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大橋亦兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大橋亦兵衛
おおはし またべえ
生年月日 1884年2月11日
出生地 日本の旗 日本 静岡県豊田郡小立野村(現静岡県磐田市)
没年月日 (1946-10-16) 1946年10月16日(62歳没)
出身校 浜松中学校卒業(現静岡県立浜松北高等学校)
前職 書籍業
所属政党 立憲政友会
親族 父・大橋頼摸(衆議院議員)

選挙区 静岡県第3選挙区
当選回数 1回
在任期間 1928年2月20日 - 1930年1月21日

静岡県の旗 第21代 静岡県会議長
在任期間 1926年11月 - 1927年11月

静岡県の旗 静岡県会議員


井通村会議員
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大橋 亦兵衛(おおはし またべえ、1884年(明治17年)2月11日[1] - 1946年(昭和21年)10月16日[2])は、大正から昭和時代戦前の政治家治水家衆議院議員静岡県会議長。静岡県磐田郡井通村長。俳号は天竜[3]

経歴

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大橋頼摸の長男として[4]、静岡県豊田郡小立野村(豊田郡井通村、磐田郡井通村、豊田村、豊田町を経て現磐田市)に生まれる[3]1912年(大正元年)家督を相続する[4]。書籍業を営む[4]浜松中学校を卒業する[3]

井通村会議員[2]、同村長を経て、1919年(大正8年)静岡県会議員に当選。1926年(大正15年)同議長に推された[3]1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から立憲政友会所属で出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]

郷里では、天竜川東縁水防組合長や寺谷用水組合と旧社山水利組合を統合して磐田用水連合会を組織するまでの会長を歴任した[5]。寺谷用水功労者供養に平野睦則鈴木正一とともに祀られている[6]

ほか、磐田郡会議員、静岡県参事会員、郡農会長、県農会幹事を務めた[2]

親族

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脚注

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参考文献

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  • 第五十五回帝国議会 衆議院議員名簿 昭和三年四月十日現在』衆議院事務局〈衆議院公報附録〉、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1338227/154 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127124 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139 
  • 静岡新聞社出版局 編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783804249