吉島古墳
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吉島古墳 | |
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墳丘(右手前に前方部、左奥に後円部) | |
別名 | 吉島松山古墳 |
所在地 | 兵庫県たつの市吉島854-19[1] |
位置 | 北緯34度56分10.57秒 東経134度32分45.27秒 / 北緯34.9362694度 東経134.5459083度座標: 北緯34度56分10.57秒 東経134度32分45.27秒 / 北緯34.9362694度 東経134.5459083度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長36m |
埋葬施設 |
竪穴式石室 (内部に割竹形木棺) |
出土品 | 銅鏡・ガラス玉・土器片ほか |
築造時期 | 3世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「吉島古墳」 |
地図 |
吉島古墳(よしまこふん、吉島松山古墳[2])は、兵庫県たつの市新宮町吉島にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。
概要
[編集]兵庫県南西部、揖保川右岸において河岸平野を一望する標高約250メートルの尾根上に築造された古墳である[3][4]。これまでに1897年(明治30年)に発掘されて銅鏡等が出土したほか、考古学的には1966年(昭和41年)に測量調査・発掘調査が実施されている[5]。
墳形は左右非対称な前方後円形で[4]、後円部を平野部に向ける[6]。前方部端は尾根筋を切断して形成される[4]。墳丘外表で葺石・埴輪は認められていない[3][4]。埋葬施設は後円部中央における竪穴式石室で、墳丘主軸とは斜交する[3]。この石室は割石積みで、長さ約5.4メートル・幅0.95-1.15メートル・高さ約1.0メートルを測り、内部で割竹形木棺の痕跡が検出されている[5]。出土品としては三角縁神獣鏡を含む銅鏡6面(東京国立博物館所蔵)が特に知られ、他にガラス玉・土器片等がある[4]。築造時期は、古墳時代前期初頭の3世紀後半頃と推定される[5]。播磨地方では最古に位置づけられ、全国的にも最古級の初期古墳になる[6]。
古墳域は1978年(昭和53年)に国の史跡に指定されている[6]。なお、付近には弥生時代中期を盛期とした大規模集落の新宮宮内遺跡がある(国の史跡)。
遺跡歴
[編集]- 1897年(明治30年)、埋葬施設の発掘および副葬品の出土[5]。
- 1925年(大正14年)、実地踏査・出土品の報告(梅原末治ら兵庫県)[3][4]。
- 1966年(昭和41年)、墳丘測量調査・埋葬施設発掘調査(近藤義郎ら新宮町)[2][5]。
- 1978年(昭和53年)5月22日、国の史跡に指定[6]。
墳丘
[編集]- 墳丘長:36メートル
- 後円部直径:15メートル
- 前方部幅:6.5メートル
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後円部(前方部から望む)
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前方部(後円部から望む)
出土品
[編集]1897年(明治30年)の発掘で出土した銅鏡6面は次の通り。6面はいずれも舶載鏡(中国製鏡)になる。
- 三角縁天王日月唐草文帯四神四獣鏡 2面(同笵鏡)
- 三角縁波文帯盤龍鏡 1面
- 三角縁吾作四神四獣鏡
- 尚方作銘獣帯鏡 1面
- 内行花文鏡 1面
文化財
[編集]国の史跡
[編集]関連施設
[編集]- 東京国立博物館 - 吉島古墳出土鏡を保管。
- たつの市立埋蔵文化財センター(たつの市新宮町宮内) - 吉島古墳出土鏡のレプリカを展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(旧新宮町教育委員会、2002年設置)
- 大塚初重「吉島松山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「吉島古墳」『日本歴史地名大系 29 兵庫県の地名』平凡社、1999年。
- 「吉島古墳」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 近藤義郎 編『吉島古墳(新宮町文化財調査報告 4)』新宮町教育委員会、1983年。
外部リンク
[編集]- 吉島古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 揖保川流域最古の吉島古墳 - たつの市ホームページ