「七五郎」、1891年1月場所から「大五郎」。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 千葉県出身の幕内力士”. 千葉県ホームページ. 2020年2月25日閲覧。
  2. ^ a b c 当時は番付表の上から二段目は十両と幕下に分けられておらず、十両の地位は存在せず幕内のすぐ下が幕下であった。この当時の幕下は、十両創設後現代までの十両・幕下と区別して二段目とも呼ぶ。
  3. ^ a b 番付上の表記は「大ろちがた 七五郎」(「がた」は変体仮名)。
  4. ^ a b c 番付上の表記は「大蛇がた 七五郎」(「がた」は変体仮名)。
  5. ^ a b c d e 番付上の表記は「大蛇泻 七五郎」。
  6. ^ この場所より十両創設(番付表記上十両と幕下が分離される)。
  7. ^ この場所以降の番付上の表記は「大蛇泻 大五郎」。
  8. ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3517&l=j
  9. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709