今井登志喜
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人物情報 | |
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生誕 |
1886年6月8日 日本 長野県岡谷市 |
死没 |
1950年3月21日 (63歳没) 日本 東京都文京区 |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 西洋史 |
研究機関 | 東京帝国大学 |
今井 登志喜(いまい としき、1886年6月8日[1] - 1950年3月21日[1])は、西洋史学者、東京帝国大学名誉教授。
生涯
[編集]1886年、長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)で生まれた[1]。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を卒業し[1]、第一高等学校[2]に進学。東京帝国大学文科大学史学科に進み、1911年に卒業した[1][3]。
1916年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)教諭に就いた。1920年より第一高等学校教授。1923年、東京帝国大学文学部助教授となり[4]、同年から1926年まで文部省在外研究員として欧米に研究留学[5]。1930年、教授に昇格した[6]。また、1939年10月には文学部長に就任した[7]。1947年、東京帝国大学を定年退官し[1]、名誉教授となった。
研究内容・業績
[編集]- 西洋史研究
専門は西洋史の中でも英国史であり、特にイギリス社会史と都市発達の歴史を専門とした。主著『英国社会史』は名著として知られた。『歴史学研究法』には史料批判の方法が詳細に書かれている。これは、1935年(昭和10年)『岩波講座 日本歴史』に掲載された「歴史学研究法」という一文であり、著者の健康上の理由から、若干の正誤補正を施しただけで、原本に近い形で1953年(昭和28年)に東京大学出版部で刊行された。ドイツの文献を参照しやすいようにドイツ語が併記されている。指導を受けた著名な弟子には、林健太郎がいる。
- 郷土史ならびに遺跡保護に関する貢献
一方で日本国内の歴史研究にも寄与しており、信濃史料刊行会の顧問を務める[1]など郷土史研究にも貢献した。戦後、登呂遺跡調査会委員長も務めた。
著作
[編集]- 著書
- 共著書
- 『国史 学び方 考へ方と解き方』今井克積と共著、考へ方研究社、1935
- 編書
- 『世界史概説』日本出版協同 1949
参考文献
[編集]- 「今井登志喜関係文献目録」佐野匡平『千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書』286, 2015年, 59-82頁doi.
- 今井信太郎「略年譜」『信濃教育』第1139号、信濃教育会、1981年、48頁。
- 『郷土歴史人物事典』長野 第一法規 1978年
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 今井信太郎 1981
- ^ 『第一高等学校一覧 自明治41年至明治42年』第一高等学校、1909年、p.269
- ^ 『東京帝国大学一覧 従明治44年至明治45年』東京帝国大学、1911年12月、p.(194)
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正12年 至大正13年』東京帝国大学、1924年8月、p.446
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正12年至大正13年』東京帝国大学、1924年8月、p.456、『東京帝国大学一覧 従大正15年至昭和2年』東京帝国大学、1927年、p.398
- ^ 『東京帝国大学一覧 昭和5年度』東京帝国大学、1930年7月、397頁。
- ^ 『東京帝国大学一覧 昭和15年度』東京帝国大学、1941年3月、426頁。
- ^ 『朝日新聞』 1950年3月22日
- ^ 新書判、旧字体表記。
- ^ 文庫化にあたり、解説は松澤裕作が担当している。
- ^ NDLJP:1042693
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 今井登志喜著『歴史学研究法』(東大出版)の概要 - ウェイバックマシン(2012年5月23日アーカイブ分)