大橋亦兵衛
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大橋亦兵衛 おおはし またべえ | |
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生年月日 | 1884年2月11日 |
出生地 | 日本 静岡県豊田郡小立野村(現静岡県磐田市) |
没年月日 | 1946年10月16日(62歳没) |
出身校 | 浜松中学校卒業(現静岡県立浜松北高等学校) |
前職 | 書籍業 |
所属政党 | 立憲政友会 |
親族 | 父・大橋頼摸(衆議院議員) |
選挙区 | 静岡県第3選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1928年2月20日 - 1930年1月21日 |
第21代 静岡県会議長 | |
在任期間 | 1926年11月 - 1927年11月 |
井通村会議員 |
大橋 亦兵衛(おおはし またべえ、1884年(明治17年)2月11日[1] - 1946年(昭和21年)10月16日[2])は、大正から昭和時代戦前の政治家。治水家。衆議院議員。静岡県会議長。静岡県磐田郡井通村長。俳号は天竜[3]。
経歴
[編集]大橋頼摸の長男として[4]、静岡県豊田郡小立野村(豊田郡井通村、磐田郡井通村、豊田村、豊田町を経て現磐田市)に生まれる[3]。1912年(大正元年)家督を相続する[4]。書籍業を営む[4]。浜松中学校を卒業する[3]。
井通村会議員[2]、同村長を経て、1919年(大正8年)静岡県会議員に当選。1926年(大正15年)同議長に推された[3]。1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から立憲政友会所属で出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。
郷里では、天竜川東縁水防組合長や寺谷用水組合と旧社山水利組合を統合して磐田用水連合会を組織するまでの会長を歴任した[5]。寺谷用水功労者供養に平野睦則、鈴木正一とともに祀られている[6]。
ほか、磐田郡会議員、静岡県参事会員、郡農会長、県農会幹事を務めた[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 衆議院事務局 1928, 17頁.
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 1962, 106頁.
- ^ a b c d e 静岡新聞社出版局 1991, 110頁.
- ^ a b c d 人事興信所 1928, オ137頁.
- ^ 静岡新聞社出版局 1991, 110-111頁.
- ^ 静岡新聞社出版局 1991, 111頁.
参考文献
[編集]- 『第五十五回帝国議会 衆議院議員名簿 昭和三年四月十日現在』衆議院事務局〈衆議院公報附録〉、1928年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 静岡新聞社出版局 編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783804249。