児玉政介
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児玉 政介(こだま まさすけ、1891年〈明治24年〉7月6日[1] - 1978年〈昭和53年〉4月14日[2])は、日本の内務・厚生官僚、政治家。
秋田市長(第11代)[3]、厚生次官(第3代)、軍事保護院副総裁、傷兵保護院副総裁、厚生省体力局長、石川県知事(官選第34代)、秋田県知事(官選第35代)、奈良県知事(官選第22代)などを歴任。旧姓・小幡。
経歴
[編集]東京府出身。小幡小二郎の長男として生まれ、児玉隼槌の養子となる[1]。第三高等学校を卒業。1915年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1916年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。内務省に入省し岩手県属となる[1][4]。
以後、三重県警視、新潟県警視、大阪府理事官、内務省社会局書記官、同省大臣官房文書課長、東京府書記官・内務部長[5]などを歴任[1]。
1934年2月、奈良県知事に就任。紀元二千六百年記念行事の準備を行う[1]。1935年1月、秋田県知事に転任。大凶作の対策に尽力[6]。1937年2月、石川県知事に転任。戦時下の対策に尽力[7]。1938年1月、厚生省体力局長に転任し、傷兵保護院副総裁、軍事保護院副総裁を経て、1940年4月、厚生次官に就任し1941年3月まで在任[8]。同年に退官[4]。
戦後、1945年12月、秋田市長に就任。1947年4月、公選初代の秋田市長に選出され、一期務めた。
著作
[編集]- 『社会保険論叢』南郊社、1931年。
- 『健康保険の研究』医海時報社、1931年。
- 『国籍法論』広陵社、1933年。
- 『新国籍法論』児玉政介、1936年。
- 『鴻秋談叢』秋田県青年教育研究会、1937年。
- 『鴻秋石川清話』石川県青年教育研究会、1938年。
- 『山を楽しむ』社会保険倶楽部、1965年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。