国中村 (鳥取県)
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くになかそん 国中村 | |
---|---|
廃止日 | 1953年5月5日 |
廃止理由 |
新設合併 郡家町(初代)、国中村、大御門村、下私都村 → 郡家町(2代) |
現在の自治体 | 八頭町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 6.09 km2 |
総人口 |
2,397人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
郡家町(初代)、船岡町、河原町(初代)、国英村 岩美郡米里村 |
国中村役場 | |
所在地 | 鳥取県八頭郡国中村大字石田百井字今島1番1地 |
座標 | 北緯35度24分06秒 東経134度14分05秒 / 北緯35.40178度 東経134.23467度座標: 北緯35度24分06秒 東経134度14分05秒 / 北緯35.40178度 東経134.23467度 |
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国中村(くになかそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは八上郡に属した。
概要
[編集]現在の八頭町久能寺・池田・土師百井(はじももい)・万代寺・石田百井(いしだももい)・米岡、および国中(1984年に米岡の一部から設置[1])に相当する。千代川水系八東川および支流の私都川下流域の平野部に位置し、両川は当村域の西端で合流する。
藩政時代には鳥取藩領の八上郡岩田上庄(いわたかみのしょう)に属する米岡村・石田百井村、加茂庄に属する久能寺村・万代寺村、土師郷に属する池田村・土師百井村があった[3][4]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 郡家村(後の賀茂村大字郡家)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[5]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、久能寺村・池田村・土師百井村・万代寺村・石田百井村・米岡村が合併して村制施行し、八上郡国中村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を石田百井村に設置[6]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡国中村となる。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「国中村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「国中村大字◯◯」と改称[7]。
- 1927年(昭和2年)12月17日 - 役場位置を大字石田百井字今島1番1地に変更[8]。
- 1953年(昭和28年)5月5日 - 郡家町(初代)、大御門村、下私都村と合併し、改めて郡家町(2代)が発足。同日国中村廃止[9]。
行政
[編集]歴代村長
[編集]氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 地区 | 備考 |
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松沢千秋 | 1889年(明治22年)12月 | 1891年(明治24年)8月 | 池田 | |
福田勇寿郎 | 1891年(明治24年)9月 | 1895年(明治28年)9月 | 池田 | |
小島光造 | 1895年(明治28年)10月 | 1897年(明治30年)11月 | 石田百井 | |
福田勇寿郎 | 1897年(明治30年)12月 | 1898年(明治31年)8月 | 池田 | |
小島楽次郎 | 1898年(明治31年)8月 | 1899年(明治32年)8月 | 石田百井 | |
福田勇寿郎 | 1899年(明治32年)8月 | 1900年(明治33年)12月 | 池田 | |
森田定次郎 | 1901年(明治34年)1月 | 1901年(明治34年)5月 | 石田百井 | |
谷本市次郎 | 1901年(明治34年)5月 | 1902年(明治35年)3月 | 米岡 | |
福田勇寿郎 | 1902年(明治35年)4月 | 1902年(明治35年)7月 | 池田 | |
猪本弥平 | 1902年(明治35年)9月 | 1904年(明治37年)4月 | 石田百井 | |
亀井胤蔵 | 1904年(明治37年)4月 | 1907年(明治40年)8月 | 米岡 | |
尾崎安五郎 | 1907年(明治40年)10月 | 1908年(明治41年)8月 | 久能寺 | |
福田勇寿郎 | 1908年(明治41年)8月 | 1909年(明治42年)10月 | 池田 | |
谷本民造 | 1909年(明治42年)11月 | 1912年(大正元年)9月 | 米岡 | |
上島八千蔵 | 1912年(大正元年)10月 | 1914年(大正3年)3月 | 池田 | |
三木義孝 | 1914年(大正3年)4月 | 1915年(大正4年)8月 | 土師百井 | |
尾崎龍造 | 1915年(大正4年)10月 | 1918年(大正7年)2月 | 久能寺 | |
小島力造 | 1918年(大正7年)3月 | 1922年(大正11年)3月 | 石田百井 | |
古井実寿 | 1922年(大正11年)4月 | 1930年(昭和5年)4月 | 池田 | |
三木秀胤 | 1930年(昭和5年)4月 | 1942年(昭和17年)4月 | 土師百井 | |
平木豊蔵 | 1942年(昭和17年)4月 | 1945年(昭和20年)10月 | 久能寺 | |
三木三良 | 1945年(昭和20年)10月 | 1950年(昭和25年)3月 | 土師百井 | |
古井万寿治 | 1950年(昭和25年)5月 | 1953年(昭和28年)5月4日 | 池田 | 合併後、郡家町長に就任 |
参考文献 - [3][4] |
教育
[編集]- 国中村立国中小学校:現在は統合により八頭町立郡家西小学校。
- 郡家町外三ヶ村組合立中央中学校:郡家町・国中村・下私市村・大御門村の組合立として郡家町大字郡家に設置。後に八頭町立中央中学校となり、現在は統合により八頭町立八頭中学校[4]。
交通
[編集]鉄道
[編集]出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 「鳥取県告示第357号・字の区域の新設等」『鳥取県公報 第5554号』1984年4月27日(鳥取県立公文書館)
- ^ a b 角川日本地名大辞典 鳥取県「国中村(近代)」
- ^ a b c 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
- ^ a b c 郡家町誌(郡家町誌編集委員会、1969年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年11月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「町村役場位置変更」『官報』1927年12月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第147号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 第2403号』1953年4月10日(鳥取県立公文書館)